■2000.2.29
一個の存在が世界に触れる。その一瞬の出会いが完璧なものであるとき、われわれはそこに一種の永遠を感覚し、この感覚を美しいと呼ぶ - 秋山駿『佐佐木幸綱・直立せよ一行の詩』より。真剣に本を読んでいるとき、自分がどこにいるのかを忘れてしまうことがある。毎日の習慣を少しづつ変えてきて、けして日常に埋没しないこと。昨日と同じ、明日も同じでは、存在する理由が希薄だ。ひとはこんなとき、物語を書き始める。
■2000.2.28
朝、熱いミルクコーヒーを入れて仕事開始。たまったメイルをチェックしながら、ついでに英語の勉強もする。月曜日の八時台は平和そのもの。どうやったらもっと効率良く仕事ができるのだろうか。昼休みにはたわいもない話題で盛り上がり、お土産のチョコレートをつまみながら、息抜きする。話し相手には事欠かないし、細かな仕事で時間をつぶすこともできるが、成果をあげるためには集中しないとだめだ。帰りの電車の中で、読む本もなく外を眺めていたら、うんざりするくらい人がいた。人に酔ったので、帰ってからまたRodを聴く。なんとなくほっとする声だ。気分転換には料理がいちばん。手作りキムチに挑戦する。烏賊や、しらす干しをまぜて作ると味わいが出るようだ。
■2000.2.27
日曜日の朝はホットケーキを焼いて、サニーレタスに牛蒡とトマトを彩りよく並べていただく。濃いめに入れたコーヒーもおいしい。洗濯をして、ふとんを干して、たまっている家事を次々と片付けていく。なぜか、R.
スチュアートが聴きたくて、OOH LALA, Gasoline Alley, Never a dull moment と繰り返し聴いている。お昼に鯛飯を作ってみた。だしと醤油で味加減して、こぶを引いて鯛を載せ、長ねぎを細切りにして圧力がまで13分炊くだけなのだが、ご飯には焦げ目がついて、焼きおにぎり風で香ばしい。しま猫の方は、炊きあがるまで鳴いていたので、ひとくち鯛をやると舌舐めずりしていた。満足だったらしい。ようやくピアノの部屋におひな様を飾る。
■2000.2.26
館山は薄曇り。朝、お粥を炊いていたら、隣の家から小魚の差し入れがあった。フライパンで炒めて、甘辛く味付けすると美味。二軒の八百屋さんをはしごして、黄色のラッパ水仙を見つけてきた。季節の花を飾らないと玄関が寂しい。おでんの材料を仕入れて、千葉まで持ち帰る。夜、海沿いで帰ってきた。たっぷり寝て、休養したので機嫌がいい。明日もまだお休みなので、得をした気分だ。猫を探してベッドの上に置く。猫が身繕いしているのをみているとほっとする。
■2000.2.25
金曜日に会社を休んで、税務署、市役所、銀行と回る。家事もしたので、疲れて、夜館山へと向かう。明日朝の気温は-2℃だと聞いて、厚着して出かけた。高速道路が木更津までできたおかげて、二時間足らずで到着する。山の中は気温-4℃までさがっていた。南房総で凍結注意という看板に驚いたが、この気温なら水が凍る。風が強かったせいか、星がきれいだった。熱いココアを作って、早寝する。
■2000.2.24
目黒不動前で一年前に米国に帰国した友だちと会食会。仕事帰りの仲間が集って、久しぶりになつかしい顔ぶれが揃った。昔の白熱した会議を思い出す。元気をなくしたとき、忙しすぎるときには、昔の友だちと話をするのがいちばんだ。心の片隅が暖かくなるような気がする。外は北風が激しく舞っていても、友だちと語り合う晩は静かに過ぎていく。
■2000.2.23
ミーティングがあって、その合間に確認の電話を何本もいれる。まだまとまらないが、いずれ集大成するだろう仕事を淡々と続けている。同じ職種なのにソフト会社によって、雰囲気が違うのはおもしろい。おかげでリストに並べると規格が合わない。合併を繰り返して、業界の一元化は徐々に進められているというに、この違いはなんだろう。帰ってきてから、同期会の名簿の校正をする。
■2000.2.22
朝から仕事に追われていた。昼休みに友だちとたわいもない話をして過ごす。会社の中で、息抜きが上手にできないとすぐに行き詰まってしまう。濃いめに出した緑茶を楽しんだり、別の階に行くのに階段を往復したりして、気持ちの区切りをつける。Weekday
は仕事に専念して、Off はのんびり過ごすのが原則だが、忙しいからと仕事を家に持ち帰ると、夜までメイルをチェックすることになってしまう。通勤の合間に本を読むようにしているが、夢中になると眠ることも忘れている。
