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■1997.12.31

今年もあと数時間。大晦日に自宅にいるのは何年ぶりかしら。ちょっと車で近くを走ったが、やはり道路は空いている。町も静かで、ひっそりと正月を来るのを待っているようだ。きょうは一日よいお天気だった。部屋のまわりを少し片づけ、LED ZEPPELIN ポスターを貼る。隣には、INDYのカレンダがあって、なかなかよい。本格的なおせちを作るのを辞めたおかげで、年末なのに時間がたっぷりある。例によって、レコード大賞とか、紅白を見る人もいるらしいが、私はMac の前にすわってカウントダウンを始めるのだ。1998年がどんな年になるのか、そして来年の今頃、なにをしているのだろうかと考えながら、年を越すつもりだ。


■1997.12.30

ついにデジタル・カメラを買ってしまった。とりあえず猫たちをモデルに練習してみる。そのうち、Webの方でも活用する日がくるだろう。ついでに新星堂でディープ・パープルのライブ・イン・ジャパン、マシン・ヘッド、イン・ロック、ファイアボールを買う。ラオックス新星堂が同じビルにあって、車がとめやすいと自然に通い詰めてしまう。危険だ。ところでディープ・パープルって、ハードロックの雄と言われた割りには、公式のWebページが見つからない。gooで探していたら、こんなところが見つかった。要するに壁紙屋さんなんです、ディープ・パープルの色した。Freeの壁紙、ちょっと癖があるけれど、使えそうなものもあります。


■1997.12.29

今日で仕事納め。実は先週の金曜日に休んだので、これでお終いだという気分になれない。今日は電話もほとんどなく、快適だった。午前中で受付締切りの年賀状を書く。これは会社関係の人たちだけで、個人的にはほとんど書かない。いまはemailもあるし、しょっちゅう会う人に書くなら、長い手紙にしたいと思う。短い年末年始の休みなのにやることは、結構ある。一晩泊まりで出かけて、いつもの初詣でもしなくちゃ。今日、雑誌を見ていたら、急にデジタル・カメラが欲しくなった。Windowsの雑誌見て、Mac対応のデジカメを探しているのは、ちょっと変かな。いくら性能がよくても、重いカメラは持ちたくないし、決めるのがむずかしい。迷っていると、すぐに新製品がでてしまうのだ。


■1997.12.28

館山から鴨川経由で帰って来る。これは海回りになるので、大平洋の荒波を鑑賞しながらのドライブだ。天気がいいので、青い波と白い波飛沫が、絵のように美しい。サーファーたちは、別として、年末のこの時期に旅行する人もいないから、道は空いていて気持ちが良い。あちこちで花畑があるが、人はいない。なんとなくハワイを思い出す。鴨川からは山道を通って帰って来たが、海ほたるなどができたせいか、館山自動車道の上り(東京方面)は心持ち空いている気がする。いろいろ寄り道して、家まで二時間ちょっと、楽しいドライブだった。明日はまた、会社がある。だぶん片づけだけで仕事にはならないだろう。


■1997.12.27

久しぶりに朝寝坊して、目が覚めたら9時半だった。前の晩10時に寝た人は、いったい何時間寝ていたことになるだろうか。館山のうちは、気持ちがいいのでいくらでも眠れる。猫もいないので、起こしに来る人もいない。きのうからアガサ・クリスティの探偵小説(これは英語)を読んでいて、夕方、安くて、旨い鮨屋さんに行く。そう言えば、鮨の町館山なんて看板があったっけ。ここでは新鮮な魚介類が豊富に取れるので、白いご飯さえ炊けば、鮨めしが簡単に作れる。


■1997.12.26

今年はインターネット元年だった。いったい何台コンピュータを買ったのだろう。家族全員が603e以上のマシンを使うようになって、快適だ。OCNエコノミーも始まって、二十四時間インターネットになった。だが、あまりどっぷりと浸ってしまうと、寝る時間がなくなってしまう。そこで、週末は、電話もテレビもない世界で過ごすようにしている。というわけで、ちょっと遊びに行って来ます。このクリスマスも終り、お正月前の時期はどこも静かで、遊びに行くならいまがお薦め。新年の準備に追われている境内を散歩するのも風情があります。お正月の飾り付けもしなくちゃね。


