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■1999.11.30
今日で十一月もおわり。明日からは師走が始まる。朝、銀行によったついでに東京駅からバスに乗って、内幸町、新橋、一の橋、三の橋、四の橋と観光コースを楽しむ。暖冬のせいか、イチョウの色付きもいまひとつだった。皇居のお堀を眺めながら、東京の朝もすてきだと思う。ゆっくり出勤したせいか、遅くまで残って仕事をする。夜、会社に残っているといつまでもいられそうで怖い。適当に切り上げて帰らないと、本当に電車がなくなってしまう。これまで朝方の仕事配分だったが、だんだん出勤時間が遅くなって、会社の滞在時間も増えてきたような気がする。明日は休暇をとった。週のなかばの休日はとても貴重。
■1999.11.29
台湾にいる弟が出張で来日する。前回は仮設住宅すまいだったので、今回はゆっくりと滞在してもらおう。台湾は地震の影響で旅行者が極端に少なくなっているらしい。いまが旅行のチャンスだそうだが、でも命も惜しい。頂き物の新ワインを封切って、再会を祝う。それにしても朝晩はかなり厳しい寒さだ。雪のニュースを聴くと、こちらまで寒くなってくる。久しぶりにマントを出して出かけた。オシャレもしたいし、寒さは嫌いなので、毎朝、頭を使うことがたくさんある。
■1999.11.28
久しぶりに家にいて、オーディオ装置をいじったり、鹿の頭のはく製をかざったり、猫と遊んだりして過ごす。少し遠くのスーパーを開拓して、買い出しに出かける。一週間分の食料を車で買いに行くのはアメリカの生活みたいだ。郊外に出たので道が広くて空いているし、そんなことを考えたのかもしれない。スーパーに着くまでの景色にこだわるもの我がままといえばそうだが、ふだんは混雑した町中の狭い駐車場に車を停めて、ここでもう、うんざりしてしまう。ツェッペリンのBBCライブを繰り返し聴いている。
■1999.11.27
東京ビックサイトにいくには、浜松町駅の貿易センタービル1Fから出ている都バス【虹1・東京ビックサイト】行きに乗るのが愉しい。途中、レインボーブリッジを通過しますというアナウンスがあって、海から入っていくような気分になれる。ゆりかもめは、遅いし景色もいまいち。バスの方がずっと観光気分に浸れる。土曜日なのに道路が空いていた。お台場は新しい見所がたくさんあって、ここや天王州アイルなどで休日を過ごすのも、気分が変わってよい。歩きやすいシューズを忘れずに、荷物は少なめで出かけよう。帰り道、馬喰町の駅長室で監視カメラをみる機会を得た。だれもいないホームもちゃんと画面に写し出されていたから、危険なときは助けがくると思う。上りと下りで音楽が変わって、電車が入ってくるアナウンスが聞こえる。貴重な経験だった。都バスの定期券を持っている人と土日祝日に外出すると同居家族は半額になるのを始めて知った。都バス環境定期券制度というのだそうだ。
■1999.11.26
金曜日はやはりうれしい。帰りに品川の京急デパートで夕食の食材とデザートを帰ってきた。電車が来るまでの間に買い物ができるのはありがたい。仕事が無事完了してほっとしている。明日はビットサイトまで出かけるつもり。気分転換を上手にしないと年末まで続かないだろう。会社ではもう忘年会のご案内が回っていた。十一月は短い。図書館で借りた本がまだ一冊手付かずのまま残っている。ゆっくり本を読む時間も贅沢の一つだろう。

■1999.11.25
【源氏物語研究集成第一巻】を通勤の合間に精読する。なかなか気分が変わってよい。木曜日なのに仕事が残っている。週末のまえにすべて完了しなければ、と少しあせるがたぶんうまくいくだろう。最後になると自分でも信じられないくらいのパワーが湧いてくる。野球でいえば二死満塁を迎えたピッチャーの気分か。適度に締切りがないと、仕事の能率があがらない。こんな夜は、やはりツエッペリンを聴くに限る。
■1999.11.24
