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■2002.6.30
朝、高倉まで野菜を求めに出かける。食料も調達して戻って来た。細いスパゲッティを茹でて、魚介類のソースを作る。午後、日本橋まで同級生の洋画展を見に出かける。ゆっくりと拝見して、百合の絵を購入。画家とベトナムの話しをしたり、絵の話をしたり、充実した時を過ごす。帰り道、地下に降りてフォションでパンを買って来た。スーツケースを片付ける間もなく、新しい週が始まる。
■2002.6.29
ホテルを朝六時に出て、空港に向かう。この日、ハノイ-成田の直行便の初就航だった。フライトアテンダンスも、興奮気味で東京に着いたら何をするのかを話していた。日本まで五時間、アジアは時差が少ないから快適だ。日本に着いたら、涼しいので驚く。車を預けてあったので、荷物を積み込み家を目指す。千葉まで三十分くらい。成田からだと本当に便利な場所だ。家に帰ると夕飯の準備をした。お土産を広げてみる。お茶碗は無事だった。家のお風呂に手足を延ばして浸かる。しばらく留守にしたので、猫が不思議そうに近寄って来た。バイタインマーケットでは、猫の餌を量
り売りしていたのを思い出す。
■2002.6.28
ハノイは朝五時前から30℃は超えている。道にはかなりの人が出ていた。この国の人はいつ眠るのだろうか。ミネラルウォーターが欲しくて、近くを歩いてみる。湖に面
してレストランが並んでいるところは日本と同じだ。ホテルの朝食は朝五時半からサービスしていた。午前中にバッチャンに行きたいので、タクシーを予約する。当日申込んで、OKというのどかさがいい。陶器の村であちこちの窯元や店を見て、買い物をしてまた市内に帰って来るここにもオペラハウスがあった。途中、車を停めてもらい、レイチや龍眼をたくさん買って来た。お昼にエンペラーという店を予約し、タクシーで出かける。ここはどこに行くにもタクシーが便利だ。オープンエアーの店には鳥籠があちこちに吊るしてあった。それから少し歩いてシャーベットなど食べる。店を見たが欲しいものはない。夜、フランス料理も出るという店に行き、ズッキーニのスープを飲む。これが美味。楽しい旅行もこれでお終いだ。
■2002.6.27
午前中に川下りのコースを予約して、天女の寺(ティエンムー)に出かけた。この寺は大越国と書かれた鐘があり、中国の色が濃い。庭には大小さまざまな盆栽の鉢が並べてあって心落ち着く。しばし、清涼の時を過ごし、午後、ハノイに向かう。ここも暑い。空港からホテルまで一時間以上も狭いバスに揺られて気分が悪くなった。ホテルは市内から少し離れたところにあり、眼下にタイ湖が広がる。ソフィテルプラザは近代的なホテルだ。
■2002.6.26
朝八時のプロペラ機でフエに向かう。ここはかつて都だったところだ。空港からバスに揺られてホテルに到着。そのまま部屋に案内してくれた。目の前は川が広がっている。帆掛け船が静かに横切って行く様は水墨画の世界だ。暑さはホーチミンよりすごい。取りあえず食事をして、午後、世界遺産の遺跡巡りをすることにした。ホテルからガイド付きタクシーを予約して、郊外の廟(カイデン帝廟、ミンマン帝廟)と市内の宮殿跡(阮廟王宮)を見学。市内の方は爆撃を受けたせいか、大部分廃虚のようになっていた。ガイドは英語を話すが、難しい単語は分からない。夜、フエの宮廷料理を食べに出かけた。ドラゴンの形をしたニンジンの飾りや、パイナップルをくり抜いて肉を差したり、凝ったものが多いが、味はそれほどでもない。見た目重視の料理だ。
■2002.6.25
