■1999.8.31
八月も今日でおしまい。夕方、新宿に書類を取りに出かけたら、渋谷駅の構内放送で山の手線の外回り(新宿、池袋方面)が止まっているという。仕方なく、東京から中央線で行くことにして、動いている内回りに乗って、品川まで行くと、電車が動き出したと案内があり、また引き返す。新宿に行くのにほとんど一時間半もかかってしまった。用事がすみ、帰ろうとしたら晴海埠頭行きのバスがあったので、乗り込む。新宿御苑から四ッ谷、半蔵門、日比谷、銀座、築地そして晴海までのこのバス、晴海で展示会があったときに反対路線を、よく利用した。すぐに日が暮れてしまったので、景色を楽しむことはできなかったが、東京はバスに乗って移動すると、距離感がつかめる。寂しいとき、ふらりと訪れたいと思うのは、やはり銀座。さっきまでいた新宿とくらべるとターミナル駅でないだけに、純粋に買い物や食事や楽しみのために来た人であふれている。ついでにマリオンのある阪急ものぞいてみた。どこもごく若い女の子で占領されている。三十台の女性たちはどこに行くのだろうか。町が成熟していると、おとなが過ごすのに楽しい。銀座はそういう町のはずだが、最近はかわってしまったのだろうか。
■1999.8.30
午前中、英語のニュースを読んで過ごす。アメリカからうれしい便りがとどいて、ほっとした。午後は購買の新しい担当者と打ち合わせ。夜はガーデンプレイスで歓迎会。来週から少し休むので、まとまって仕事をしているが、このくらいの忙しさがちょうど似合っている。帰りの電車の中ではすっかり眠っていたが、元気に暮らしている。月曜日はまだ、アメリカが眠ってるから、事件も起きないし、静かだ。アメリカの時刻を意識しながら仕事しているので、時計もダブルフェイスにしている。昨日、ニューヨークから帰ってきた友だちの話しを聞いて、また出かけたくなった。もちろん、仕事でなくて休暇を取って遊びに行くのだ。
■1999.8.29
朝起きて、新しい家を見に行く。玄関にもコンクリートが流され、だいぶ形ができてきた。引越しまであと10日。今日もZEPを聴きながら荷物を作る。8/29からエリザベスが封切られたが、ヘンリー八世と六人の妻で、R.
ウエイクマンが再評価されるのではないかと、ふと思う。9/1は映画の日、映画館が近くにあるのにふだんは意識して暮らしていない。10月開講の江戸東京大学に受講申込みをする。こちらは両国なので、会社の帰りに気軽によれるのがうれしい。
■1999.8.28
ZEPを聴きながら、片付けをして荷物を作る。雲が低くたれ込めているが、なんとか午後ももちそうだ。風があるから気持ちがよい。昔集めたものを見ていると、ひととき自分が熱中した物がわかって面白い。ひとときの情熱が習慣に変わることもあるが、たいていは一年前のことをきれいに忘れている。大切にとっておいた情報も、どんどん古くなって意味をもたなくなってしまった。三年前のレストランガイドなど、ぐるなびに置き換わってしまった。ただ中に色あせないものがあって、それは何かといえば、作家が創作に付いて語ったこととか、人生について素直に述べているものなど。今読んでも、感心することがある。そう言う意味で古典というのは、いつまでも新鮮な気がするのだ。
■1999.8.27
猫のように濡れるのがきらいで傘を持ち歩いているのに、こんな大雨の朝に傘を持ってないことに気付く。バスに飛び乗って、信号が変わるのを走ってなんとか会社にたどり着いた。ThankPadはごきげんが悪くて、ネットワークが途切れてしまう。月曜日にまた、修理に出すことにした。久しぶりに英語のページを見て勉強する。八月最後の金曜日に、まっすぐ家に帰るたのしさ。猫二匹と遊んで、夜好きなだけ起きていよう。10月開講の英語のコースに申し込む。秋になったら、少しまとまって勉強したいと思っていたのでこの企画はうれしい。抽選で当たるかしら。
■1999.8.26
