■1999.6.30
ラオックスでG3のいちばん安い機種を購入。Dreamweaver
を起動するのに604では限界があるのと、時間を節約したいがためだ。会社でG3を使っていて、家で遅い機械を使うのは、精神的に疲れる。ふらりと出かけて、その場でお持ち帰りができるのが地元のよさだろうか。机の上が急に明るくなったような気がする。でもこのG3、SCSIが付いていないので、ふつうの人はどうやってデータをやりとりするのだろうか。
■1999.6.29
通勤のお供に二冊の本を読んでいるが、これが気分転換になる。バスを待つ10分たらずの間に平易な英語劇の台本を眺めて、これがブロードウエイで上演されたら素敵だろうと想像する。アガサ・クリスティを読んでいて、娘の問いかけにも気付かないと小言をいう夫に対し、《そんなひどい母親なら、資格がないから別れましょうよ》と妻がいう。すると、夫は《おまえはいつも意見が違うと、別れようというがぼくは話し合いがしたいんだ》と答える。こんなやりとりがえんえんと続くので、目が離せない。
もう一冊は古典のとりかえばや物語でこちらは男と女のこどもたちが互いに入れ違って、宮仕えをする。源氏のようにとりすましたところがないかわりに、かくもありなんという平安貴族の心情が伝わってくる。原語と対訳が巧みなので、引き込まれてしまう。
■1999.6.28
月曜日の朝、いつもと違う経路で会社に向かう。四ッ谷から西麻布を通り、天現寺にいたるコースは懐かしい場所ばかり。まだ一人前に仕事もできないのに、この界隈の食べ歩きに生き甲斐を見い出していた時期もあった。いまはなきスフレ専門店とか、いつまでも粘れるコーヒー店とか、限定25食の日本料理屋のランチとか、あの頃はまいにちドキドキしながら暮らしていた。広尾と四の橋はバス停3つしか離れていないのに、はるかに遠く感じられる。
Facesを聴く。佐藤春夫全集を読む。
■1999.6.27
館山で野菜の収穫に出かける。恩師が旅行中で、育った胡瓜や茄子をもぐのが役目。幸い、雨にも降られずにどっさりと野菜を取り集めた。インゲンが高いのは、集めるのが手間だからと納得する。朝から、キュウリのサラダや、ダイコンの味噌汁をいただき、感謝する。いつものように食料を買い、洋服を見ながら、買い物って気分転換にいちばんだと実感。へとへとで館山まで来て、おいしい海の幸を食べ、休養するとまた、一週間がんばろうと思う。持っていった本はぜんぜん読めなかったが、涼しい風にあたって昼寝ができたのが最高の休日だった。
■1999.6.26
お世話になった國井教授がIEEEのTaylor
L. Booth Award を受賞され、その講演会/祝賀会に駆け付ける。久しぶりにお会いできて、また、来賓の貴重なスピーチが聞けて至福の時を過ごす。ひとにはだれでも一期一会の出会いがあるが、國井先生の場合は、それを大切に繋げる努力をされている。招かれた人々が口々に語るのは、ほんのささいなきっかけで知り合うようになったとか、仲間にいれていただいたなどで、わたしの場合もまさにそれで、ご縁があって、ここに来ているのだ。人と人を結び付けている絆に感謝した一日だった。昼間、だれもいなかったのでひじょうな適音でSmall
Faces を聴く。
■1999.6.25
金曜日、公開講座の【オペラと現代社会】の最終日。忙しい中、なんとか時間を見つけて全コース通えてよかった。大学で学問するという雰囲気を味わえたのが嬉しい。内容も毎回練られていて、教わることが多かった。二期会の賛助会員になって、オペラを見るということもいいなあと思う。歌舞伎とオペラは生活に彩りを与えてくれる。
■1999.6.24
久しぶりに明るいうちに帰宅する。ウーロン茶に東京羊羹の抹茶をいただく。あわただしい一週間だった。時間が足りないのに、どこかで引っ掛かって先に進めない。一週間も前からいわれていたレターをようやく送った。正式な手紙を書くのは、やはり緊張する。六月はスケジュールが過密なのに、休息をとることを忘れているので、仕事の合間の短いくぎりに、紅茶をいれて気分転換する。こんな毎日もあと一日で終わる。電車のなかで読む本が面白すぎると、興奮して眠れない。
■1999.6.23