朝五時過ぎに起きて、昨日のマーケットを覗きに行く。レイチやバナナも買った。朝五時から食堂が開いていて、麺をおいしそうに食べている。ここの人は早起きだ。向こう岸から続々とバイクに乗った人々が到着する。ベイタインマーケットに歩いて出かけた。道を渡るにはこつがいるが、車もバイクもうまくよけてくれるので、思いきりが必要だ。屋根の付いている市場にはたくさんの商品が並んでいるが、どうも高い。こういうところで値切ることのできない性格なので、中国茶とライスペーパーを買って戻って来た。途中のホテルの二階でサンダルと刺繍バックを見つけて、購入。ベトナムコーヒーというのを初めて飲む。ミルクというとカップの底にコンデンスミルクが注いであって、甘い。夜、知人宅で開かれた商工会の集いに参加。ベトナムについていろいろとアドバイスを受ける。
■2002.6.24
朝五時に目覚めたので、近くのマーケットまで出かけて、食料を調達する。価格と貨幣の関係はよく分からないが、見当をつけて払うと問題なく買い物ができる。まだ車も人通
りも少ない。子どもたちは大通りでサッカーをして遊んでいる。七時過ぎに昨日予約したシンカフェのオフィスに出かける。ここから二時間余りバスで揺られてミトという町に着き、そこから船に乗り換えメコンデルタクルーズに出かけた。茶色の川を泳いでいる子どもたちが信じられないくらい可愛い。ココナツ飴の工場、養蜂場、ココナツ加工工場など三つの島を巡って、六時に戻ってくる。帰りのバスがホテルの近くまで送迎してくれたので助かった。昼食も少しで、さすがに疲れたのでホイアンという高級料理屋を予約し、タクシーでホテルに帰って来た。
■2002.6.23
朝、七時半に家を出て、午前十一時の直行便でホーチミンに向かう。空港では手配したホテルの運転手が待っていた。ここでの悪質なタクシーの話は何度か聞いていたので、冷えた車内でのんびりと足を伸ばして、贅沢はすてきだと思う。ホテルはルネッサンス・リバーサイド。本当に部屋の真下が船着き場になっていて、フェリーが着くたびに大勢の人々、バイクが降りて来る。時差は二時間。夜、こちらに在住の同級生が迎えに来て、フエ料理で歓迎会を開いてくれる。同級生三人が集まって、三十年ぶりの同窓会。知り合いがいるというのは頼もしい。
■2002.6.22
午前中、千葉寺にお墓参りに行き、食料の調達を済ませ、昼から溜池山王まで出かける。千葉駅でセネガルのサポーターたちが切符を見せて乗客に聞いているが、よく分からないらしい。同じ車両に乗り込んで来たので、東京駅からShinkansen,
Osakaというのだと教えてやった。無事に夜の試合に間に合っただろうか。サントリーホールの土曜サロンはザルツブルグのお話で、後半は魔笛からアリアを唱うというすてきなプログラムだった。パパゲーノ役の塩入功司さんのバリトンがよかった。今どきの若者なのに声量
があるのだ。夜、ようやく旅の支度を始める。明日からベトナムに出かける。
■2002.6.21
伯父の告別式のため、両親を乗せて横芝まで出かける。高速道路ができたおかげで、わずか45分で到着。昔は二時間以上掛かったのに、松尾・横芝で降りるだけだ。大僧都のため、葬儀も古式に則って行なわれた。有難いお経もたくさん聴く。夕方、イングランド代表の試合も見られず、叔母たちを乗せて帰って来た。一日、年長者たちの面
倒を見たので疲れた。会社の方がずっと楽しい。夜、メイルのテストでホーチミンまで繋いでみる。28.8kの速さだ。
■2002.6.20
明日は休暇を取ることにしたので、朝、一本早い電車で出かけてみた。電車は接続がいいのか、すぐに満席になる。わずか20分の差で、通
路のシャッターが閉ざされていたり、道行く人が異なる。ちょっと不思議な町を歩いている気分だ。先日、リプトン紅茶のプレゼントに応募したら、事務所に紅茶セットが届いていた。さっそく各部署に配りに行く。昼休みに久しぶりにお弁当仲間が集まって、おしゃべりして過ごす。うちの女性たちは仲がよくまとまっている。ここ数年間のリストラの嵐に耐えて来ただけのことはある。帰り道、偶然近くに住む同級生と同じ電車になる。夜、別