まとまりのつかないものを何とか1つに構成するのが、わたしの仕事らしい。総合カタログを作っているが、完成の前になって大量の直しが入った。慌てず、怒らず、まず心を落ち着かせてから、原稿を見る。なんとか追加したいが、もうひと工夫必要だ。こんな日は、いただいたレンコンを薄切りにして、ベーコンとXOジャンで炒める。香ばしい香りがただよって、気分も変わる。おまけに自家製ポテトサラダを明日の朝食用に用意した。料理の合間に展覧会の絵をアナログプレーヤーで聴く。
■1999.11.23
ロックな夕べが子ども連れの楽しいパーティになって、それは愉しかった。久しぶりに子どもたちが集結したという感じだが、昔ならどのいえにもこのくらい家族がいたのだ。居心地のよい大家族の中で、日本人に凛とした個の意識が育たなかったのもわかるような気がする。新しい家はおとなだけでなく、子どもにも楽しんでもらえることが実証された。玄関でビーチボールを使ってサッカーするものよし、二階の茶の間でちんまりと猫と遊ぶのもよし。友だちがいて、会うことのできる幸福をしみじみと感じた一日だった。みなさま、遠い中お越しくださってありがとうございます。
■1999.11.22
最近引越しして家の改築をしている知人と、思いがけず立ち話をする。半年後に新居に移れるそうだ。1999年は建築元年にふさわしくあちこちで家の建替えや、購入の話を聞く。日本人が家に回帰するようになったということか。明日は休日なので、週末気分になっている。みんなで、月曜日にはとか、来週はとかいい間違えて苦笑する。京都の嵐山辺りはきっとひどい混雑だろう。明日は、オープンハウスを実施するので、早起きしてスピードクリーニングをする予定。冬が来ても寒さと対峙できそうだ。
■1999.11.21
館山で週末を過ごす。ここに来るとほんとうによく眠れる。エボダイのひものや、ヒジキの煮たものなど何気ない食事を作り、借りてきた本を読み、一日過ごす。贅沢というのは、お金の量じゃなて、そのひとが何の心配事もなく一日が送れるということではないだろうか。もちろん、明日になれば煩わしいことも待っているのが、いまはぼんやりと好きなだけ本を読んだり、人と会って話をしたりして暮らす。インターネットのおかげで友だちをたくさん見つけることができたが、昔の友だちとも再会することができるらしい。ひとの繋がりについては、本当に偶然と気まぐれの賜物だと信じている。
■1999.11.20
同期会の名簿をラベル印刷するまで手伝い、帰ってきて洗濯物を干す。暖かな一日だ。細かな不満をいいあえば切りないが、小さな幸福を数えていく方が楽しい。猫が二匹でじゃれあっているのも、暇なのか、仕事なのか。久しぶりに図書館に行って本を借りてきた。【入門・金融・有斐閣】、【源氏物語研究集成第一巻・風間書房】、【佐々木幸綱の世界 古典編・河出書房新社】。最近の世の中がよく分からないから、手始めに金融について勉強しようと思った。読んでみるとなぜ銀行が次々とつぶれ、統廃合が始まったのかがよく分かる。
■1999.11.19
午前中から全速力で仕事をこなし、午後はマリオンまでセミナに出かける。法政大学主催、朝日新聞後援の21世紀の情報社会というテーマだが、知り合いの國井教授がパネラになっているので、面白さがちがう。ローマ帝国時代、情報は人間の走る速度だった。それが今は光の速さで伝達される。したがって富みの形成も短期間にできるが、それを失うのも5分あれば十分だという話を聴いてうなづく。この情報社会で得た利益を学問にまわして、文化をつくる助けとしなければ日本はいずれ崩壊するだろうという説にも納得。会場からの質問も鋭く、アメリカ青年がおたくについてその存在理由を聞いたのは苦笑してしまった。帰りにレカンのケーキを求め、ささやかな誕生祝いをする。あーあ、またひとつ歳をとってしまった。
■1999.11.18