家の打ち合わせで早退する。昼間の電車は当たり前だが空いていた。ちょっと早めに帰るだけで、いつもと違った平日の町が見える。台所はこだわって作ってもらうことにした。家づくりは、間取りから始めて決めなければならないことが、半年くらい続く。
たいていの人はこれで一生に一度のこととあきらめてしまうものだが、わたしの場合、せっかくのKnow howを次の家づくりに役立てなくてはと考えてしまう。千葉市内にTOTO、INAX、Sunwaveとショールームがあって、実際に体験できるのがありがたい。
■1999.6.22
雨の渋谷をバスで行く。初台でセミナがあって、渋66のバスが楽しい。東急本店からNHK、富ヶ谷、八幡、初台坂下、オペラシティ南と15分のトリップ。
バスから道を歩く人を眺めながら、自分に似た人はいないかと探してしまう。相手が意識していないとき、思いがけぬ出会いがあったりする。最近は、気に入った人にはできるかぎり、話をするようにしている。今日のセミナの講師とも名刺交換して、お願いもしてしまった。
夜はオペラの公開講座に出席する。
■1999.6.21
銀座でお食事会。今日は、三の橋、芝公園、日比谷経由で銀座4丁目までバスに乗って、東京見物する。いつも通らない道は旅をしているようにわくわくする。盛り場というのはこのくらい明るいといいのだ。学生服姿が極端に少ないのも気持ちがいい。子供は家で勉強している時間におとながゆっくりと食事を楽しむ。相手が家の建て替え仲間なので、日頃の不満を聞いてもらえるだけで嬉しい。月曜日なのに、気分はほとんど週末。帰ってきてゆっくりしていたら、一時になってしまった。明日はセミナがひとつ、Macの相談会もある。
■1999.6.20
いつものように新鮮な野菜を求めて、カブ、白菜の浅漬けを作る。週末に買込んだ野菜で一週間を生き延びる。風も引かずに元気でいられるのも、積極的に野菜を食べているせいだと思う。
最近、身の回りの人がパソコンを買うので、よく相談を受ける。これからインターネットを始める人でiMacをためらうことなく買える人が羨ましい。iMacはヨドバシカメラに限る。会員には特典があるのだ。
■1999.6.19
六月の雨の土曜日。図書館にいって、【とりかえばや物語】と【佐藤春夫全集】借りてきた。 どちらも週末にじっくりと読む本なので、雨がありがたい。こんな日に聴く音楽はやはりELP。
朝日新聞の家庭欄をじっくりと読んでしまった。猫も寒いのか丸くなって眠っている。平安時代にトリップして、【とりかえばや物語】を一気に読んでしまった。源氏物語よりは、ずっとありそうな想定で、貴族社会の一端をのぞいたような気がする。
■1999.6.18
雨の一日はめずらしい。涼しいを通り越して肌寒いくらいだ。久しぶりに英語のニュースを読む。英国から見たアメリカ経済という視点がおもしろい。仕事がすこしづつ滞積されていく。オペラの公開講座を週二回取っているので、一週間が飛ぶように過ぎていく。これもあと二回でおしまい。Debussy
の 【ペレアスとメリザンド
】を20世紀最高のオペラのひとつだと教わる。さっそく図書館にいき、探したが日本におけるオペラは、モーツアルトに始まり、ワーグナーで終わるので、解説書もなかった。替わりに【ドビュッシー 想念のエクトプラズム・青柳いづみこ】を借りてきて、ドビュッシーの研究をする。
■1999.6.17
夕立ちがあったようなのだが、電車に乗っていたので気付かなかった。駅に降りるとひんやりとした空気が心地よい。夏の中休みのように、今夜はよく眠れそうだ。会議が午後ずっとあって、仕事は中途半端になっているが、明日はなんとか形がきまるだろう。朝、新鮮な気持ちで80年代の演劇の本を読んでいるが、当たり前の言い回しが、英語で表現されていると、嬉しくなって、マーカーを引いてしまう。
■1999.6.16
ここ一月の間、ずっと待たせてあった仕事が完了する。夕方近く、担当者の席で画面を確認して、OKとなった。今週も引き続き、仕事が切れ目なくある。毎日、無理はしないで少しつづ仕上げて、
あるとき、一度に完成させるという形が定着してきた。忙しいということは、今の時代ありがたいことなのかもしれない。帰ってきて、ELPを聴く。夜がとても短い。