の同級生二人が訪ねて来て、ミニ同窓会になる。ホーチミンの旅に付いて、資料やアドバイスを貰った。仲間というのはありがたい。
■2002.6.19
すばらしい晴れ間が広がった。会社ではアイスクリームを食べる人が続発。日傘を広げて道を歩くと幸せを感じる。日本中が熱狂に包まれ、一夜明けて、少し貧乏になったが、まだ幸せと思っている。ハイデッガーの難解な研究書を通
勤のお供にして、確実に睡眠を取る。学問から遥かに隔てられたところにいるので、哲学書は分からないながらに楽しい。【不安が直面
するところのもの(Wovor) は、世界としての世界である。無にして何処にも無いということにおいてそれ自身を告知する無意義性は世界の不在性を意味しているのではなく、内世界的に存在者がそのもの自身において全く重要さを失っており、かくして内世界的なもののこの無意義性を根拠にして、世界がその世界性において唯一で比類なき仕方でなお押し迫って来ることを意味している(GA2:
248) 】
■2002.6.18
激しい雨が降っている。午後、子どもの面接のため早退し、夕方戻って来る。日本代表はとうとう得点できずに敗退した。かなり落ち込んでいる。このまま、何を支えに生きて行けばいいのか。恋人が突然、去ってしまったような感覚。食事の用意をする気にもなれない。たかがサッカー、されどサッカー。日本中がこんなに沸いたのも久しぶりのことだろう。イタリア戦は見る気にもなれない。
■2002.6.17
月曜日から眠い。休憩が終わったら、髪型が元通りになっていたわ。これはベッカムの話題。みんなイングランド戦を見ていたらしい。次のトルコ戦が最後か、いやまだ続くと大騒ぎである。始まる前はこんなに夢中になるとは思わなかった。日本人というのはお祭りが大好きなのだ。毎月、コンサートに出かけているが、七月もこうもりを予約。こちらはネットから申し込めるのでありがたい。夜、祖師谷まで出かける。今週は行事が詰まっていて、イベントウイークだ。
■2002.6.16
鴨川経由で館山に出かける。曇り空だったのに着いたら雨が降り出した。鴨川でみんなみの里に立ち寄り、千倉のやおやさんに向かう。店先には夏野菜が並んでいた。茄子、インゲン、トウモロコシ、カボチャ。材料がいいと、どう料理しても美味しい。おどやで刺身用の鯵と鰯を買って、鰯はつみれにする。少し早く着いたので、帰りも早かった。明るいうちにお風呂に入って、アイルランド対スペイン戦を見る。ゴールデンタイムにサッカーの試合を見ることが当たり前になってしまっているので、七月になったら、どうやって暮らそう。日本中が深刻な悩みを抱えている。
■2002.6.15
明け方から雷鳴で目覚める。激しい雨の音が聞こえていたが、九時すぎには上がったので、図書館に出かけた。【チェンパ遺跡 チャン・キィ・フォン】、【東南アジア史 大陸部 石井 米雄】、【近代ヴェトナム政治社会史 坪井 善明】、【ハーバートビジネス 成長戦略論】を借りて来る。夜、イングランド対ポルトガル戦を見る。ベッカムは予想以上にかっこいい。ポルトガルには天が味方しなかったようだ。イングランドの鮮やかなボールパスにイギリス艦隊を思い浮かべてしまった。
■2002.6.14
金曜日は締切りに向けて忙しい。午後に打合わせがひとつ、原稿渡しのため、席で昼食を取る。三時半から日本代表の試合なので、早退する人も多い。早めに会社を出て、新橋経由で帰る。都心は試合のあるせいか、道が空いている。お盆の頃のような快適さだ。千葉に着いてもだれも騒いでいないので、家に着くまで結果
