表紙にもどる since1997.11.15
■2000.12.31
これで新しい世紀が始まるのだと思うと、70年代の音楽が懐かしくT.
Rexから始めてワイト島まで日頃聴かないCDをかける。紅白もその他のTV番組も見ないで、昔の雑誌や服飾雑誌を眺めて過ごした。自分から欲していないときに、押し付けられるようにして流れてくるTVは見ないようにしている。本はページ閉じればそこで小休止できる。年末年始は、長い休暇のように思えるから、年末だけ忙しいということもない。十二時になったとき、どこかで花火を揚げている音がした。除夜の鐘の代わりだろうか。新しい始まりという感じがした。
■2000.12.30
朝食をすませると、旅支度をして館山に向かう。毎年、ここで過ごしていたので、今回はホテルに泊まって年末の館山を満喫する。途中で野菜を買って、洋服など買い物をして三時頃ホテルに到着。思ったより贅沢な造りに驚き、海の見える部屋を楽しむ。夕食は館山まで出て、いつもの馴染みの店でゆっくりし、帰りに本屋さんで欲しかった雑誌を購入。ここでは、千葉で手に入らないものが残っているから嬉しくなる。ホテルには露天風呂もあって、冷たい空気の中、身体の芯が暖まっていく。美味しいものを食べ、お正月用品を揃えて家に戻る。年末の慌ただしい中でのこんな休息はほんとうにありがたい。
■2000.12.29
ようやく仕事納めだ。アンケートの材料だけ用意して、三時に新橋行きのバスで家に向かう。道も電車も空いていてこれが東京の適性人口だと思った。いつものスーパーに立ち寄ると、すっかり正月モードになっていた。まだなにも用意していない。2000年対策で二日から出た去年と較べればゆっくりできるだろう。ココア味のアップルチーズケーキを焼く。ババロア風の仕上がりで、冷やした方が美味しそう。寒いので縞猫を誘っていっしょに寝ることにする。明日から一泊二日で館山方面
に小旅行。
■2000.12.28
インタビューを一つ。年内の仕事は完了したので、引き出しの整理をする。一年間溜め込んだレポート、新製品紹介などは年末にはほとんど役に立たない。書類を廃棄して、ファイルを新しくして、来年を待つ。電車を乗り継いで少しでも早く帰ろうとしたが、結局いつもの電車になった。山の手線が事故で止まっていたらしい。今日まではいつもどおり仕事する人が多いようだ。明日は空いた都心を楽しめるだろうか。
■2000.12.27
品川駅には大きな荷物を抱えた親子連れが何組もいる。去年もこれと同じ風景を見たのだろうが、記憶に残っていない。年の瀬は慌ただしくもなく、ただ凍てつくような空気の中、健気に通
勤している。電車はずいぶん空いているが、一方でおなじみの顔を見かけてほっとする。新しいカレンダーを掛け、ようやくクリスマスの飾りを仕舞った。週末に館山に出かけるのが、いちばんの楽しみ。ZEPを毎日聴いているが、これで歳を越すのだろうかとぼんやりと思う。明日は東京ミレナリオ
に出かけてみよう。
■2000.12.26
年内に予定していた仕事がもう一つ終わった。残るはあとひとつ。たくさんのメイルを書いて、明日の打ち合わせの予定を入れる。米国はクリスマス休暇なので、なにも起こらない。外資系のアフタークリスマスなんて、休日出勤しているようなものだ。家にいるより会社の方が余裕がある。帰り道、品川まで出てポンパドールで焼き立てのフランスパンを購入。電車の中で香ばしい匂いが漂っていた。忙しい中、二匹の猫には挨拶して鯵を分け与える。ふかふかの布団に潜り込んで、早く眠ろう。
■2000.12.25
会社を午前中でお終いにして帰る。風が冷たい。森遥子の小説を読みながら、少し眠った。目が覚めたら夜が訪れていた。ZEPを聴きながら洗濯をし、メイルを読む。頂き物のゆずがたくさんあるので、柚子ゼリーを作ることにした。お菓子をつくっているとほっとする。明日も仕事。
■2000.12.24
三宅坂まで歌舞伎を見に行く。菊五郎はいい、華やかな芝居をみると一足早く春が来たかのようだ。帰りに東京駅から帰ったら、降誕祭で東京ミレナリオの飾り付けをしていた。明日は覗いてみよう。疲れたので早く休んだ。
■2000.12.23
天皇誕生日でお休み。久しぶりに朝寝を堪能する。完全な休息というのは、夢も見ないで静かに眠ることなのだろうか。昔のことを思い出してニールヤングのHarvestを聴く。