今日は遅くまで仕事をする。締めきりのある原稿チェックと印刷物の打ち合わせ。楽しい年末年始を迎えるためには、今頃がいちばん忙しい。会社でストレス・マネージメントのコースがあるが、ストレスに打ち勝つには、音楽鑑賞、旅行、ペットと過ごす、趣味をもつなどと書かれてあった。全部毎日やっていることばかりだ。猫と無心に遊んだり、凝った料理を作ったり、LPレコードを聴くだけでストレスと無縁な生活が送られるのだとしたら、幸せである。現実は、もう少し厳しのではないか。なんでも言える仲間がいるとなにがあっても、心強い。
■1999.11.17
銀閣寺、金閣寺を拝観する。ときおり雨が降ってきて、庭にたたずむと風情がある。紅葉の名所にひとが集まるせいか、このあたりはいくぶん静か。楽しみにしていた京都クラフトセンターが水曜日定休で残念だった。時間がないので、あわただしく錦小路で買い物をする。鰻巻き卵と、お惣菜が買えたので新幹線の中でいただいた。美濃吉のお弁当がおいしかった。京料理の繊細さや優しさには、日常生活を忘れさせる何かがある。帰ってきてさっそく牛蒡とこんにゃく、インゲンを炊いたものをこしらえる。
■1999.11.16
会合があって京都まででかけた。嵐山の方はもうすごい人手。地元のひとに言わせるとずっと暖かい日が続いたので紅葉は例年よりも遅れているらしい。それでも嵯峨野の方は赤く色付いていてきれいだった。 西山艸堂で湯豆腐をいただく。うわさの中村屋のコロッケと公家芋も体験した。夜、京都リサーチパークでオフ会。中身の濃い話題が縦横に飛び交う。これまでの観光する京都とは違い、一日が充実していた。
■1999.11.15
七五三なのにあいにくの雨だった。品川プリンスまでセミナ会場を見に行く。帰って来てからなんとか、宿題のリストを完成させた。だれかが待っていないとなかなかやる気になれない。困っているひとを放ってはおけないので、頑張るのだ。ラジオでフランス語会話を聴く。まだ十月に始まったばかりなので、内容はほぼ理解できるがこれも反復練習が大切だ。番組表がほしいと思う。明日から出かけるので旅仕度をする。京都は寒いのだろうか。
■1999.11.14
子どもがMDを買ってもらったので、ついでにSONYの小型ラジオを購入。これでフランス語会話を勉強しようと思っている。毎日電車のなかで眠っているだけではつまらない。秋が深まるとなぜか勉強したくなる。そうはいうものの、努力するのは嫌いだがら、自分が愉しめて、かつ役に立つことしかやらない。語学は新しい世界の扉。外国でも看板やバスの時刻表くらい読めないと寂しい。少し単語を覚えたら、旅行に行くつもりだ。できてもできなくても、自分が意志しないと始まらない。だれかが与えてくれる不確実なものを待ち続けるより、自分で見つけた方が愉しい。たとえ不自由でも自分で選んだ境遇なら、満足できる。満たされたいとずっと願っていて、それを忘れたわけではないが、今は普通に生活している。誰かに多くを期待していて、なにも得られなかった空しさを知っているから、自分が与えるようにしているのだ。
■1999.11.13
天気がよいので布団を干して、シーツを洗って、部屋の掃除をして、家事にいそしむ。気持ちよく家の中のことができるときは、気分も安定している。元気がないときは料理の味もいまひとつ物足りない。ワインをたくさん入手したので、飲むだけでなく、料理にもふんだんに使っている。引越しの時にでできたブランデーも、焼きリンゴにたらしたりて贅沢な使い方をしている。果物が二種類以上あると幸せなので、キーウィやアボガドを切らさないようにしている。小さな幸せをたくさん見つけることのできる人は幸いだ。大根が安かったといっては喜び、新鮮な卵が手に入ったと騒いでいるのは、暇なのではなく人生を愉しんでいるのだ。夜はちゃんこ鍋にして、渡り蟹をたくさん入れてみた。食べるところはほんの少しだが、いい出汁がでる。最後にきしめんを入れて熱々をいただくと、体の芯まで暖まるようだ。館山の夕陽がきれいだった。
■1999.11.12