■2000.2.21
月曜日の朝は特に冷たい。今週も予定がびっしり。風邪を引く余裕もない。アメリカと中国と香港にメイルを送り、情報を待つ。銀座でレカンのケーキを調達し、電車に飛び乗って帰ってきた。家族の誕生祝いをして、ケーキを食べ濃い紅茶を飲んだら、なぜか眠れない。久しぶりに寝たのが十二時を過ぎていた。時間のたつのが早すぎる。締切りのない仕事はどうしても後回しになってしまうので、自分で計画を無理やり作る。
■2000.2.20
朝、一度目を覚ましてぐすぐすしていたら、九時近くまで眠ってしまった。雨戸をあけると激しい雨だった。雪じゃないのでがっかりする。雨の中、三芳村までトマトと産みたて卵を買いに出かける。新鮮な鯛、平目、イカなども買い揃えて、刺身用にする。高倉農協にもよって一週間分の野菜を仕入れて帰る。雨のせいか道が空いていた。久しぶりに海沿いで帰ったが、海はおだやかだ。週末はすぐに終わってしまうような気がする。
■2000.2.19
天気予報では雪だといっていた。午前中、幕張メッセまで出かける。福島から来たWeb友だちと再会し、お昼を食べる。土曜日だというのに混み合ってもいないし、ちょっと寂しい。本当にMacが好きな人は来ていたのだろうか。今日もマクロメディアのセミナを聞く。3.0にバージョンアップしなくちゃと思った。帰ってきてから、図書館に出かけて、四冊借りてくる。【佐佐木幸綱の世界・佐佐木幸綱論】、【Nine-and
Deat Makes Ten・カーター・ディクスン】、【物質文明・経済・資本主義・フェルナン・フローベル】、【五界彷徨・鷲田清一】。夕方、慌ただしく館山に向かう。
■2000.2.18
幕張メッセで開催されているMacExpo に出かけた。アドビのセミナはすごい人気で長い列ができていた。マクロメディアのWeb製作ツールのコンファレンスを受講する。今年のMacWorld
はまとまりがない。専任の管理者が面倒をみていない気がする。 T-ZONEのとなりで、金時計を売っている。会場の住み分けができていないとでもいうべきか。ローランドでは、iBookにDest
Top Musicを繋いでいた。これだとスタジオに持ち運びが便利だ。わたしもそろそろ音楽づくりでもしようかしら。
■2000.2.17
仕事の確認のためにあちこちに連絡していたら、昔いっしょに働いていた仲間が何人か見つかった。さすがに懐かしい。電話で近況を話して、アドレスを教わり、企画書を送る。この世界は狭いから、悪いことはできないのだ。一昔前なら、二三日かかったこれらの仕事も、メイルのやりとりだけで終わってしまう。今日も引き続き、小学校時代の友だちにメイルを出す。今頃になると無邪気な子ども時代がなつかしい。昨日憶えた英文なんて、すぐに忘れてしまうくせに、小学校の日々はあざやかに記憶している。
■2000.2.16
Webの検索機能を使って、小学校時代の親友を見つけだした。20年以上会っていない。さっそくメイルアドレスを教えあって連絡を取る。インターネットがなかったら、新しい人間関係が始まらないのだから、不思議な話だ。通勤の合間に本を一冊づつ生真面目に読んでいる。いつまで続くかわからないが、活字中毒なので、文字を見ていないと不安なのだ。2月は、寒いと嘆いているだけでなく、日頃ご無沙汰している方と会うのにいい時期かもしれない。ほどよい忙しさで、暖かな人付き合いに飢えている人が多い。
■2000.2.15
仕事は与えられるものではなく、自分から働きかけて作り出していくのものらしい。社内のメイリングリストを整備したら、さっそくあちこちのほころびが目立って、それを手直しする必要が出てきた。細かなことだが、部門間にまたがっているので、ひとりでは何もできない。第四世代の新人エンジニアを相手に、顧客本位を説明する。こういうのも仕事の範疇に入れると、忙しいこと限がない。不思議なのは、この種の雑用をこなしていると急に大きなプロジェクトが与えられる。外に出ると北風が冷たかった。ポトフを暖めて、ポンパドールのバゲットと食す。サイド・ディシュはローマ風カボチャのサラダ。チーズを熱々のカボチャに掛けて、イタリアン・ドレッシングで和えるだけの簡単料理なのだが、こくがある。食後はフォーションのアップルティーをいれて、プチパイを頬張る。くいしんぼうの家族はこれでも物足りないらしく、甘夏を所望した。
