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■1998.8.31

台風がそれてよかった。冷房のスイッチを切り忘れた部屋のように涼しいが人工的な寒さに似ている。昨日作ったウリの即席付けを食しながら、日本の歴史を読む。奈良・平安時代は懐かしい気がする。知っている和歌もふんだんにあって、懐石料理のコースのように素朴にみえて奥深い。鎌倉・室町の文化には抵抗があって、お能もみるが、ここはスキップ、老舗の看板だけのてんぷらやのよう。江戸時代は大好き。特に元禄時代がいちばん、ここは豊潤な香りのするメロンの付いた幕の内弁当のようなもの。よそ見をしながらでも安心して食べられる。ごはんはふっくらしていて、焼き魚は香ばしく、蒲鉾、卵焼きといろどりよくまとめられている。この時代はやはり町民が主役だ。さて、いまの平成はなんだろう。だしも取らずに、みりん、醤油などをけちった煮物のように、ねぼけていて、見た目が悪くて、たべても歯ごたえがない。


■1998.8.30

南房総は一部雲はあったものの一日中夏空が広がる。こんなことならプールで泳げたのに、と当たらない天気予報を笑っていた。洗濯したシーツは乾いたし、日の差し込む部屋は夏そのもの。鯛飯を炊いてごちそうを並べ、夏休み最後の日曜日を楽しんだ。夕方、千葉に帰る途中、雲が垂れ込めていて、雨まじりの天気になっていた。そして家に着くとずっと雨だったと聞いてまたびっくり。わずか100キロしか離れていないのに、こんなに天気が違うなんて。安房の国では、晴れた一日をみんな当たり前のように過ごしていた。隣のが嬉しそうに散歩から戻り、やっぱり嘗められてしまった。


■1998.8.29

朝から地震で驚く。東京湾震源でこんなに揺れたのは久しぶり。雨はときどき思い出したように降っては、また、ピカリと照っている。一日のうちに天気が変わるのはロンドンみたい。ELPを聴きながら、部屋の片づけをしている。めずらしい鳴き声がするので見たら、四十雀が来ていた。もこんな天気だと困るだろう。また、雨が降って来た。雲の向こうに太陽が透けて見える。反対側は、鉛色の空が広がっている。これからお出かけする南房総はどんな天気だろうか。退屈しないようにPowerBook5300を持って行く。読む本も積み込んだし、あとは安全運転ですね。


■1998.8.28

大雨や台風の情報が次々と入ってくるが、千葉はほとんど影響なかった。雨も降っていない。金曜日の夜なので、遅くまで起きていて庭の虫の声を聴いていると、秋だなあとしみじみ思う。今週の週末は予報によれば大荒れの天気。でも、でかけるつもり。本を好きなだけ読んで、ごちそうを食べて、気分転換に買い物する。極上の週末に晴天はいらない。


■1998.8.27

お休みなので、東銀座まで切符を取りに行って、キムラヤでバゲットを買って、そのあとちょっぴり秋葉原に寄る。あそこは長く滞在すると課金されそうだから、いつも慌てて帰って行く。先月長居をしてパソコンを衝動買いしたので反省している。午後は図書館で新刊書を三冊借りて来た。週末にまとめて読むつもりだが、わくわくしている。夜は久しぶりにキングクリムゾンの宮殿を聴く。70年代ロックのサイトを見つけて嬉しくなる。David Bowieを少し追加。充実した一日だった。


■1998.8.26

会議の合間に急ぎの仕事をして、明日はお休みだから機嫌がよい。不毛な会議もあるし、発言しているひとの人格までわかることもある。自分が楽をするために、ひとに仕事をさせようとする人は、誰も付いてこないことにある日気付いてがく然とするものだ。週の間にブレイクがあると、時間の流れが変わる。働いているからこそ、休みが嬉しいのであり、一日家にいたら退屈してしまうと思う。猫二匹と優雅に付き合って、夜遅くまで起きていられる幸せ。


■1998.8.25

一日中、なにをしていたのだろうか。人が訪ねて来て、ちょっと話をしていたらもうお昼だった。仕事の事で、なにもかも中途半端に抱えたまま、一日が終わる。やりきれない気分だ。ネットワークは異常に遅いし、予定していたことがなにも仕上がらずにぐすぐすと夜になってしまう。帰って来てBSのバビル二世特集見たことが唯一の楽しみ。