夕方、香港からのビジターと会議。新しい仕事が始まると、たぶんアジアへの出張が増えるだろう。会社を出るとき、外がずいぶんと暗くなっていることに気付く。バスを待つ間にちょっと前までは本が読めたのに、もう夏もおわりだ。夜、外を歩くと涼しい風が吹いてきて、確実に秋の訪れを感じる。
夜、家族を集めて引越し準備の会議を開く。結局、この半年間使わなかった物は、いらないということだ。何も持たない生活に憧れる。
■1999.8.25
午前中、法務局、区役所、銀行とあちこち回った。どこも人でいっぱい。引越しの前だというに猫用のじゅうたんを衝動買いする。価格は秘密。行きつけの洋菓子屋でおやつを買って戻ってきた。午後はカーテンを決める。カーテンって本格的にオーダすると驚くほどの価格になる。iBookが何台買えるかと換算するひとがいて、話はなかなかまとまらない。きょうもなにもしないで夜になってしまった。引越しまであと二週間。
■1999.8.24
千葉行きの快速電車に乗っていたら、市川駅手前で臨時放送が流れた。ただいまお茶の水構内で落雷がありました。この関係で黄色い電車は止まっています。現在、東京地方は激しい雨と落雷のため、お早めの帰宅をお勧めします。親切な放送だ。しかし、駅の方が黄色い電車とは、驚いた。各駅停車と言わないと全員には伝わらないのではと心配する。家についたら、空が紫に輝いていた。稲妻はなく、光だけが反射いるのだ。太鼓のような音もしたが、結局雨は降らなかった。
■1999.8.23
月曜日にガーデンプレイスでオフ会をする。会社からバス一本で着くことを発見、さっそく東京探検をした。ランドマークとしても目立つが、人工的な都市空間もあのくらいの規模だと心地よい。赤レンガの壁に水が流れていて、その前に立つとやはり涼しい。ふつう恵比寿駅からしか歩いたことがないので、恵比寿4丁目からのアプローチは新鮮な気分がする。ネットで知り合った人たちだが、日頃から共通の話題でつながっているので、会えばすらすらと話が進む。このネットワークは大切な財産だと思う。
■1999.8.22
新しい家のカーテンをいきつけのスーパーにお願いして取り寄せる。夏物のセールをあちこちで開催していたが、引越しを控えているのでぐっと抑える。荷物は最小限にしないと、いつまでも片付かない。といいながら、夏服の価格チェックは怠らない。来週来たときに思いがけず安くなっていたら、きっと買ってしまうだろう。大きな物は買えないから、靴下とか、ピンとか、小物をちょっぴり購入する。新しいものを身につけて外出するのは女の楽しみだ。リボン一つだっていいのだ。昔の人は半襟一つといったりした。家族がいるのでZEPのBBCセッションをごく控えめに聴く。それでもロック漬けの生活は愉しい。
■1999.8.21
朝日が部屋に射し込んで目が覚めるとまだ六時前だった。昨夜、あちこち開けたまま寝てしまったので、あわてて雨戸を少し閉める。食事の後、野菜の買い出しに出かける。三芳村は種類が豊富で、新鮮なので気に入っているが、ここで新しい野菜をたくさん教わった。いまはモロヘイヤのねばねばした感触が気に入っている。そよそよと風が香しい。何もしないのに風に当たっているだけで眠くなるからふしぎ。いっしょにいる家族もみんな、枕をもって風の入る窓を探す。雑誌を読みながら、うとうとして、午後は近くの本屋に出かけた。さざえのつぼ焼き、カツオのたたき、もやしとふかひれサラダと、材料だけ求めて、切って並べるだけでたちまち豪華な夕食となるのがありがたい。海の町はいいなあと思う。
■1999.8.20
雲の切れ目から青空がのぞいているのに、外に出たら雨が降っていた。会社を早びけして館山にいく。週末ゆっくりして、最後の夏休みというところ。日中の快速電車は車両も短くて、親子づれがたくさんいる。なんだか別世界のような気分だった。金曜日はなんとなく嬉しい。とくに予定がない週でも自由な時間が待っているというだけで贅沢な気分になる。今週もたくさん仕事をした。
