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■2001.3.31
アリタリアはローマからの直行便がなくて、ミラノ乗り継ぎになる。ローマで手荷物の検査があると聞いて、スーツケースを持って並んだ。前の団体客があちこち調べられていたのに、うちのあっさりとスタンプを押してくれる。免税の手続きをしたいのに、ローマにはカウンターがなく、ミラノでは、空港内だと言われた。案の定、ミラノ行きは一時間半も遅れて、日本に帰れるのだろうかと不安になる。一緒にいた添乗員の女性も気が狂わんばかりに騒いでいた。そこがイタリア、勝手に搭乗時間を変更して、乗り継ぎができるようになっていた。搭乗までの審査が厳しくて係員がひとりで担当している。その後、免税払い戻しカウンターを見つけて飛び込む。この手続きができなければ、免税で買い物をしたのが無駄 になる。終わりよければすべてよしの旅だった。
■2001.3.30
午後からオペラを見るはずだったのが、イタリアの現代劇で難解だから無理だといわれた。家族も気が乗らないのか、買い物に行こうという。ナヴォーナ 広場(PIAZZA NAVONA)でオリベスクを見て、大道芸人の技を楽しんだり、噴水で遊んだりして、近くのレストランに行った。途中の花屋さんが素敵だった。午後、コルソ通 りで、プラダ、ルイビィトン、アルマーニ、エルメス、マックス・エコ、リナシェンテとブランド店を歩き回る。ポポロ広場にあったベネトンのアウトレットはなくなっていた。フウラでお土産用のバックを買う。ここは日本人がいないのがありがたい。夕食に予約なしで出かけたら、どこも満席だといわれて、仕方なく地元の中華料理店で北京ダックを食す。最後の晩餐というわけ。
■2001.3.29
カピトリーノ美術館に出かける。この建物の階段がよい。植木鉢が一段ごとに順番に置かれているのだが、芸術的でイタリアっぽい。帰り道、ルネマグリット展をやっていたので立ち寄る。帽子を被った男から空が切り取られている特長ある絵だ。平日だから空いているが、小学生のグループが何組も来ていた。こうやって、イタリアの子どもたちは本物を見る眼を養うのだ。午後、コルソ通 りを歩いてお買い物。日本人が大勢群がっている。
■2001.3.28
朝からバチカン美術館に出かける。行列を待ち、中に入ると陳列物に圧倒される。礼拝堂にあるミケランジェロの最後の審判の壁画を見るために大勢の人が集まっている。お昼にいつもの店アンドレに出かけた。夜は近くの高級中華料理店に行く。やはり日本人の家族が多かった。エクセルシオールは近くによい店が多く、歩いて行ける気軽さがよい。
■2001.3.27
パルレモからローマに向かう。市内から空港までは車で50分くらい。海のきれいな高台に立っている。ローマには昼過ぎにき着いた。荷物を置いて近くのレストランに駆け込む。三年ぶりのローマは懐かしい。近くを歩いてバスの乗車券と地図を買う。ポポロ広場まではバス一本で行けることを発見。バスでトレビの泉に行く。ここはローマの臍のようなところで自然と人が寄り集まる。
■2001.3.26
一日市内を歩く。パルレモの州立美術館に出かけたら、工事中で閉館していた。帰り道、エルメスで片掛けバックを買った。レストランはどこに入っても美味しい。食物文化のレベルはローマより数段上だ。地元の人々が食を愛している気がする。観光客もそれほどいないので、お客さまを大切にしている。偶然、アグレジェントで愛用のレストランのウエイタと出会う。向こうも驚いていた。みんなここに来て、買い物をしていくのだ。車で二時間、それも高速道路が完備されているから簡単なのだろう。イタリアの町というよりはアラブの影響を受けて異国風だ。建物がみんな煤けている。
■2001.3.25
シシリアの島の中を移動する手段は車だ。旅行者たちはバスを使う。鉄道はお薦めできないらしい。パルレモに向かうとき、修学旅行らしき女学生たちと出会う。家族も見送りに来ていて賑やか。パルレモは大都会で、車と排気ガスと騒音がすごい。泊まったのは4星なのに、裏にはスラムが広がっていた。歩いて市内見学。ここのTeatro Massimoでシンデレラのオペラを見ることになっているのだ。オペラ座前のレストランで食事しながら、道行く人たちを見る。オペラは予習していたのでよくわかって楽しかった。休憩のとき、着飾ったイタリア人から話し掛けられた。オペラの感想を聞かれたので、ベネと答えた。ロッシーニが分かるのかといわれたので、最高だよというと喜んでいた。オペラの楽しみはそこに集う人を眺めること。信じられないくらいのお金持ちが着飾って歩いている。しばらくファッションの研究をした。ホテルまで歩いて帰る。
■2001.3.24
昨日行けなかったもう一つの神殿に出かける。アメリカ人の観光客が多い。暑いのでシャーベットを齧りながらの見学。海岸を少し歩いて見た。まだ、夏ではないので、賑わいはないが、それでも土曜の夜は騒がしい。若者たちがどこからか集まって来て音楽をかけている。館山で夏を過ごしているような懐かしさがある。海辺の町が好きなのだ。夜、パノラマビューという通 りのどこかにある一軒だけの中華レストランに出かけた。イタリアンの中華で不思議な味がする。帰ってから荷物を作って、明日の準備をする。果 物以外の買い物もしなかった。娘が日本に連絡して大学が合格していたと騒ぐ。こんな場面 からだとそういうこともひと事に思えてしまう。
■2001.3.23
日傘を差し、博物館に向かう。バスは一時間に一本だけなので、バス停で時刻をチェックする。Dioscuriの遺跡を見に出かけた。ここは紀元前、ギリシャの植民地だったところで、世界遺産に指定された神殿もある。散歩していたら、ホテルの近くに美味しい店を発見。ここはSt. Leoneという地区で海岸に面した保養地である。春休みなのに、夏を過ごしているような気分になる。何もすることがなく、ただぼんやりとして風に当たっている。夜、食事のために、バスに乗って出かける。帰りのバスを拾うことを考えて二時間で食事し、戻って来る。この生真面 目なスケジュールが面白い。
■2001.3.22
8:55の飛行機にあわせて、6:30にバスに乗り込んだ。ミラノから南国のカターニャまでは二時間。今度は空港でチケットを買い、バスを探し、アグリジェントへと向かう。本来は、ここで一泊して休養するはずなのに、ホテルの手違いで予約は有効でないと断られたのだ。アグリジェントまではバスで二時間。着いたところで、旅行者はわたしたちだけ。いい加減なタクシーを探して、ホテルに向かう。三月だというのに真夏のような暑さだ。部屋の前にはプールがあって、地中海が広がっている。近くのバールで食料を調達し、カプチーノを飲んだ。夕方、バスに乗って町に出てみる。レストランは七時過ぎでないと空いていないらしい。三十分くらい歩くと商店街が終わってしまう。
■2001.3.21
管制ストの影響でミラノ到着が午前ニ時になるという。空港からホテルまでは送迎バスがでるとのことだが、翌朝のカターニャには無事に行けるのだろうと心配する。家族揃っての旅なので危険は感じないが、波瀾に富んだ始まりだった。ミラノのホテルは4星だが、調度品が豪華だ。空港からバスが出て午前三時半にホテルに着いて仮眠する。翌朝、六時から食事で、六時半には空港に向かうバスが来るとのことだった。数時間でも身体を伸ばして眠れるのはありがたい。
■2001.3.20
彼岸の中日、千葉寺まで家族で墓参に出かける。暖かな日だ。Neil Young の Harvest を聴きながら旅行の準備をする。出発の時間が遅くなったので、のんびりとしている。休みの前日まで仕事をしていた時代があった。今は出発前に休日を挟むようにしている。グレープフルーツを電子レンジで加熱してゼリーを作った。さわやかなほろ苦さがいい。午後からは強い風が吹いて、ずいぶんと梅の花びらが散ってしまった。