■1998.8.24

江戸東京大学に通って、もう何年になるだろうか。今年も10月に開講するのでさっそく申し込んだ。こんな豪華な講師陣は他ではお目にかかれない。毎年のことだが、案内の手紙が来ると嬉しくなる。なぜか夏が過ぎて秋になると、突然勉強がしたくなる。寒い冬の訪れを予感し、なにかに没頭しないと寂しさに負けてしまいそうな気がするのだ。一人暮らしはロンドンの十か月+二か月とフェニックスの二か月だけ。長い夏がおわって、夕暮れどきが哀しくてたまらなかった。いまは家族に囲まれてにぎやかで、ひとりになりたいと切に思います。


■1998.8.23

他人の作ったごはんを食べるのに飽きて、スーパーで野菜を買い込み、家で昼食を作る。焼き茄子、とうもろこし、鮭ごはん、仙台かまぼこ、中華もやしサラダ、切り昆布のマグロ煮。外食ではとうてい実現しないメニューだ。食後にヨーグルトと梨を食べて満足する。やはり我が家がいちばん。午後、本を片手に昼寝をする。これが休日の醍醐味だ。あと一週間で夏もおしまい。朝晩の涼しさは秋を感じさせる。今年の夏は西瓜をたっぷり食べたかしら。冷蔵庫に眠っている西瓜を切る人がいない。この頃なぜか女性のかたから手紙を貰うことが多いが、これが嬉しい。70年代ロックを愛しているひとは手紙ください。昔と現在が奇妙なほどすっきりと繋がるのだ。バブルといわれた80年代はもしかしたら存在しないのかもしれない。


■1998.8.22

久しぶりに本格的な中華が食べたくて、新宿二丁目まで出かける。この随園別館がまだきたない店だった頃からの付き合いで、ニ十年くらいになるだろうか。連れて行った人はみな満足して帰って行く。おすすめは水餃子。荻窪の親戚のところに遊びに行き、早寝をする。ここでもなぜかインターネットが繋がるので、寝る前に書き込みしておく。ちょっと不思議な気分。思いがけなく涼しい一日だった。


■1998.8.21

近く結婚する予定の友だちと食事をする。ウェディングドレスはどこで売っているのかと尋ねられて、探してあげることになった。幸せな人の近くにいると幸せのお裾分けのようなものがあるみたい。源氏物語集成第一巻の続きを読んで過ごす。藤壷の宮が源氏のこどもを懐妊したのは、桐壷帝が計画的に仕組んだことで、最愛の源氏の子供を次の帝に付けようとしたのだという学説に興味引かれる。いまの国文学者はかなり人間性に迫った研究をするらしい。トリスタンとイゾルテにあるように老いた夫と若くて美しい妻というのはそれだけで、文学的な要素を持っている。


■1998.8.20

風向きのせいか、近くの神社で開かれている夏祭りの音楽が聞こえてくる。民謡なのか、演歌なのか歌い手は老人クラブの若手らしい。残り少ない夏の夜を家族揃って健全に楽しむというわけだ。昔、縁日の模擬店でもらった金魚の扱いに困って、近くの池に放流したことがある。空気の抜けたヨーヨーとか、とけかかった綿あめとか夏の残骸がころがるのも怖い。子供の頃は山車をひいて近くの集会所でお菓子を貰うのが楽しみだった。家では決して買ってもらえない毒々しい色付きの飴やイカなど、魅力的な内容だったことをいまでもよく覚えている。あの頃は東京の郊外は混み合ってもいないで、たくさんの自然に囲まれていた。でも外で遊んだ思い出は数えるほどしかない。


■1998.8.19

真面目にせっせと仕事をこなしている。基本的に会社で働くのは好き。だが電話は嫌い、突然予告なく飛び込んで来て、応対させられるのが苦手。小学生の電話相談室のような一日だった。疲れてくると相手の言っていることを理解するのに時間が掛かる。電話をとりながら、メモを書いている。そういえば、大音響でロックを聴いていない。暗いニュースばかり聞いているので、夏だというのに灰色の空を見つめる。8月も残り少ない。都会の夏は、お盆を境にとたんに寂しくなる。そんなことばかり嘆いていても仕方がないので、少し勉強でも始めましょう。


■1998.8.18

休暇が終わって、世の中的に人が戻って来たようだ。なんとなく電話が多い、人が突然訪ねてくるなど仕事のあたりがざわざわしている。一日何をしていたのだろうと、ふと我にかえって反省することもしきり。今付き合っている人は、第一世代から、第四世代まであることに気付いた。当然ながら話す言語も違う。第四世代の人は、会社のWebを使って、CGIの実験しようと大胆なことを考えているらしい。敬語が使えず、だれでも友だち言葉だ。こういう人の親というのが全共闘世代だったりして、いろいろと考えさせられる。