■1999.8.19
めずらしく遅くまで残って仕事をしていた。会社にはいくつかの顔がある。早朝の顔、日中の顔、そして、定時過ぎの顔。たいていは早起き組なのだが、たまには夜のメンバと仕事するのもいい。このまま、ずっと残っていたいと思う時間があるのが、ふしぎ。疲れているはずなのに、何かはしゃぎたいような気分。アメリカから心外な手紙をもらって、少し落ち込んだが、気を取り直して、Thank
you for your information, で始まる手紙を送る。誤解をそのままにしておかずに、すかさずこちらの状況も伝えて・・。外国人に日本のことをわかってもらうのはやはり根気がいる。むかしは、こういう回りくどいことが大嫌いだった。でも、きらっていては、前に進めない。このあたりがうまくさばけるようになれば、本物のおとなと言えるのだろうか。
■1999.8.18
暑い一日だった。朝食にホットケーキを焼いてもらい、フォーションの甘夏紅茶をアイスティーにして冷蔵庫に備蓄する。これで水分を補給しながら、家の片付けをする予定だったが、カーテンのサイズを計ったくらいで、一日が終わってしまう。それよりも道路を止めて、コンクリートミキサー車がコンクリートを流し込むのを見学している方が楽しい。お天気がよかったので流し込んだコンクリートは夕方には固まっていた。こんなとき、猫が歩いたらどうしようかと心配したりする。ちょっと刺激がほしくてZEPのBBCセッションを聴く。
■1999.8.17
仕事がてきぱきとはかどる一日だった。久しぶりに充足感を味わう。みんなお盆開けで忙しいらしくて、邪魔する人がいない。毎日がこんなだったらいいのにと思う。明日は休み。八月だけ毎週水曜日を休暇にしているので、週末が二度あるような愉しみがある。夜半、風が出てきて涼しい。どこかで秋の訪れを心待ちにしているようなところがある。もらったバジルに水をやる。
■1999.8.16
レカンのケーキを買いに銀座まで出かけた。四丁目から一丁目まで、いつ歩いてもわくわくする。おいしいものをちょっぴり味あうのが、おとなの生き方だと思う。たくさんはいらない、次の機会まで愉しみをとっておくのだ。電車はまだ空いている。寒すぎる車内で外の雲を眺めていた。もう秋の気配がする。夕暮れも思いのほか早くなって、夜の過ごし方を考えなければいけない。本を読むのにも体力がいる。やはり音楽がいちばんかしら。真面目に語学の勉強をしたいと思った。
■1999.8.15
昼前に荻窪から帰宅、フレンチトースト、仙台蒲鉾、えびぎょうざに自家製ポテトサラダと、終戦記念日にふさわしい昼食をとる。食事もグローバルということか。昼寝を少しして、のんびりと午後を過ごす。明日からは会社、でも八月は水曜日に休暇を取っているので、休み感覚が抜けない。猫が寂しがって甘えてくるので、相手をしてやったら、夜になってしまった。こういう無為な時間がいちばん贅沢だと思う。お盆休みに遊びに来ている妹たちとしみじみ話しをする。そんなとき、八街で求めた落花生がほどよく似合う。
■1999.8.14
朝早起きして墓参に出かける。台風のような雨が続いていた。八街の寺では線香の火が付かなくて困っていたら、住職が親切に火を貸してくれた。小堤では雲の切れ目に傘無しでお線香をあげることができた。みんなわたしの御先祖さまで、いつも影ながら守ってくれるような人たち。それから荻窪へと向かう。高速道路のおかげで一時間半で到着。おおきな渋滞にも出会わずにすんだ。夜は新宿でロンドンのオフ会。一日のうちに、あちこちと出かけたので遠い旅をしていた気分になる。
■1999.8.13
15時すぎに帰宅。荷物を抱えた家族連れがたくさん電車に乗っていて、民族大移動の一辺に接する。夕方、親戚の新盆見舞いにでかけ、雨の中を帰ってきた。そのあと久しぶりに甥たちと食事する。刺身盛り合わせ、カボチャの煮付け、焼き鳥、ししとうの炒めものなど、日本のなにげない夕食を楽しむ。お盆は短いから、夏の過ぎ去った日々を思い出すのにちょうどよい。海辺で過ごす一日と違い、都市の生活はいろいろな音が混ざっている。