■1999.6.15
休暇を取ったので、朝は休日らしくホットケーキにカエデ糖をたっぷりかけていただく。毎日天気が続くが、梅雨はどこにいってしまったのだろう。三時ごろからお茶の水経由、品川まで出かけた。駿河台の辺りはまだ昔の店がたくさん残っていて懐かしい。夏期講習を受ける子供のためにコースを選んでいたら、疲れてしまった。この頃、電車が混んでいる気がする。それに較べて道路は空いているというのは、景気に何か関係あるのだろうか。ワーグナーの指輪のさわりばかり聴いていたら、全曲通して聴きたくなった。四日間の休暇がほしい。
■1999.6.14
早起きして、グリーン車の二階で朝食。今日は、上棟式。明日は県民の日で休暇を取っているので、午後一時すぎまで、仕事をする。この数日間、晴れの日が続いて、六月だというのに、夏の日のようだった。初めて三階まで上ってみる。見晴しがいい、風が通って気持ちがよかった。ここに壁が立てられ、家ができるのだ。あと二ヶ月あまり、新しい家がぐっと近づいたような気がする。猫にもお祝の魚を分けて、今日の解説してやる。
■1999.6.13
新鮮な野菜をたくさん求めて、この一週間を乗り切るのだと張り切る。カブやきゅうりの浅漬け、ニンジンと小女子の炒めもの、ジャガイモ・フライなど日頃できない野菜料理をつぎつぎと作って、冷蔵庫に保管する。これらの常備食がいそがしい朝、威力を発揮するのだ。
海からの風を受けて、寝転びながら、うとうと過ごす。海辺の町は、シーズン前のせいか静かだった。森は見たが、海は見なかったような気がする。外出といえば、本屋さんで雑誌を読んだことくらい。それでも愉しいのだ。おいしいものを食べて、だれにも邪魔されない週末がいちばん幸せ。
■1999.6.12
お天気がいいので、ほとんど夏休み気分で外出する。上棟式のためのお菓子を選んだり、お酒を決めたりとあちこち出かけた。
金策の方もなんとかめどがついたで、ほっとしている。それにしても家を建てるというのは大事業。家族の協力がなければできないし、猫たちにも苦労をかけている節がある。夕方からやって館山に向かい、静養する。もっていった本を二冊も読んでしまった。今、仮住まいのせいか、八年近く週末を過ごす家は居心地よくこころが休まる。
■1999.6.11
週末に会議が2つ。新しい仕事の説明や、役割分担などについて話し合う。少しづつ仕事の環境が整ってきた。夜は高校時代の仲間が30余人も集まって、おいしいものを食べ、騒いで過ごす。デジタルカメラやemail
のおかげで出席できなかった人たちにも、その場の雰囲気を伝えることができるようになった。百聞は一見にしかずだが、ニューヨークにいるものは気軽に参加できないから、あとでwebページを見て、満足するらしい。帰ってきて、また、Ziggy
Stardust を聴く。週末は、上棟式の準備に追われそう。
■1999.6.10
久しぶりに、David Bowie
の Ziggy Stardust を聴く。雨にぬれた舗道や、この曲ばかり聴いていた弟の部屋の様子が浮かんでくる。わたしの記憶にあるロンドンはスローンスクエアからキングスロードを下ったあたり。この辺には思い出が凝縮している。70年代のロックを聴くのも、封印された記憶を取り戻そうとしているのかもしれない。当たり前の毎日で、それでもなにか楽しいことを見つけて、暮らしている。
■1999.6.9
六月大歌舞伎の夜の部に行く。新橋から銀座八丁目にでて、一丁目までだらだらと歩くのが、私流の銀ブラ。途中、銀行によって、パンを買って、本屋に入って、と当たり前の生活をしているのに、銀座が舞台だとなぜか晴れがましく思える。老舗という見世が残っているのも銀座ならではのこと。学生時代、新宿、池袋などには恐ろしくて立ちよれなかった。今でも、盛り場というと渋谷くらいしか思い付かない。千葉は、ほとんど絶望的。夜が早くて、みんな帰りを急いでいる人ばかり。モノレールに乗って最終回を見に映画館にいくのが唯一の愉しみなのだ。
■1999.6.8
故障していた会社のThinkPad560が戻ってきた。一年以内なので無償保証期間の取り扱い。付いてきたメモをみると【システムボードの交換】理由はシステムを認識しない、バッテリーを認識しないと書いてある。