■2000.2.14
今日は聖バレンタインの日。でもチョコレートを配る習慣は廃れてしまったようだ。まわりを見渡しても海外からのビジターがもってきた箱入りチョコを配っていた人ばかりだったし、義理がらみというのにも飽きた。森鴎外の妹の小金井喜美子が書いた【鴎外の思い出】を読む。明治の中上流階級の質素な暮らしぶりが伝わってくる。その中で親や姑を大切にして、わずかな頂き物も分け合って楽しむという暖かな家庭がある。手間を惜しまずに、なんでも自分で作るし、西洋料理にも挑戦する。なにもかも揃った現代の生活に較べて不自由なことも多かったはずなのに凛とした姿勢があって、心を打たれる。所詮、思い通りに行かないと嘆くのはわがままなのだと自省する。明治の女が偉かったのか、男にかしずくようにみせて実権はしっかりと握っていたのだ。
■2000.2.13
家族揃って墓参に出かける。泉区のあたりはまだ、梅も咲いていない。今日は薄日だったが、それでも家の中は暖かだ。ベンジャミンを日に当て、植木鉢からローズマリーをちぎって肉料理に使う。二月の休日は家で過ごすのがいちばん。図書館に出かけて、4冊借りてきた。これを通勤のお供にするつもり。ZEPを掛けながら部屋の掃除も完了した。一月に一度は大掃除が必要だと思う。明日からの一週間に備えて、早い夕食、早寝を心掛ける。
■2000.2.12
まだ休みが続いている。南房総では、和田町がNHKで紹介されたせいか、どこも車がたくさん出ていた。海回りの渋滞を嫌って、鴨川経由で来るのだが、そこがすでに渋滞している。昼前に館山を出発して千葉に戻る。お天気がいいので、タオルケットも洗った。展覧会の絵は食事時間にふさわしくないので、タルカスに替える。ELPを聴きながら、新聞を広げニュースを探す。家族が暖かな居間に集結して、猫も二匹でじゃれていた。明日はまだ日曜日。こんなにくつろぐのも久しぶりだ。たっぷりと睡眠をとったので機嫌もいい。元気がなかったのは睡眠不足の影響だろうか。好きな本を少しづつ読んで夜を過ごす。
■2000.2.11
久しぶりに朝寝坊する。お正月以来のこと。目が覚めたら日が高く昇っていた。十時頃、朝食をたべ、続いて軽い昼食を取る。休みの日は時間があるから、手の込んだ煮物をしながら、台所で過ごす。天気がいいので、いくらでも寝ていられそうな気がする。いつもは時間に追われた生活をしているので、何も生み出さず、何もしない一日というのが極上の贅沢だ。好きな音楽を聴いて、本を読んで、夕方になったら、館山に出かけるつもり。
■2000.2.10
三連休を控えてみなうきうきしていた。お天気もいいらしい。鶴見にある家具の倉庫セールに出かけ、納戸に入れる棚をひとつ買ってきた。ほんとうはソファベットがほしかったのだが、なかなか気に入るものが見つからない。すてきな家具はたくさんあったが、置く場所がない。なにもない部屋なら、あれこれ買いたかった。品川から乗った総武横須賀線は、鶴見駅付近でまくら木が燃えているので消火活動をして遅れ、新橋駅手前では、ホームに転落したお客さまを発見して、急ブレーキをかける。この頃安心して電車に乗れない。世の中が少しづつおかしくなっているのではないか。
■2000.2.9
なぜか今日もリングイネを食べている。ほんとうはバジルを入れたかったのだが、鉢植えがないので、ミートソースで和える。ローズマリーを取ってきて、豚肉のかたまりを茹でた。こちらはよいスープができ上がる。LPでタルカスを聴きながら、皿を洗い、食事のしたくをする。そとは北風が吹いていても、とりあえず幸せ。完全な幸福を求める替わりにに、多くを期待しない生活を続けている。そんな中での贅沢は、音楽を聴くことだろうか。どのレコードを聴こうかと迷うときの愉しさ。昔の遺産で暮らしているような気分になる。
■2000.2.8
仕事の発表会の後、広尾のレストランで打ち上げをする。イタリア料理を楽しみながら、ガラスの窓越しに雪が舞っているのを見て驚く。東京はかなり激しい降り方だったのに千葉についたら、雨に変わっていた。今回の仕事でまた、新しいネットワークが広がった。天王洲にもオフィスがあるので、そこにみんなで集まって、新年会を開こうということになった。前向きな考えの人たちの中にいると、刺激を受けて新しい発想がどんどん生まれる。いつも新しいことに挑戦しているようでも、他事業部の人から意見を聞くと参考になることが多い。