■2001.3.19
飛び石連休の月曜日、会社も静かだった。休み前の課題をなんとか終わらせ、ほっとして戻って来る。これからは宵っ張り朝寝坊の日々が始まる。旅行代理店から連絡があって、アリタリア航空の管制ストの影響で出発が遅れますと言われた。さっそくホテルの予約を取り直すが、いきなりイタリア時間が始まった。

■2001.3.18
小雨の中、早朝から墓参に出かける。幸い、八街に着いたら雨が上がっていた。途中、横芝にも寄り、高速で帰って来る。道が空いていたので二時間ちょっとで往復できた。お昼に食材を買いに出かけ、午後、ガイドブックを読みながら旅行の予定を立てる。ジミヘンがいい味を出している。三年前と較べて、五日間の天気も分かるし、世界はさらに身近になった。明日は月曜日だが飛び石連休の始まりだ。

■2001.3.17
午前中、本屋さんでシシリアのガイドブックを購入。ジミヘンを聴きながらシーツを洗い、午後Jリーグ観戦のため、市原臨海競技場まで出かける。雨の中、わざわざ出かけてみると、屋根の付いた場所だったのでほっとする。偶然だが、知り合いが主審をしていたので、興味深く観戦できた。ジェフは惜しい試合を落として残念。夜、しゃぶしゃぶにして卵おじやを作る。これが美味。疲れているので早寝をする。