■1998.8.17

ネットワークが一部ダウンのため、朝から外付けHD、MOを袋に詰め、本社のNISまでタクシーを飛ばす。昔からこういう派手なことばかりしていたが、最近は地道な仕事が多かったので、すっかりKnow-howを忘れていた。こういうとき日頃の人間関係がものをいうので、NISのお兄さんたちは本当に親切でありがたい。なんとか無事復旧して昼ご飯はオフィスで食べられた。月曜日の午前中に重大な仕事をするなといわれたが、ここが外資のつらいところかもしれない。午後、生意気な新人君に励まし?のメイルを書いて気分転換する。新人は始めが肝心ですからね。


■1998.8.16

夏らしい一日だった。朝起きたら、温度計が三十度を越えている。じっとしていても汗がでて、こういう汗は大事だ。海からの風が爽やかで、借りて来た源氏物語研究集成第一巻を読んでいた。海の近くで須磨・明石の話を読むと風情がある。海の景色は昔とそう変わっていない。源氏物語の原文は難解だといわれているが、声に出して読んでいると不思議と頭に入ってくる。古典といえども日本で暮らしている以上は頭の片隅に留められているから、思考回路の水門を開けさえすればだれでも分かるのだそうだ。高校生の夏、円地文子訳の源氏物語を読んで、そのときは物のあわれと色好みが理解できずに、源氏の生き方を批判したりしていた。物語だからそう腹を立てなくてもいいのに、ところどころに真実が織り込まれていて、こちらの気持ちを見すかされたように思ったりもした。あれから幾十年かたって、いまは夏の日の楽しみに源氏を読んでいる。


■1998.8.15

土曜日だというのに、早起きしてお墓参りにでかける。今回は三箇所なので、途中で足りなくなったお線香を買い足す。まだ道路が空いているうちに、のどかな田園風景を眺めながらドライブするのは快適。こんなに涼しくていいのだろうか。例年のことだが、お墓参りをするとほっと安心。いろいろとお願いやらご報告やらあって、御先祖さまも苦笑しているでしょうね。帰って来て食べる朝食は格別の味でした。久しぶりに図書館に出かけて新書をあさってくる予定。夜からまたお出かけします。


■1998.8.14

白金でおいしい会席をいただく。隠れ家的なところで、丁寧なサービスにいつも感激する。いつもちまちました家庭料理ばかり食べていると、お品書きつきのコースはひとつの贅沢だという気がする。週末なのに遅くまで仕事をしてしまった。都心はお盆のせいか、ところどころ混んでいて賑わっている。みんなどこに行くのかしら。それにしても、今年の夏は暑くなくて過ごしやすい。


■1998.8.13

わたしが休んでいるうちに、いろいろなことがあったらしく、結婚する人、今日で辞める人などさまざまな人間模様があった。人生はドラマのようだと言った人がいたが、人間がドラマを作るのだと思う。だれでも一度は主役を演ずるらしい。長いこと人間をしていると、立ち止まって考えることも多い。夏の日の思い出、哀しい別れと新しい門出がだぶっている。


■1998.8.12

会社のなかは長袖でも、まだ寒い。お盆のせいか電車は空いているし、電話は来ないし、まるで休日出勤しているみたい。たまったメイルを読みながら、少しづつ社会復帰する。まあ当分はこんな感じかしら。たくさんのパスワード見事に忘れていました。帰って来てから、会社の秘密を猫に打ち明けて、王様の耳は猫の耳を体験している。猫は口が固いから何をいっても安心。


■1998.8.11

長かった夏休みも今日が最後。締めくくりにお寿司やさんにでかける。ようやく暑くなって来た。また週末にはここにくるので、楽しみはそのときにまた。夜早く休んで早起きする習慣はこれからも続けようと思う。


■1998.8.10

日焼け止めクリームを塗って出かけたが、それほど日射しは強くない。いつもなら海岸でパラソルの下でサングラスをしながら本を読んでいるのに、海で遊ぼうという気分になれない。せめて食事だけでも季節感をだそうと、とうもろこし、枝豆、西瓜など並べてみるのだが、暑さが物足りない。座っていてもじわっと汗がでるような天気でないと、夏の楽しさが出てこない。海辺の町は、少し窓を開けて寝ただけで、寒くて目を醒ます。熱い麦茶がおいしい。