がわからず気を揉む。夜、ダイジェスト版を見て、ようやく納得。得点だけを見るのではなく、そこまでの過程が素晴らしい。悲願のひとつが達成されて嬉しい。始まる前までは、日本の快進撃を予想できなかったが、本当にすごいと思う。夜、遅くまでテレビにかじりついて、試合を見る。韓国も辛くも勝利してよかった。
■2002.6.13
今日も雨、湿った空気が心地よい。朝から、報告書を書き、新しい企画をまとめ、締切の仕事を片付ける。夜、イタリア対メキシコ戦があるので、テレビで観戦。トッティがシュートするが、得点には結びつかない。このまま、イタリアも敗退かと思われた後半、交代で入ったデルピエロの1点で引き分け。ロスタイムの4分間はメキシコ代表がボール練習しているようなもので、イタリア代表は走りもしなかった。何が起きるか分からないが、幸運、不運のドラマがある。
■2002.6.12
朝、窓を開けると雨。なんだか嬉しくなる。どうやら夕方には止みそうなので、折り畳み傘を持ってでかけた。午前中にレポートをまとめ、午後から原稿集め、新しいページのデザインを考えていると、一日がすぐに終わってしまう。帰り道、知り合いといっしょに新橋経由で帰って来る。バスの中でいろいろと話しをしたが、今の時代、会社の仕事だけで忙しくしていてはだめだ。自分の生き甲斐や仲間、ネットワークなどを築き上げないと、神経が参ってしまう。ゼロ成長に入ったときから、自分という個人を大切にしなければいけないと考えるようになった。仕事は生活の一部であって、すべてではない。
■2002.6.11
朝、小雨の中を出かけて行くと、丸の内は晴天だった。午前中に会議がひとつ、午後に新しいシステムを使って注文書を作成する。昼休みにミーティングルームで打ち合わせしている同僚を追い出して、女性が集まってランチミーティングにした。たまには大勢でわいわいと過ごさないと、身体に悪い。こちらは晴れているのに関東も梅雨入りした。気持ちのよい汗をたくさんかきたいと思う。夜はサッカーの試合を見る。生でこれだけどきどきさせるものがあると、映画もビデオもいらない。
■2002.6.10
朝のうちは涼しい。九州では梅雨入りしたというニュースが載っていた。一夜開けて、モスクワでは暴動が起きたと言うし、駅のスタンドには緑の芝生と青のユニホームの一面
に『稲本ゴール』と書かれたスポーツ紙が並んでいる。サッカーで暴動が起きるのを遠い国のことのように思っていたが、今では身近に感じられる。打ち合わせが一つ、原稿集めが二つ。社内を歩き回っているだけで一日が過ぎて行く。白金高輪まで歩いて東京駅経由で帰って来た。ちょうど海が満潮だった。
■2002.6.9
今日も暑いくらいの晴天。雨はどこにいってしまったのだろうか。午前中、白山まで出かけ、昼過ぎに銀座に立ち寄る。銀座は今日も大勢のひとで溢れていた。若い人が友だちと会ったり、家族連れが食事をしたりするような場所に変わっている。数寄屋橋の西銀座デパートの前で道行く人にビールの試飲会を開催していた。日射しが眩しい中、男女ともビールを片手にいつまでも動かない。喉の乾きを潤すのにぴったりの企画だった。夜、早めに夕飯をすませて、TVでワールドサッカーを観戦。息を呑むような中、日本が初勝利した。これも日本に住んでいないと分からない感動だろう。
■2002.6.8
朝、ゆっくりしていたら高倉に出かける時間を過ぎていた。六月の晴れ間は貴重なので家に留まる。図書館に行き、【ハイデッガー研究 小野 真】、【地球の歩き方 ベトナム
2002-2001】、【語学王 ベトナム語】を借りて来た。昼から食材を買いに出かけたが、とても暑い。夏の日のように、午後たっぷり午睡をする。一日無為に過ごして、夜、たくさん料理を作った。
■2002.6.7