■2001.3.16
新橋演舞場の通 し狂言に出かける。江戸庶民は朝、六時過ぎから歌舞伎見物を楽しんだわけだから、その日は嬉しくて眠れなかっただろう。芝居が終わって、東銀座から有楽町まで歩いた。金曜日のせいか大勢の人が溢れていた。東京の町は平和でいいなあと思う。

■2001.3.15
春休みまであと一週間を切った。新しい担当者と打ち合わせするので、なにかと忙しい。一週間のうちにすればいい仕事を四日間でやるとなると、どこかで辻褄を合わせなければいけない。電車の中で興奮しているのか眠れなくなった。明日も明後日もその次の日も、行事が詰まっている。好きなことをしているので、それはそれで楽しいのだが、夜になるとロフトに一人で上がって気持ちよさそうに寝ている猫が羨ましく思える。春が一足飛びにやって来た。LDのシンデレラを聴く。

■2001.3.14
昨日遅くまで起きていたので、やはり眠い。午後濃いめのコーヒーを入れて飲む。ITの人と会議が一つ。懸案事項がなんとか解決しそうだ。楽しいことがあると仕事にも実が入る。夜、久しぶりにLDを出してロッシーニのシンデレラを見た。やはり大画面 で見たいなと思う。帰って来たらJリーグのチケットが届いていた。遊びに行くと決めたら、いろいろと行事が重なっている。週末が待ち遠しい。

■2001.3.13
今日も北風が吹いて寒い。冬が頑張っているようだ。イタリア旅行のために調べていたら、オンラインでチケットが予約できることが分かり、プログラムを引き出し、なんとか予約を取り付けた。支払いはクレジット・カードでできる。この三年でずいぶんと便利になったものだ。シシリアのガイドブックを買おうかとまだ迷っている。知らない土地にいくのに旅行案内は必要だろうが、最新の情報が載っていないとつまらない。Web上の情報がふんだんにあるのに、それを利用しない手はないと思う。

■2001.3.12
目が覚めたら粉雪が舞っていた。三月の雪は春の前触れか。先週セミナで留守にしたので、朝から忙しい。月曜の朝レポートを作り、ほっとする間もなく夕方になる。帰りの電車の中ではよく眠った。月曜日はお料理の日。定番のチョコレート・ケーキを焼く。元気があるときは料理も楽しい。猫にロフトの階段歩行を躾けていたら、自発的にシャム猫が階段を駆け上っていた。あとから貰える特別 のカリカリが嬉しいらしい。もう一匹の縞猫はロフトが暖かいのか気に入って降りてこない。猫との暮らしは、常識から少し離れて愉快だ。

■2001.3.11
朝八時台の快速電車に乗って白山まで向かう。休日の朝、早起きして美容室に通 っている。お楽しみは昼食をオシャレなレストランで一人ゆっくりと戴くこと。先月は銀座を歩いた。今日は丸の内界隈を散策する。美容室で仕入れた日曜日も営業しているカフェは一階がカジュアルなイタリアンで、地下が本格的なレストランになっている。ブリオッシュ食パンが焼き上がったところだったので、迷わず買って来た。ケーキも美味しそう。京葉線の入口の真上なのでなかなか便利だ。業界でも話題の店だと後から分った。美味しいパンがあると、それだけで幸せになる。帰って来てからELPを掛けてお掃除する。家の中は暑いくらいだ。夜、白ワインを飲み干す。

■2001.3.10
朝五時前に目が覚めて、また少し眠る。午前中、平和公園に墓参、帰り道、食材を買って戻って来た。昼に若布と分葱でぬ たを作る。胡麻だれで合わせてみたらこくがあって美味。黒豆の甘煮は好評なのでまた作った。三時のおやつの後、衣類の抽き出しを片付ける。春物、夏物を出すと、急に明るい色が混ざる。冬物はまだ仕舞えないが、晴れた日は桜色のTシャツを着て出かけよう。ELPを聴きながら抽き出しを整理する。何も買っていないはずなのに、うんざりするくらいの量 。館山で過ごした日々の重さを思う。

■2001.3.9
今日は朝からセミナに出席する。帰り道、東京駅まで歩いた。この辺りいつの間にか新しい巨大なビルが並んでいる。有楽町の周辺には歴史的に価値ある建物が多いが、ここは新しい。まるで外国の歩いているかのようだ。毎日変貌して行く東京はやはり面 白い。似たような地下道があって駅に通じているのだが、不連続な空間を歩いているような気分がする。海の見えるオフィスで仕事がしたい。ビルは見ていて飽きる。イタリア建築の本を読んでいたら、様式美が内部に埋蔵されていることに気づく。外観はいたって質素で味気ないのに、中に入るとすばらしさに驚かされる。宗教のもつ熱狂的な部分が伝わって来るような精密な美である。