■2000.2.7
ZEPPELIN IIをLPで聴く。音が違う。70年代を知っているわたしは、特別な世代なのかもしれない。2000年になって、また、LPが聴けるようになり、昔の友だちのとの交流も始まった。途切れていたものが突然、再開するのは不思議な体験だ。人のと出会いにも似たようなことがある。Webがあるのも関係しているらしい。時間や距離
が等しくなるから、別れているような気がしない。ずっと話し続けているような感覚。本当はやらなければいけない宿題があるのに、避けて暮らしている。だから、余計70年代がなつかしく思えるのかもしれない。
■2000.2.6
おいしいトマトが食べたくてわざわざ三芳村まで出かける。土のめぐみ館は別館がオープンしていて、オシャレな食事どころになっていた。木をふんだんに使った建物は途中がオープンエアーで、広々とゆったりしている。帰りに通ったら、観光バスが何台も止まっていた。野菜や花の価格がこころもち上がったような気もする。南房総には観光値段と地元値段の二種類が厳然と在って、両者の接点はだれも知らない。新鮮な魚があったので、刺身用にいくつか選ぶ。よく切れる包丁さえあれば、刺身定食なんて簡単につくれる。海の幸をどっさり仕入れて千葉に帰る。
■2000.2.5
週末が晴天だと嬉しくなる。ふかふかに干したふとんや、ぱりっと乾いたシーツには太陽の匂いがして気持ちがいい。日だまりで寝転んでいる猫たちをみていると、ほっとする。猫がうらやましく思えるほど、忙しかったのだろうか。夕方になってようやく館山に出かけた。泊まるのは久しぶりのことなので、何も持たずに車に飛び乗る。遅い夕食を食べ、話し込んでいたらすぐ寝る時間になってしまった。外はやはり寒い。星がきれいだった。
■2000.2.4
東京駅で友だちと会う。イタリア料理とおしゃべりを堪能して、別れる。週末なのか、どこも人であふれていた。働いている人はみな幸せなのだろうか。忙しさの中に、憩いがある。始めから空虚だと、一瞬のやすらぎがわからない。時間がたっぷりあったときも、それを意識しなければ活用できない。電車の中で勉強している人をみると、自らを戒めるのだが続かない。小説を読み出して、降りる駅で腹を立てたことはあるが、勉強に夢中になって、乗り越したことはないのだ。電車の中で人間観察をする。最近はドラマがない。
■2000.2.3
今日は節分。新しい家なのでほんの少し豆を撒く。猫がそれにじゃれていた。寒さの中に、春の兆しがあって、太陽の明るさがありがたい。去年の今頃は、家の建て替え準備で忙しかったのを思い出す。あの頃はLPを聴く方法がなかった。今でも十分とはいえないが、でもLPを両手で支えて、慎重に針を置く愉しみができた。木曜日は週末とは違った開放感があって、少しくらいなら無理をしても平気。
■2000.2.2
仕事帰りに買い物をして、電車に飛び乗って帰る。大野晋の日本語についてを読んでいるが、学問することの孤独さ、ち密さ、根気強さのようなものが伝わってくる。会社の仕事も個人レベルでみれば、目立たない努力もたくさんあって研究の過程に似ているが、それでも成果を求められる。一日の過ごし方の密度となにを仕上げたかには、いつもずれがあるのだ。ZEPPELINを聴いて、心を解放させる。
■2000.2.1
朝日が昇るのが早くなった気がする。電車に乗るとき、朝日がきれいだ。夕方、会社を出ても空がほのかに明るい。二月は一年でいちばん短くて寒い月だが 、その分楽しいことも用意されている。節分は春の始まりだし、来週は三連休だ。ファイルがひとつどうしても動かなくて、半日無為に過ごす。埋め合わせに夕食後、雑誌を読みながらのんびりする。あくせくしてもできないことはできないし、ある日突然、幸運がやってくることを信じて、落ち込まない。
■2000年1月
■1999年12月・■11月・■10月・■9月・■8月・■7月・■6月・■5月・■4月・■3月・■2月・■1月
■1998年12月・■11月・■10月・■9月・■8月・■7月・■6月・■5月・■4月・■3月・■2月・■1月
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