70年代があって、90年代があって、その間どうして暮らしていたのだろうか。12月に入っても静かな日が続く。ドイツワインを飲みながら、少しきれいになった部屋を見てあと一息だと思う。星空の見える窓でワインを飲むのが夢だ。気分はもう年末モードに入っているが、来週も仕事がある。
■2000.12.22
高校の同期会で40余人も集まって望年会。すごい熱気と歓談で、一次会が終わったのが十時だった。そのまま家路に着く。この会があるかぎり老後もまた楽しい。今年もたくさんの友だちと出会った。人並み以上に恵まれていると思う。みんなに感謝しながら歳を取りたい。仲間がいるので、今後も千葉限定オフを次々と企画する。来年も楽しそうだ。健康で友だちがいるのがいちばんの財産だと実感。
■2000.12.21
新宿で音楽演奏会があったので、久しぶりに西新宿に出てみた。白金高輪、四ッ谷、西新宿と意外と近い。夜の高層ビルの谷間でうろうろとしてしまう。パープの演奏は快く楽しめた。もっといつまでも聴いていたいと思う。帰り道、仮住まいをしていた古家が壊されて更地になっているのを見る。あれはひとときの夢幻だったのだろうか。明日も忘年会だ。
■2000.12.20
モノレールに乗って市役所前から少し歩く。優良ドライバの講習会で新しい免許書を貰った。ビデオで交通
事故の怖さを説明され、とても車に乗る気分にはなれない。ポートタウンから三十分近く歩いて帰って来る。休みの日はやることがたくさんあるのに午睡をして、食事のしたくをしていたら暗くなってしまった。頼んでいたワインが届き、さっそくロゼを開けてみる。マスカットのようなフルーティな香りがすてきだ。休日らしくバナナケーキを焼いてデザートに戴く。田舎から送られて来たリンゴは、自然の色をしているので皮をむいてアップルティーにする。果
物の香りは心をほっとさせる。明日からは忙しい日々が続くので小休止といったところだろうか。ELPばかり聴いた。
■2000.12.19
宿題をひとつ片付け、明日は天皇誕生日の振替休日。週の半ばに休みが入ると贅沢な気分になる。ELPを聴きながら30年ってつかの間だという気がしている。高校時代を過ぎて深く考えたり、傷付いたりしなくなった。
17歳の行き場のない絶望感は、昔も今も変わらない。今の恵まれた子たちは勤労の喜びも知らないし、ましてや成果
を出す誇らしさを感じることもない。目的がないから空虚なのだと思う。読書も映画も音楽も芝居も、退屈を忘れることができても、空しさを埋めることはできない。仕事に追われて飛ぶようにして暮らしている身は幸せというべきか。
■2000.12.18
年末を意識して仕事の段取りを進める。あと二週間で2000年もお終いだ。節目の年のせいか、記念行事がずっと続いている。電車の行き帰りで熟睡して英気を養い、なんとか一週間が過ぎて行く。通
勤のお供に古典を読み始めたが、これも数をこなすとだんだんと様子が分って来て、すらすらと原文が読めるようになるのだ。英語のリーディングに似ている。源氏物語に匹敵するだけの物はないが、それでも当時の人生観、男女観が伝わってくる。日本人は一千年前からそう変わっていないと実感。その頃政治と文化の中心だった京の都はいまも廃れていない。
■2000.12.17
八時近くまで眠っていて、朝食後館山に出かけた。木更津を越えた辺りから青空が広がっている。三芳村やおどやで買い物をして、いつもの店で昼食を取る。年末年始の予定を聞いて次回にも立ち寄ろうと決めた。恩師宅でフォーションのカラメルティをごちそうになり、野菜もたくさん戴く。館山は人も景色も優しい。あちこちで年末の大売出しをしていた。夕食に刺身の盛り合わせとネギとろをいただく。何気なく食べていたものが千葉では手に入らないから不思議だ。生ヒジキと鰻ボールを炊いたものや、やつがしらのコンソメ煮などは材料がいいのでいつもおいしい。昨日の余韻でELPを聴いている。
■2000.12.16
朝からELP漬けで家事を済ませ、夕方、ELP世紀末オフに出かける。新宿御苑の辺りはずいぶん開けて来た。希少品のビデオを見たり、生演奏が合ったりと充実していたが、音楽ができるということは素敵だと思う。このオフは初めてなのになじみが大勢いるから楽しい。昼間風があったのに、帰りは思ったより暖かい。すっかり幸福な気分で家路に着く。
■2000.12.15
久しぶりに銀座に出て七丁目から一丁目まで歩いた。ここの人混みは柔らかい。クリスマスが近いせいか人も多いが、華美な飾り付けはなくなった。冬の暖かな日は東京の町が穏やかで輝いて見える。大江戸線が開通