とても忙しい一週間だった。電車に乗っただけで欠伸がてでくる。冷蔵庫にひとつ残っているデリシャスを発見して、焼きりんごを作る。作り方はいたって簡単。まず、スプーンを縦に入れて芯をくり抜く。このとき、底の皮を破かないように注意する。芯の中ほどまで取れたらおしまい。そこにバターを一かけ、そして砂糖を詰め込む。コーヒーシュガーやメープル糖があれば砂糖の代りに入れると香りがよくなる。スープ皿にりんごを載せてラップで蓋をして、電子レンジの強で7分。甘い香りが部屋中に漂ってきたらでき上がり。蓋をあけて、ブランデーをスプーン一杯かける。あつあつのところをスプーンですくって食べる。これが美味しい。リンゴは酸味の強いものでないとだめ。安い紅玉やデリシャスを買って試してみるといい。
■1999.11.11
朝から有楽町にある東京フォーラムでセミナに出席。最近ここでのセミナが増えたような気がする。なにしろ駅前だし、オシャレ。昼休みは銀座で食事をした。セミナの内容はどこも似ている。目ざすところはWebを使って利益を出すということ。長年広告を手掛けてきた自分としては、手軽にできてお金になるE-Businessというのが、すんなりと受け入れられない。どこかで大きな落とし穴があるような、保険付きで始めることだと思っている。Webの世界ではまずスピードが要求されるから、いちど始めたら走り続けなければならない。
■1999.11.10
いくつかの会議があって、ぼうっとする間もなく一日が過ぎていく。帰りの電車の中で本を読み、しばしまどろむ。朝も帰りもぴりっと寒くて冬の準備が必要だと思った。猫がテレビの上で眠り、そのうちモニターの上で一日過ごすようになる。今年もあとわずか、師走になる前に今頃がいつも忙しい。明日も来週もセミナがあって、外に出るのは嬉しいのだが、その分の仕事をどこかで取り戻さなければいけない。図書館にも、本屋さんにもずっといっていない。
■1999.11.9
幕張メッセで本日から開催されているCOMDEX'99に出かけた。セミナをひとつ受けてすぐ会社に戻る。ラスベガスのCOMDEXを知っているものとしては、この展示会の存在意味がわからない。帰りは京葉線で東京までもどったが、海がきれいだった。いつもと同じ電車なのにまるで別の時間が流れているようだ。平日の午後、電車に乗るとほとんど旅行気分になる。東京駅では帰省用の東京土産を並べて売っているし、走る人もなく、TDLの土産袋をもった親子連れをよけながら歩く。会社では本格的な消防訓練があった。消防車二台が停まって、道路も封鎖し、わたしたちは避難場所まで誘導されて歩く。本当の時、雨だったら傘を持つのかしら。なんだが歩くことの多い一日だった。
■1999.11.8
銀座でお友だちと会食会。久しぶりに銀座を歩くと背筋がぴんと伸びるような気がする。東京のまちはさまざまな顔をもっているが、銀座は老舗の奥様の顔をしている。上品でそつがなくて、でも一見さんにはひややかに対処する。べたべたしないところが、わたしは好き。おいしいものをたべて、たっぷりしゃべって、女の子の愉しみはこれに尽きると思った。きむらやのパンを持ち切れないほど求めて帰ってきたら、案の定、冷凍庫に入らない。でも焼き立てのパンの香りが部屋中に漂っていて、とても優雅。明日の朝は濃いめのミルクコーヒーにバゲットで、パリの朝を思い出そう。
■1999.11.7
LPのタルカスを聴きながら、お皿を洗っている。音域が完全に再現されている、CDでは消えてしまっている音もちゃんと聴こえているのに感激。裏返しをすることすら忘れて、音が途切れてもしばらくぼうっとしていた。館山で過ごした休日は、満ち足りている。食料もちゃんと確保したし、一週間がんばろうという気になる。これからは、LPを聴くという楽しみがあたらしく生まれた。
■1999.11.6