■1999.8.12
仕事をするために会社に来ているのだが、こまごました手続きや手直しに追われる。 ようやくUS出張の精算を済ませた。お盆だというのに電車はすこし空いている程度だ。会社にも大勢ひとが働いている。外資の会社では夏休みが自由にとれるので、わざわざ混んでいて高いときに移動するひとは少ない。昼休みの雑談で、旅行の計画を立て、その合間に仕事するのがいちばんだという話で盛り上がる。楽しいことが待っていると、少し無理もできるし、頑張ろうと思う。長くはたらくには、それなりに有意義な愉しみを見つけないと続かない。最近は毎月オフ会があって、いろいろな業界の人と知り合いになってしまった。こういうのもWebを介しての利点である。今回は幹事なので、恵比寿方面に足をのばしてみようと思っている。
■1999.8.11
恵比寿ガーデンプレイスまで、ビジターを迎えに行く。昼過ぎまで会議が延びて、食事をしてもどったら二時半だった。午後がとても短い。あわててメイルを書く。今週中にやらなければならない仕事がいくつか残っていて、金曜日に早く帰るためには工夫がいる。玄関のトルコキキョウが暑さのためにぐったりしていた。猫も同じようにだるそうだ。人間だけが暑い中、働いているような気がする。
■1999.8.10
都バスもお盆ダイヤになっていて、本数が減らされている。道はまだ混んでいるが、これからの数日が極楽の日々。東京からたくさんの人が逃げ出して、残った人がほっとする時間だ。雨が降ったり止んだりで、傘を使うことがなかった。心なしか涼しい気がする。夏もあと少し。学校の宿題からは解放されているが、仕事の上ではいつもたくさんの課題を抱えてうろうろしている。どちらが幸せだろうか。
館山では見事な星空だったが、千葉では夜、空を見上げることもない。
■1999.8.9
朝いちばんに本屋さんに出かけて、雑誌を探すが、気に入った本がみつからない。那古観音の四万六千日ということで、暑い中を出かける。境内に植木屋が何軒か店を出していて、ハイビスカスや、ベンジャミンなどこの地方独特の植物を並べている。紫のとうがらしを始めてみた。実際に食べることもできるという。植木市は眺めているだけで楽しい。お線香を買って、お札を貰い、お参りする。重文に指定された千手観音や、大日菩薩の有り難い姿に手を合わせる。境内には蝉の声が雨のように木霊して、夏真っ盛り。海に面しているだけに風が爽やかで暑さはそれほど感じなかった。
■1999.8.8
館山の花火大会に出かける。六時すぎに海岸に着くと日曜日のせいか、いつになく賑わっていた。毎年、これを見ないと夏になった気がしない。家から歩いて10分ほどで海岸に着き、用意したお弁当を食べながら暗くなるのを待つのだが、海岸でたべる食事は、また格別。海を見ながら、夕陽に富士山のシルエットが浮かび出るのを眺めたりして時間を過ごす。ここのは海から打ち上げる花火が見事で、空気をバリバリと震わせて、打ち上げられる。
■1999.8.7
平和公園まで墓参にでかけた。明け方、雨が降ったせいか緑が生き生きしている。引越しまであと一月になった。猫たちにも引越しのことを伝える。わかっただろうか。明日からは立秋。毎日の暮らしは、さして変化があるとは思えないのに、振り返ってみると何かが始まっていて、驚かされる。出会いが予想しなかった道を示して、その結果、新しいことが始まるというのが、最近の傾向だ。まるで神様の手のひらで踊らされているのではないかと、思うことがある。偶然ということばで言い切れない運命的な出会いとでもいおうか。忙しいと、頭の芯まで使うことがないから、悩みも少ない。なやみというのは、時間の余裕のあるときにできることなのかもしれない。
■1999.8.6