■1997.12.25

久しぶりにQuarkで遊んでしまった。同期会でクイズをするが、そのとき賞品とともに渡す表彰状の文面を考えていたら、いろいろとアイデアが浮かんできて眠れない。Quarkは慣れるとなんでもできるから、頼もしい。あとは色紙に印刷すれば、素人が作ったとは思えない出来映えになる。高校の同期会の案内を作っていたが、見慣れた名前と、まったく知らない名前が並んでいるのは不思議だ。高校の三年間、一度も口を聞いたことのない友だちが大勢いる。その人たちとこれから交際がはじまるのだろうか。うまく言葉でいえないが、そのいう巡り合わせもあるのだ。


■1997.12.24

きょうはクリスマスイブ。アメリカにいると、十一月頃から街がクリスマスの飾り付けをして、公園にも光がともり本当にきれいだった。家中をプレゼントに見立ててリボンのような電球を飾り立てたり、屋根や壁を赤・緑のクリスマスカラーで塗り替えてしまったりする。わたしの住んでいたスコッツディールのマンションでは、クリスマスの飾り付けコンテストまであって、みんな真剣だった。そこに行くと日本はつまらない。某宝石店には、セールをしているのかと見間違えるくらい、若者が群がっているし、道ばたのコンビニではサンタ姿のおねえさんが一生懸命クリスマスケーキを売っている。明日になれば、半額ですものね。それにしても今夜の湾岸線は信じられないくらい渋滞していた。いつも、クリスマスイブに車に乗ったことがないので、事情がよくわからないが、舞浜千葉みなとに向かう人が、みんないっせいに乗り込んで来ているようだ。もしかしら、その先の海ほたるまで行くのだろうか。クリスマスくらい家でゆっくり過ごしたらいいのにね。


■1997.12.23

天皇誕生日なので祝日。休みになるのは嬉しいが、不景気なんだからいっそクリスマスと合わせて新しく連休を作ってしまったらいいのに、と思うのはわたしだけだろうか。こんな寒い中、宮中一般参賀なんてあるのかしら。去年の今頃はペルーで人質事件がありましたね。あれは、一足早い天皇誕生パーティだったと思う。そういえば、今日外に出かけたけれど、日の丸の旗を出している家はなかった。三年前、家族揃ってサンフランシスコのホテルに泊まったとき、ちゃんと日の丸が、星条旗といっしょに掲げられていて、どうしてだろうと思ったら、その日は天皇誕生日だった。外国の方が記念日を大切にするのだろう。寒いから、本当はどこにも行きたくないといって、午後一杯遊んできました。明日はまた、お仕事があるのです。


■1997.12.22

先週Communicator Pro4.03をインストールして、今日からNetscape Mailを使い始めた。 まだ使い方がよくわからないのと、説明が全部英文なのがうんざりするが、手紙に書いてあるhttp://...の表示がそのままWebにシームレスに繋がるのはありがたい。Netscapeさえ開けておけば、ちょこっとメイルのチェックもできるし、また、Webの仕事に戻ることができる。まだ、わからなことばかりで何をしたらいちばん効率的なのか、検討もつかない。奥が深い。なんといっても、初日からメイルを送ったり、見たりしているのだから、使いやすいのだろう。おかげで、肝心のレポート、きょうも完成しなかった。


■1997.12.21

きょうも千倉八百屋さんに行く。年末なので大賑わいしていた。卵が一パック五十円(お一人様一パック限り)。さらに千円以上お買い上げの方に、もれなく、菜の花の漬け物がプレゼントされる。わたしも、カーネーション、南天、きゅうり、カボチャ、さつま芋、ほうれん草、小松菜、人参など買って、漬け物を貰いました。それだけではない。外では、甘酒と豚汁がサービスされていた。おかげで近くの道路には無断駐車の車が溢れていて、交通整理がでる始末。ここは何でも安いが、それ以上に嬉しいのが、生産者と口を聞きながら買い物ができること。夏の話だが、西瓜を選んでいたら、これは模様がすこし変でしょうだから、百円安くしておくわと、持ってきた農家の人に薦められて買ったところ、本当に甘くておいしかった。そんなことが頻繁にある。ここで買った花は二週間近くも持つし、見知らぬ野菜の料理法を教わったこともある。たいてい週末はここに来るが、地元の人と思われているらしく、ご商売で使うのと聞かれたことがある。一週間分大量に買い込むので、毎日買いに来る人には信じられない量になるのだろう。野菜をたくさん食べていると、気分も明るくなるのは不思議だ。