これって全取替えでしょう。 ともかく戻ってきたので、たまっていた仕事ができる。わたしにとって、PCは車といっしょでいつでも運転しているから、一台でも修理中だと効率が落ちる。なるべく楽して、仕事を時間内に終わらせるには、速いPCがいちばん。その点G3は優秀だ。
■1999.6.7
雨のち晴れ。月曜日の朝、雨の音で目を醒ます。久しぶりの雨だ。仕事の方もようやく一区切りがついた。明日からはまた、別の話しが待っているが、とりあえず完成を喜ぼう。今週は毎日行事があって忙しいのに、どんどん仕事の約束が入ってきて大丈夫なかのかと自問する。もう少し能力があれば、一度にたくさんのことが完了するのに、歯がゆい気分だ。アメリカ帰りの友だちがStar
Wars の話しを書いてよこす。アメリカ出張のときは、映画をみて帰ろう。でも羨ましい。
■1999.6.6
土日は館山で過ごす。天気がすばらしい、まるで夏の日のように日ざしが暑い。いただいた年代物の梅酒をグレープフルーツにかけて食べると、梅の香りが口中に広がって美味。持っていった本を片手に、寝そべって読む休日の醍醐味。近くに住む高校時代の恩師がISDNを引き、テレホーダイを申し込んでインターネット接続を始めたので、様子を見に行った。遠くに住む子どもたちからのメイルが届いていて、ほっとする。こういう60歳の手習いもMacなればこそ。子供たちから古くなったMacをもらって、インターネット接続を始めたという親たちが大勢いるらしく、最近、まわりでこういう話をよく聞く。iMacを買って、古くなったMacを親にあげるというのも流行らしい。
■1999.6.5
土曜日の朝は、六時から起きて子供のお弁当を作る。サッカー部にくらべれ練習着の汚れ方がやさしいというが、野球部は休日のたびに早出の練習があるのだ。というわけで、七時からZEPPELINを聴いている。窓を少し開けてあるので、外に回って音量をチェックした。仮住まいなので、ご近所に気を使いながらロックを聴いているが、この部屋は音響が抜群なので、ヘッドホーンを使う気になれない。土曜の朝のZEPPELINは最高。後ろに車の音などが重なっていると、LIVEのような錯覚を覚えるから不思議。
■1999.6.4
週末はなにかと忙しいが、今日はその中でもいろいろと取り込みがあって、一日が短かった。夜は【モーツアルトと啓蒙主義】の講座に出る。
週に二回あるのは楽しいが予習する時間が足りない。魔笛のLDを見たので、全曲通して聴きたくなった。明日は休日、なにをして過ごそうか。休みを楽しめるのは働いているものの特権だと思う 。夜、猫たちと紐で遊ぶ。
■1999.6.3
明るいうちに帰って来てほっとする。七時台に食べる夕食はまた格別美味しい。鎌倉ニュージャーマンの抹茶カスタードにミルクティーが合う。【アンドレ・ジッドの日記】は1914年から戦争の模様が克明に描かれていて、いきなりフランス文学から方向転換してしまう。預金の封鎖や、食料不足など、考えてみれば当然のことながら、戦争というのは最大の消費なのだ。創作に迷う作家の日々の思いが、急に戦争報道になり、少し裏切られたような気分になる。ZEP
II を聴く。
■1999.6.2
幕張メッセにInteropを見に行く。年々、盛んになって、今回は駅前にダフ屋まで出ていた。招待券なしに来る人なんかいないのに、驚く。お目当てのセミナーには入れなかったが、あちこちで情報を仕入れる。夜はオフ会。知的な刺激をたくさん受けて、少しは賢くなっただろうか。連日の夜更かしで疲れて眠る。
■1999.6.1
六月は勉学にいそしむ。オペラと現代社会という公開講座が週二回あって、今日がその初日だった。ウィーンの知的文化人はワーグナーの歌劇などみないで、ブラームスの室内楽を好むという。イタリアで誕生したオペラの歴史には政治的、あるいは権力的な時代背景があって、興味深い。大学のキャンパスに足を踏み入れるのも久しぶりのこと。15年以上も港区の会社に通っていて、こんな講座があるのを知らなかった。
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