いつも使っているG3が一度に立ち上がらなくなった。ZIP付きなのでアーカイブを取る。来週から新しいメイルシステムになるというので、保管してある手紙を大量
に消す。夕方、銀座までコンサートに出かけた。銀座王子ホールは歌舞伎に行くときに何度もその前を通
っていたが、音楽ホールだとは知らなかった。近くでお蕎麦を食べたが、これが美味。こういう居酒屋が今いちばんホットなのかもしれない。
■2002.6.6
銀座で開かれたセミナに出席する。ワールドサッカーが始まったせいか、外人の姿があちこちで目立つ。イタリア語を話している団体には親しみを覚える。セミナはいろいろな発見があって、やはり外に出ることはいいなあと思った。レポートをまとめたら、あちこちに送ろう。昼食後、木村屋に寄ったら、ここでもサッカー協賛のパンが各種置かれてあった。久しぶりにヨーロッパコーナーで珍しいパンを買い求める。日射しが強くて、まるで夏休みに銀座に遊びに来ている気分。ブルガリの門番は白髪の紳士だった。採用規定があるのだろうか。午後に会社に戻って課題を仕上げた。いい匂いのするパンの大袋を下げて帰って来る。
■2002.6.5
今週は新規の仕事と細々とした仕事が続く。昼休みに女友だちが集まって、たわいもない話をして、気分転換をする。保元物語を読んでいるが、民衆の哀しみのようなものが伝わらない。六月は祝日がないので寂しい。夕方、締切の過ぎた原稿をようやく完成させる。旅行の予約の確認や、ホテルの手配もほぼ完了した。白金高輪経由で帰るが、大粒の雨と雷鳴がしたのに、東京駅に着いたら、曇り空だった。局地的な雨だったらしい。雨天両用の日傘が役に立つ。明日は直行なので油断していたら、深夜になってしまった。
■2002.6.4
ワールドサッカーが始まって、始めての日本戦。帰りの電車の中で、まだ0対0だよという会話を聞いた。帰ってくると、ハーフタイムだった。その後は、食事も喉に通
らないくらいの接戦。応援して疲れてしまった。2対2で終わったが、勝てる試合だったと思う。まずは国際舞台で立派に活躍する選手たちにエールを送りたい。次の試合が楽しみだ。夜、ZEPを聴く。
■2002.6.3
月曜日は眠い。朝の七時過ぎに丸の内仲通りをキャリーバックやスーツケースを転がして進む高校生たちを見た。修学旅行生だろうか。リゾートの旅のガイドブックを通
勤のお供に読む。日射しを遮るもののない真夏の太陽をイメージするせいか、喉の乾きを覚えた。朝から月例レポートを作成して過ごす。不況のせいか、残業もせずにまっすぐに帰る人が増えている。付き合いで飲む機会も減ったのだろう。今年初のレアチーズケーキを作る。香り付けにコアントローを入れるのを忘れていた。
■2002.6.2
夏のような一日を過ごした。館山に出かけたのに、海も見ず、野菜や花や卵を買う。知り合いの家で夏みかんを枝からもいで貰った。これでゼリーを作ると絶品。新鮮な食材を満載して戻って来る。鯵の刺身が旨い。やはり海辺の町である。あちこち歩いたので気持ちがいい。
■2002.6.1
新しい月が始まった。冬物の洋服をクリーニング店に取りに行く。替わりに茶箱を開けると夏物が出て来た。不確実な季節の中で、衣替えすら忘れている。毎日着る洋服に頭を悩ましていたのも、夏のジャケットが出ていなかったからだ。ハナエモリが倒産したというニュースが一面
に出ていた。学生時代、あのカッティングが気に入って、毎年バーゲンには出かけていた。それが今は、ダナ・キャランがいちばん好き。
ハナエモリの服は働く女に似合わない。どうみても優雅なマダムに見えてしまうと思っていた。時代の流れについていけないと、ファッションは陳腐化する。それは時代の中で呼吸して、自ら風を創り出すものだから。
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