■1997.12.20

木更津と川崎を結ぶアクアラインが12/18に開通したが、会社を休んで初日にさっそく出かけたきた若者がいる。景色の良い木更津側から出発するのに二時間も待ったそうだ。おまけに海ほたる(途中にあるパーキングエリア)に入るのにさらに一時間待ったという。こういうもの好きな人がいるから、混雑するのに、本人はいたって平気でいる。でも、片道4,000円はやはり高い。景色の良いところなら、南房総にはいくらでも穴場がある。渋滞の中、海を眺めても楽しくないと思うのはわたしだけだろうか。ちなみにこの海ほたる土日とも満車という表示が出ていた。


■1997.12.19

今日は課内の忘年会。バブル時代には十二月が怖いほどおさそいがあったが、いまは静かになってほっとしている。そんなわけで身内だけでひっそりと開催した。いつもいっしょに仕事をしている仲間たちだが、アフターファイブのつきあいは一切ないので、このメンバで飲みに行くのも初めての経験だ。初めてといえば、今回は西小山にこだわって、店を選んだ。西小山は目黒から目蒲線で三つ乗る。最近、テレビでも取り上げられたらしく、ミーハーなわたしたちは、澁谷や六本木よりもおしゃれだとはしゃいでいる。駅の改札を降りるといきなり商店街が始まっていて、そのにぎわいに圧倒される。目指す店は駅から二分、本当に近い。三階まであって繁昌している。料理もなかなかだ。ひさしぶりに存分に笑い、食べ、しゃべりつづけて二時間半。このくらい人数だと余計な気づかいがいらない。料理はめいめいが回してとって、ワインや冷酒も分け合って、そうやって分け合っているのは、より親密さを増すことになる。途中から、飛び込み参加もあったりして、本当に楽しかった。新年会はふぐ屋さんにしようねと決めて別れる。


■1997.12.18

一日何通手紙を受け取るのだろうか。昔、郵便に頼っていた頃は、こんなにたくさんの手紙が届かなかったような気がする。会社に着くと、まずメイルのチェックから始めるのが習慣になっている。これも一人一台Macになってからだから、まだ三年くらいしか経っていない。インターネット接続が始まったのがちょうどこの頃だ。三年前の自分はどんな仕事をしていたのだろうか。電話とFAX、大切な書類は手渡ししていた。あの頃は、お使いと称して書類を届ける仕事があった。いまでは、海外とも書類を添付して、同じアプリケーションを使って開くことができるから、エアーメイルもほとんど使わない。いちばん、速くて簡単なのはWebを利用することである。社内専用のネットワークにはいり、必要な書類をダウンロードしている。そうして、家に帰って、知人からのメイルを見つけるのはとても嬉しい。自分宛にわざわざ書いてくれた相手の気持ちが伝わるから、素直に喜べる。わたしがメイリング・リストを始めたのもそんな理由からである。気の合った優しい仲間と、いろんな場面で喜びを分かち合えたらと思っている。


■1997.12.17

調べものをしていたら、日本の論壇501人という面白いページを見つけた。これがなんとあのPHPのWebページにある。日本を代表する論者が501人、あいうえお順にならんでいて、簡単な経歴が載っている。なにか調べものをするときに、本当に便利。近頃、名前と顔が一致しないことがある。そんなとき、ここをこっそり読んで知識を広めよう。実は、Web上で人名辞典がないかと昨日から議論していたのである。このPHPには、ほかにもユーザーが選んだ口コミおすすめホームページもあってなかなか楽しい。こういうところで時間をつぶしているので、肝心の仕事がまだ手に付かない。中身のないページはすぐ通過できるが、こういう奥の深いページにはまってしまうと、抜けるにはかなり勇気がいる。こうして、Webはどんどん変化していくのだろうか。