千葉のオーディオユニオンで中古のアナログプレーヤー、アンプ、スピーカーのセットを買って来て、さっそく繋げてみる。高校入学のお祝にステレオセットを買ってもらった以来、ほぼ二十年ぶりのことである。これで夢に見た70年代のLPを聴くことができる。最初は子供のリクエストでLet it be、そしてツェッペリンのIVを聴いた。音に厚みがあって、空間の広がりがある。何よりも嬉しいのは昔の音なのだ。それにしても、レコードを取っておいてよかった。
■1999.11.5
久々にきた週末という感じ。泊まりがけで館山に行くことになった。旅行中の先生御夫妻に替って、野菜の収穫も手伝うことになっているし、おいしいものを食べて、ゆっくりと休みたい。少し寒くなって、いつ暖房を入れるのか楽しみでもある。階段の本棚に散らばっていた文庫を詰めたので、通勤のとき退屈しない。朝、出かける前にどれにしようかなと迷って一冊選びだす。それと同じ要領でCDを棚から選んで聴いている。会社の友だちと長話したら、彼女も家の改築をするのだと言っていた。今年はやはり建築元年なのだと思う。
■1999.11.4
休み明けの一日は眠い。エラリイ・クイ−ンの【十日間の不思議】を通勤の合間に読んでしまった。昔、ミステリーマガジンを定期購読していた。あの頃は刺激がない生活をしていたのだろうか。毎日が退屈だったことだけは、よく憶えている。いまはいつも何かが待っていて、ゆっくりするのにも予約がいるようなところがある。どちらも同じ自分なのに不思議だ。パープルのBURNを聴く。甘ったるい曲よりも辛口の曲が好き。
■1999.11.3
文化の日。朝からスピードクリーニングの教えを守って、家中のお掃除をする。これがパワプル、正しい洗剤と器具を使うとみるみる汚れが落ちて、家中がピカピカになった。昼にかけて会社の友だちを招いてオープンハウスを開催。あっという間に時間がたってしまって、ほんとうに楽しかった。人が集まる家というのが、ひとつの目標なので、とてもうれしい。気取らない仲間たちなので、紙皿に、プラスチックのコップで後片付けも簡単。昔、母親の時代にひとを招くというのは、三日掛かりの大偉業だった。それに較べて、こんなにおしゃべりができるなんて夢のよう。アメリカ的生活は、シンプルで正直ですがすがしい。日本の家庭で寝室や台所を積極的にみせてくれるのはまだまだ少ない。たいていは、応接間という一室に押し込められて、ごちそうの接待に明け暮れる。その点、最近の人たちはもっと自由な生き方ができるようになった。よいことですね。
■1999.11.2
広尾のナショナルマーケットに行ったら、雑貨が二階に移っていた。一階にはワインが棚にずらりと並んでいる。人を招いてウイスキーという時代ではないのかもしれない。だれかが専属でサービスするようなお酒はつまらない。二階では、ハロウィーンのグッズがセールになっていた。こういう季節物は時期をはずすと寂しい。それにひきかえ、クリスマス用品はさんぜんと輝いていた。感謝祭が終わるとクリスマス一色になる。ヨーロッパの人たちは厳しい冬を乗り越えるために、愉しみをいくつも用意している。だが、千葉市のような暖かな町で過ごす冬は、日だまりの中のまどろみのようなものだ。十一月がいちばん好き。感謝祭の日にオープンハウス・パーティを開くことにした。
■1999.11.1
11月は人の集まることの多い月だ。師走の前に逢いたい人と取りあえず会ってしまおうという気分。今年もあと二ヶ月で終わる。まだ実感はないが2000年まで61日しかない。大庭みな子の【女の男性論】を読む。《幸福な結婚とはいつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態である。結婚と離婚と再婚が大変簡単にできる世の中でも一人の男と、あるいは女とずっと結婚していたいと思うような夫婦が幸せなのである。》1979年の著作。ロックも70年代が充実しているが、作家といわれる人もこの頃が最盛期だったような気がする。90年代は、それに較べて不毛の時代だ。
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