■1998.8.9

夏は海辺のまちで過ごすのが最高。浅蜊の味噌汁に、マグロの刺身、カレイの唐揚を食す。食料や必要な物を買い込んで、好きなだけ寝て、おいしいものを食べる生活が始まった。いつも野菜をかう【土のめぐみ館】では、恒例の縁日をしていて、たこ焼き、かき氷、ポンせんべい(米をふくらませたせんべい)などをわいわい言いながら並んで食べた。夏の風情を満喫した一日でした。


■1998.8.8

暦の上では今日は立秋。秋の気配を感じられるかと、休日の朝、六時前から起き出して、景色を楽しんでいる。東京の朝もなかなか趣があっていい。朝は焼き立てのパンとミルクティー。ワイルド・ブルーベリーを付けてパンを頬ばると、しみじみと幸せを感じる。朝型の生活を始めてから、朝食が楽しみになった。冷たくした温泉たまごがまたおいしい。


■1998.8.7

「何ひとつ書く事はない 私の肉体は陽にさらされている 私の妻は美しい 私のこどもたちは健康だ 本当の事を云おうか 詩人のふりをしているが 私は詩人ではない」I have nothing to write, my body is shining under the Sun. My wife is beautiful, my children are healthy. Shall I tell you the truth? I pretend I'm a poet, but I'm not. (「鳥羽1」谷川俊太郎詩集の『旅』の一節より)


■1998.8.6

知り合いのおばあちゃまとNHKの番組趣味悠々あなたもホームページを見ている。78歳とは思えない若々しい方だが、つい最近自動車の運転を辞めたばかりで、かわりにコンピュータを始めたいという。インターネット接続をはじめたら、きっと新しい世界が広がるだろう。これからの高齢者は精神的に自立するために、パソコンが必須になっていくのではないか。


■1998.8.5

毎日早起きが習慣になっている。毎日起床が五時半というのは、信じられないが本当だ。この部屋には朝の光が回ってくるので自然と目が覚めてしまう。すると当然ながら午前中が長い。本を読んだりしてもまだ十時だったりする。久しぶりに日経本紙を隅からすみまで読んで、日本の経済について考えてしまった。絶対にみんなで怒りを示さなければ、こんな低金利で、購買力が冷えきっているのに気付いていないのだろうか。なにかを変えなくては。早起きしたので、午睡する。


■1998.8.4

午後から雨。そのせいか夜景が特別きれいだ。ここからみる恵比寿ガーデンプレイスやウエスティンが映画のシーンのように美しくライティングされている。休みの間に、春の旅行記をまとめているのだが、暑さのせいか進まない。ウィーンのところで一週間以上もとまっていて、ようやくイタリアに入った。フィレンツェは京都のように見どころがやまほどあるし、どうやって紹介したらいいかと迷う。暇なので、平安朝の物語を現代語訳ふうに書き始めた。こちらはいい加減に書けるので気晴らしになる。


■1998.8.3

昼間空がいきなり暗くなって、雷鳴だけが聞こえてくる。一雨降ればいいのにと思っていたが、なにも変わりない。東京のどこかで激しい雨が降っているらしい。休暇中なので、せっせと懸賞はがきを書いている。試写会なんか全部当たったらどうなるのかしら。学生時代はずいぶんとお世話になったが、最近は興味を失っていた。芝居、音楽に楽しみの比重が移って、映画のことは忘れていたのである。だが、だれよりも早く新作が見られて、しかも招待という試写会は魅力的。女はこういうところで得した気分になれるのだから、目出たいと思う。


■1998.8.2

梅雨明け宣言があった。気象庁というところののどけさ。天気のことがニュースになるのだから、日本は平和なのだとしみじみ思う。おいしいパンが食べたくて、日傘もささずに出かける。じわっとくる昼下がりの夏を体験するために。ゆるやかな坂道をくだり木陰を選んで歩く。首筋にうっすらと汗がにじんできたのを、ティッシュペーパーで拭う。休みというのは、こんなことを生真面目に実行するためにあるような気がする。


■1998.8.1

今日から八月。冷房の効き過ぎる部屋にいて、雨混じりの外を見つめていると、今がほんとうに夏なのだろうかと疑う。この頃、季節が変だと思いませんか。五月は梅雨のように雨続きだったし、六月から暑い日が続いて、このまま夏になるのかと思ったら、ぐずぐずしている。うっとうしい日本の夏も、過ぎてしまえば、懐かしい思い出がたくさんある。火照った体を冷やすために海で泳いだり、冷やした西瓜を食べたり、あるいは茹でたてのとうもろこしや枝豆を食したりと楽しさはつづく。


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