■1997.12.16

宿題のレポートが山ほどたまっているのに、別なことを始めて時間を費やしている。吉田秀和さんが"音楽の退屈"(広告批評1988年7月号)で語っているように、「その中に引き込まれてしまう、他のことはみんな忘れて、その中に吸い寄せられてしまう、というものが、芸術が傑作であるということで、そういう専心している状態、何かにすっかり打ち込んでいる状態というのは、はたから見ると何事も起こらないように見えるので、この人はどうしてあんなことして退屈しないのだろう、そういう疑問を起こさせる。他人が見たら、退屈でしようがないことを、本人ははたして退屈してるんだか楽しんでいるんだか、よくわからないような状態でなにかをやっている。これは、芸術に切り離すことのできないなにかだと、僕は思う」とありますが、まさにそのとおりだと思います。今やっていることだって、本人以外にはこの楽しみは理解できないものなのです。まあ、芸術とか、傑作とかいうと気恥ずかしいので、習作ということにでもしておきますか。


■1997.12.15

気付いている人は少ないが、ロンドン1977年留学日記にいよいよ取り掛かることに決めた。昨日、屋根裏部屋をさがして、昔の日記帳を見つけた。これを頼りに、二十年前を発掘する旅に出かけよう。ちょっとハリソン・フォードの気分。はたして聖なるアークは見つかるのだろうか。ロンドンにいる知人にもメイルを書いたが、sendボタンを押すだけで、ロンドンに二分以内に届くのだから、ふしぎな気がする。二十年前に、ロンドンで暮らしていたときは、週に一度の国際電話とエアーメイルが唯一の通信手段だった。ほんの二十年前の話である。世界はひとつだと実感する。


■1997.12.14

この時期、街は人で溢れている。その中を久しぶりにレコードを買いに行く。わたしの持っているRockのレコードは大半がLPで、CDは数えるほどしかない。Rockと書かれたコーナーで、待ち合わせた恋人を探すような気分で、どきどきしながら、タイトルをめくっていく。あら、どこにもない。そんなはずはないのだが。そうです。ツェッペリンはちゃんと壁にそって特設コーナーがありました。輸入版が安いのは昔から変わらないお約束。歌詞カードにこだわる必要はないから、輸入版ばかり買い占める。年を取ってよかったと思うのは、カードでレコードが買えること。家に帰ってきて、さっそく十枚組のCDカセットに移し替えて、いよいよ始まり。幸い、ツェッペリンのサイトは優秀で、歌詞カードがWebに載っている。これをときどき開きながら、歌える曲をひとり、気持ちよく歌っていると、気分はすっかり七十年代だ。ちらちらと歌詞カードをみながら、昔、気にもとめていなかったが、かれらの曲はちゃんと韻を踏んでいると妙に感心する。LPだと片面終わってまた裏返して、連続して聴くにはそれなりの注意が必要だった。その点、CDは自動的につぎつぎと音を繰り出してくれる。昔は、こんな便利な道具なかったなあと、しばし感慨にふける。やっぱりツェッペリンはいいなあと、家族にも強要して、聞き続ける。


■1997.12.13

休みだというのに、わざわざ車で東銀座・秋葉原と回って帰ってきました。新春の歌舞伎座の切符を引き換えるのと、Mac(正確にいうとMac互換機)を購入するためです。歌舞伎座のまえでは、モデルさんがふたり撮影隊がでていました。ピンクハウスっぽい服装で、ananの年内進行の分かな。ananって編集部がこのあたりだから、よく銀座の特集しますものね。銀座はそれほどでなかったけれど、秋葉原はひどい混みよう。車でいったけれど、二重駐車する場所もない。T-Zoneでめざす機種を見つけて(限定二台の一台)、ついでに安かったので17inchモニタも買って、ほかには寄らずに一目散に帰ってきました。この時期、秋葉原が混んでいるのは日本経済が健全な証拠でしょうか。


■1997.12.12

きょうは嬉しいことがたくさんあった。すてきな手紙をもらい、なんども読み返し、Webの暮らしもわるくないと、ふわふわしていた。すると実生活でも、幕張メッセでアンケートに回答していたら、担当の方がわたしを呼びとめた。もしかして・・・じゃありませんか。わたしたちは共通の知人がいて、お互い名前だけは知っている関係だった。こんなところで巡り合うなんて、すごい確率だと思う。今日もSEYBOLD Seminars Tokyo97に参加したが、QuarkXpressのセミナでThe RollingStone(音楽雑誌) のサイトを教わった。これはQuarkImmedia というアプリケーションで作られているが、わたしたちはViewerをWebからダウンロードし、Plug-inに拡張子imdをアプリケーションとして選択するだけで,実物を体験することができる。五十年から九十年までのRock, Bluesなどが200曲載っていて、アーティストの解説、さわりの部分の演奏などを聞くことができる。音だけでなく、動きもあって、実際にレコードを差し込んで聞くのが楽しい。詳しいことは最初のページにも書いてあるが、あなたのHDに rs200.imd というアイコンができればOKです。