したのにまだいちども利用していない。普段の生活で東京を半周することもないから、六の字を描く環状線とは縁がないのかもしれない。営団も都営もゾーンで分けて均一料金にしたらいいと思う。木村屋で珍しいパンばかり買って来て冷凍する。金曜日の夜はほっとすると同時に一週間頑張ったと自分を励ますときだ。
■2000.12.14
東京ドームで開かれているセミナに出かけて来た。東京ドームホテルができて水道橋の辺りもずいぶんと変わってしまった。帰り道、白山に出て美容室に行く。都営三田線に乗って日比谷で降りた。有楽町の駅前はそごうが無くなって寂しい。一方ですてきなお店があちこちに広がっている。ザザビーでプレゼントを買って帰る。台湾から出張で来ていた弟が帰ったので、静かに夕食を取る。デザートのカルピスふじリンゴゼリーは好評だった。
■2000.12.13
日比谷から東京駅京葉口まで歩いて帰って来た。やはり早く帰れるのは嬉しい。通
勤のお供に王朝文学を読んでいるが、当時の上流貴族の悩みというのは、美しい妻がいるのに、経済的な背景をもってかしづいてくれる富裕な本妻に頭が上がらないということだ。妻の実家が豊かなら、家柄は申し分がないから娘を女御にあげることもできる。いくら美貌でも片親だったり、経済的に恵まれていない妻は北の方にはなれないのだ。そう思って、源氏物語を読み直すとなかなか趣がある。
■2000.12.12
大江戸線が開通のでバスの本数が減ってしまった。地下鉄で三田から田町に出て、品川経由で帰ってくる。当分はあれこれと試してみるしかない。図書館に滑り込んで、【近松門左衛門集4・新編日本古典文学全集】、【サド侯爵の生涯I・J.J.
ポーヴェール】、 【中世王朝物語全集10 しのびね しら露】を借りてくる。現実から逃げているわけではないが、非日常を生きたい。台湾から弟が出張でやってくる。寒いと震えていた。
■2000.12.11
月曜の午後は眠い。館山に行かなくなって、ぼんやりと一日過ごすことがなくなった。都会の暮らしでは、やることが切りなくあるようだ。大江戸線の開通
で、いつも使っているバスの本数が減ってしまった。今日は白金高輪、東京駅から京葉線で帰ってくる。いつもと同じように出て十五分以上も時間短縮できる。歩くことさえいとわなければ、こういう通
勤もいい。稲毛海岸から千葉みなとにかけて、夜の海が黒く光っていた。海の見えるところに住んでいるのを忘れている。夜、たっぷり用意したお惣菜を食べて、近くのスーパーまで足りないものを調達に行く。電球や、箸箱、麦茶などなんでも揃っている24時間営業の店は、ほんとうに有り難い。
■2000.12.10
朝分厚いホットケーキを齧り、高倉まで野菜の買い出しに出かけた。アカデミアパークで朝市を開催していたので、シクラメンと傘立てを買って値引き交渉をする。時間があったら、もっと買い物をしていたいが急ぐ旅なので、午前中に家に戻る。豆と牛肉のトマトスープ、肉じゃが、油揚げの卵煮など作って、鍋用に確保していた春菊でサラダに挑戦。素材について迷ったとき、インターネットは頼もしい。夜、ジミヘンを聴きながらようやく部屋の掃除を済ませた。ぼんやりと薄曇りの夜は暖かな猫を見つけて眠る>
■2000.12.9
一度七時に目が覚めたのだが、また眠ってしまって気が付いたら九時を過ぎていた。一日の立つのが早い。たっぷり眠ったので、久しぶりに料理の腕を奮う。身欠きニシンを大根と煮たり、焼豚を作ったして、最後にはチョコレート・チーズケーキも焼いてしまった。美味しいものを食べようと思ったら、材料を吟味して自分で作るに限る。京都の錦小路を歩いても欲しいものがそうない。たいていは自分が簡単に作れるものばかりなので、ちょっとがっかり。昔はコーヒーゼリーも市販品を食べていた。忙しい方が料理に集中して頑張る。健康でないと仕事も遊びもうまくいかない。amazon.co.jpでお願いしていた落窪物語が届いたが、読む時間がない。明日はのんびりと午後を過ごそう。
■2000.12.8
仕事を早めに切り上げて、品川でケーキを買って帰ろうとしたら、バスが来ない。40分待って、品川行きも四ッ谷行きも通
っていないことに気づく。タイムリミットなので、白金高輪から日比谷にでて、京葉線入口まで五分くらい歩いた。なんとか七時前に帰宅する。夜の丸の内界隈は不思議な活気があって、さすがにビジネスパーソンの街である。夕食に山芋を擦り下ろして出汁で割り、卵黄を入れて混ぜる。これをご飯にかけて海苔を散らすとなかなか美味。食後、近くのスーパーまで食材を買いに出かける。牛乳がたっぷりあるので、熱々のミルクココアを作って飲み干した。やっと週末がくる。