来週、突然来日することになった要人の手配に追われる。この時期にひとを集めて会議をやるのは大変だ。夏休みを返上して参加する人もいるが、宮仕えのつらいところ。大きなセミナールームを押さえる。わたしはオースチンでもうお目にかかっているので、再会が楽しみ。夕方、新会社設立パーティに参加する。オフィスがすっかりきれいになってしまって、数カ月前までいたところなのに、印象が違う。
こちらは家庭的でほっとした。知り合いとお話しながら、メキシカンフードを堪能する。おみやげに百合の花をいただいた。立派すぎて仮住まいにはもったいない。
■1999.8.5
頭の中にひとつのストーリーがあって、その破片のような物を偶然、他の場所で見つけることがある。Webの友だちと話をしていると、いつになく素直に相手のことを理解しようとやさしくなれるのも不思議。人の心の中にはいくつもの引き出しがあって、会う人によって、そのどれを開けるのか決まっているような気がする。好きな人の前で素直になれなかったのは昔のこと。いまは、自分でも予想しなかったようなアイデアが、いくつも浮かんでくる相手と話しているときがいちばん楽しい。自分のことはよくわかっているつもりなのに、相手の瞳の中にもうひとりの別の人間を発見する。今日もELPのworksを聴く。
■1999.8.4
ELPのworksを聴きながら、荷物を広げて片付けを始めたが、遅々として進まない。司法書士の事務所に初めて出かける。家を建てるには建築資金のやりくりだけでなく、登記とか、税金とか面倒なことが次々とやってきて、時間が掛かることばかり。今頃になって、こういうことをみんな当たり前のようにやってきたのだと驚く。区役所に印鑑証明書や住民票をとりに行き、ここには潤沢にひとが配置されていると、感じた。役所につとめて五時すぎに帰宅し、インターネット漬けの毎日も悪くないなあと想像してみる。荷物は夜になっても片付かない。出しては仕舞い、少しも捨てられない。思いきって全部捨てるか、このままにするか、数週間の内に結論をださなくては。
■1999.8.3
暑さが峠を越したかという話題で盛り上がる。東京近郊に最近引越しした友だちは、やはり緑に囲まれた土地柄が涼しいという。都会ではだれでも窓を閉め切って、冷房しているから、熱気が放射されて、よけいに熱いのかもしれない。この仮設暮しはそれなりに快適。冷房を掛けるのは週に一度くらいで、夜は二方の窓をあけて、扇風機を回すだけでずいぶん過ごしやすい。寝るときは当然窓は閉めるが、古い家だけに自然換気しているので、むっとする暑さがこもったりはしない。久しぶりに東京駅から特急で帰ってきた。房総方面は定期乗車券でも特急に乗れる。東京-蘇我の30分間、東京のベイサイトを眺めて過ごす。5分前でも座れるところがローカルで嬉しい。
■1999.8.2
夏の日の電車の中で、足りない睡眠を取るのもわざのうち。仕事はたのしいが、短い間にたくさんのことを判断して、不義理にならないようにするのがむずかしい。 好きなことだけやれた昔がなつかしい。家に帰っても家族を集めて、引越しの会議。こんなときiBookは愉しいかしらなんて考えてしまう。長い休みが取れないから、八月は毎週水曜日を休むことにした。週末と休みの間に、ちょっぴりお仕事。優雅のように見えて、気分転換を上手にしないと調子がでない。
■1999.8.1
海日和の一日、海の風を感じながらうとうととする。海辺の町はふしぎなほど静かだ。何週間かぶりで休日を取ったような気がする。洗濯物が全部乾いて、とうもろこし、なす、うり、メロンと野菜がたくさん並び、はまぐり汁など食して、こういうのが日本の夏だと実感した。夏の記憶はいつもあいまいで、去年の今頃なにをしていたのだろうかという質問にだれも答えられない。じゅうたんを片付け、夏掛けを出してようやく夏の準備が整った。あとはゆっくりするだけ。
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