■2001.3.8
午後大手町までセミナに出かける。白金高輪から地下鉄の先頭部に乗って大手町で降り、C1のKDDIビルを頼りにひたすら歩く。この辺りは一月に一度は訪れているはずなのに、地下街と地上とが結びつかない。大きな建物ばかりでランドマークになるのようなビルがないのだ。銀行も証券会社も新聞社も通 信社も連続して巨大な壁のようにそびえ立っている。ここは人が住む町ではないから、無機質な点が飽きなくていいのかもしれない。夜ジョージ・ハリソンを聴く。バングラディッシュと合わせて聴くと懐かしい曲ばかり。

■2001.3.7
午前中に会議がひとつ、午後データ作成に励む。今の仕事を続けていなかったら、どうなっていたのか。キャリアアップのサイトを読んでいたら、今考えていることがいくつも事例であげられてた。一度だけの試験で大学に入り、企業に入り、誠実に勤勉に仕事をしていれば偉くなる時代は終わった。個人生活と自分のキャリアプランを考えながら、毎日を過ごす。休暇を楽しんだり、家族と共有する時間を大切にしたりして人生を充実させよう。水曜日なのにかなり疲れている。明日はセミナ。

■2001.3.6
PowerMac7500にOS8.5を入れて動かしたいが、仕事の合間に作業するのでなかなか捗らどらない。明後日からは二日間セミナなのでなんとか明日中に完了したい。暖かい日だった。お昼に韓国のりをいただきながら、出張でこんな気の利いたお土産を買ってくるのはすごいと思う。午後、仕事をお願いする担当者が来ていて、説明をするがなんとなく慌ただしい。新しいことを始めるときはいつもどきどきする。昨日つくった金柑ゼリーは美味。毎日手作りのデザートに凝っているが、飽きずに続いている。

■2001.3.5
データ作りに一日追われる。一歩も外に出ずに過ごす。建築家たちのレポートを読みながら、もう一件海の見える別 荘がほしいと思う。物欲はないので、住宅を道楽にするのもいいかもしれない。ありふれた家でなく、自分の場所を確保したい。「生活」は「建築」たり得るか。この議論もなかなか面 白い。今の世の中が利益だけに重きを置いて、お金があることが価値のように思われて来たが、戦後の建築家たちは試行錯誤しながら日本独自の建築文化を作り上げて行ったのだ。仕事に没頭していると、同じくらい息抜きが必要になる。TVを見ることを止めたので、読書か音楽しかない。

■2001.3.4
荒れ模様の天気の中、館山に向かう。途中、石堂寺の梅林に寄ったが、こちらは七分咲きで見事だ。小雨の中、境内を散策する。館山でいつものように知人宅で休息して、野菜と新鮮な魚を買って戻って来た。昼からは晴れ間も見えて空いた道路は快適だった。夕方、黒豆を煮たり、鰯のつみれ汁などつくって過ごす。お雛様もようやく仕舞った。玄関が広々として見える。ジョージ・ハリソンを聴いて昔を思い出す。

■2001.3.3
午前中、図書館に行き本を三冊借りて来た。【竹西寛子著作集 第ニ巻 新潮社】、【住宅という場所で TOTO出版】、【建築と都市の美学 イタリアII 神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク 建築資料研究社】。暖かな日射しのもとで本を広げる楽しみは、新しい未知の世界を旅行するような気分。今日はひな祭りなので、いつものチョコレートケーキを焼く。一時間でできるいちばん簡単なケーキだが、味は上質。台所が素敵だと料理も楽しい。家を建てていちばん嬉しいことだ。 夜、ひな祭りの音楽を流して、甘酒を飲み、あられをいただく。

■2001.3.2
朝、雪が舞っていた。昼過ぎたら太陽が顔を出してのどかな一日。この変わり身の早さが春の特徴。日が長くなって、夕方バス停で本が読めるようになった。やりかけの仕事をなんとか時間内に終わらせ、飛んで帰る。一週間が終わるのはやはり嬉しい。二週間かけてやっと一冊の本が読み終わる。だんだんと処理速度が鈍くなっている。休日に読書と料理で気分転換して、海を見に行くつもりだ。

■2001.3.1
三月になったのでスプリングコートを羽織って出ると、外は雨だった。まだ寒い。ログの解析ツールをいじって半日過ごす。夕方もまだ雨が降り続いていた。二年前に引越をした日を思い出す。あの日、髪を洗ってドライヤが見つからなかった。三月は春のようでもあり、突然冬がぶり返したりして、気まぐれだ。あと三週間で春休み。それだけを頼りに過ごす。夜、ジョージ・ハリソンを聴く。


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