■2000.12.7
渋谷で早めに食事してBunkamuraに向かう。絵の展覧会やクリスマス用アート作品などを眺めて時間を過ごす。八時からの夜会が終わったのは十時四十五分。帰ったら十二時過ぎていた。ほとんどシンデレラの気分だ。今回は詩の朗読が随所に見られて、その分動きは抑えられているが、余韻のある作品に仕上がっている。大人の観客が多いのも特徴だ。渋谷の街は相変わらず子どもたちに占領されているが、この辺りはさすがに人通
りもまばらだった。明日も仕事があるので、慌ててベッドに飛び込む。
■2000.12.6
仕事の合間に遊ぶことばかり考えて暮らしている。お正月に入る前に館山に二三日泊まってゆっくりするとか、コンサートに行くこと。都心回帰と相まって、渋谷のおいしい店とか、新宿のオシャレな食事処とか自分の手帳を充実させたい。地下鉄があちこちで開通
して、会社からのアクセスが抜群によくなった。新宿まで30分くらいになって、いままでいけないと諦めていた場所にも進出している。急に仕事が忙しくなって、なんとか締切に間に合わせ、ほっとして電車に乗る。白菜とベーコンにホウレン草を入れた熱々のスープをいただきながら、風邪も引かずによく頑張っていると思う。明日はいよいよ夜会。
■2000.12.5
眠いはずが、仕事が立て込んで走り回っていたら元気だった。通勤の合間に古典を読む。平安時代の上級貴族たちがなにを理想としたか、そして草花や鳥、獣、雲や木々などと親しんで暮らしていたことがよく分かる。見事な枝振りの花に手紙を付けて送ったり、岩に見立てて苦しい恋を詠ったりする。現実からやや離れてほっとする時間を作らないとだめだ。インターネットを始めて友だちが増えた。趣味の合う友は貴重だ。早寝をしようとして十一時過ぎてしまった。明日はまだ水曜日。
■2000.12.4
十二月に入り上司と一年の成果を話し合う。細々と書き出すとずいぶんと仕事をしているものだ。急ぎの仕事を一件引き受け、原稿をお願いする。帰って来てから、近くに住む同級生の家でMac6100にインターネットの設定をする。夜遅くまで話し込んでしまったが、楽しかった。凛とした寒さの中、星がきれいだった。
■2000.12.3
早起きしたのに何をして一日過ごしたのだろうか。高倉まで野菜の買い出しに行き、南天の苗木を買って来た。鉢に植えて庭の隅に置くと、枝振りが上品で赤い実が正月のイメージだ。本当はシクラメンが欲しかったのだが、ぴったりするのがないので諦めた。本当に欲しいものだけ身近に置いて暮らしたいから、中途半端に妥協はしないことにしている。
ベトナムインテリアの旅ということで、久しぶりにTVを見た。ホーチミン市というとピンと来ないが、サイゴンというとよく分かる。仏領だった面
影が町並みに残っていてどこか優雅だ。今アジアの中でベトナムにいちばん行きたい。家具や陶器にもすてきなものが多く、値段も安いのが嬉しい。のんびりしていたので夜になってから慌てて部屋の掃除をする。休みがもう一日あればと思う。予定していたことは半分もできなかったが、気分転換にはなった。
■2000.12.2
晴れた朝は気持ちがよい。サンタナのブラックマジックウーマンを聴いている。なつかしいメロディの数々は時空を超えて、昔を今に連れてくる。70年代の音楽しかなくても十分幸せだというのは不遜だろうか。もう二度と語ることはできないと思っていた自分だけの印象、ときめき、感動、そんなものを分かりあえる相手がいる。音楽が生活と密着していた時代があった。古典がいつの時代も色褪せないように、70年代の音楽は永遠だと思う。暖かさに誘われて午睡をする。気が付いたらすっかり、夜が始まっていた。
■2000.12.1
12月に入ったら忘年会。渋谷円山町にある一軒家で開催。金曜日の夜、十一時過ぎに渋谷界隈を歩くと人並みに揉まれている。若い人が圧倒的に多い。ここには悲愴感も空虚さもなく、携帯を片手に朗らかな笑顔で歩いている。考えることを止めるとき、人間が終わるように思っている世代と、十分すぎるほどの物に囲まれて迷いもなく生きている世代がある。一年の最後の月は、人との出会いを大切にしようと思う。仕事は人生の一部でしかないから、それ以外の生き方を誠実に考えてみる必要がある。
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