■1997.12.11

昨日(97.12.10)から幕張メッセSEYBOLD Seminars Tokyo97が開かれている。これは米国ではデジタル・パブリッシング業界の最大イベントになっているらしい。デジタル・パブリッシングとネットワーク、インターネットが新たなコラボレーションを生み出し、静から動へのデジタル印刷のあたらしい時代を迎える。こんな下手なコピーを繋げただけの文章より百聞は一見にしかず。面白かったのは、会場まえにダフ屋が出ていたこと。招待券を持っていない人に、半額にするよといっていたけれど、あれは事前にFAXすれば貰えるものね、だれも買っていませんでした。でもダフ屋がいるのは、よい展示会のしるし。会場はこじんまりとHALL5と6なのだけれど、中身は濃い。明日も見たいセミナがあるので出かけます。全部見られるかしら。

クリスマスのクリップアートを無償でダウンロードできるサイトをみつけました。ここをクリックしてください。


■1997.12.10

家の中に猫が二匹いる。シャム猫とアメリカン・ショートヘア。この組み合わせは、六年くらい続いている。そのうち、シャム猫はニ代目だ。最初に飼っていたシャムは十一年間いつも一緒だった。引越も、法事にも連れていったし、図書館やデパートにもこっそりと連れ出した。この猫が亡くなって、家族中が気落ちしていたところ、二代目の猫を見つけた。いつも週末に遊びに行く館山で、その猫は家族五匹でくらしていた。お父さん猫、お母さん猫、妹猫、お兄さん猫と五匹も飼っている家になんどか足を運んで、昔の写真を見せたりして、ようやく譲り受けた。ほんとうに死んだ猫そっくりの容貌をしている。かの光源氏が藤壷の宮に憧れて、姪にあたる若紫を強引にひきとって育てる話に似ている。死んだ猫は帰ってこないが、形見のように似ている猫を得て、ずいぶんと心がなぐさめられた。この猫が毎晩、夜になると部屋にやってきて、ベンジャミンの葉を齧って帰る。それ以外はどこかにひっそりと隠れている。ふしぎな猫だ。


■1997.12.9

1977年のロンドン日記を書こうとして、挫折して今に至っている。いまでもロンドンには特別なこだわりがあって、パリやフィレンツェのような明るい観光旅行はできないらしい。きょうは初対面の人に長い手紙を書いてしまったが、自分のこだわりをあらためて知らされた。そのなかでReviewすると、1973(3 days)、1974(7 weeks)、1977(1 year)、1981(3 days)、1987(3 days)、1989(9 days)、1991(3 days)、1996(3 days)と20年あまりに八回出かけている。海外旅行は十九歳のときに始めて以来、もう生活の一部になっている。ただ、81年から五年間はどこにもいかなかった。子育てがいそがしかったのも理由だが、旅行できることを忘れていた。五年間の数次パスポートが切れているのに気付いたとき、決心した。これからはどんなことがあっても、家族で旅行しよう、仕事は休んでもいいから、思い切って出かけようと。わたしにとってパリやフィレンツェは京都の町より身近な存在だ。そこにはもうひとりの自分がいるような気がする。


■1997.12.8

きょうこそは、早寝じゃと思いながら、まだ夜更かししてしまいそう。夜になると訪問する家がたくさんあって、my chairも用意されているから、居心地がいいんです。Web の世界にひとりで旅立っていた頃は、情報を捉まえようとやっきになっていた。自分のWebページをいきおいで作り、それからどうなるのだろうかと不安もあったが、仲間がいて、訪れる家があって、夜眠るのが惜しくなる。一週間ごとに新しいメニューに挑戦する料理人のような気分です。


■1997.12.7

千葉県安房郡三芳村福原洋らん園があります。ここの御主人、福原さんは、毎年クリスマスの時期になると自分の小高い丘の斜面を利用して光の祭典、クリスマス・イルミネーションを提供しています。今年はアクアライン開通(12/18)を記念して、東京タワーから東京湾を一望するような光のデザインを作りました。他にも、リボンを付けたキティちゃん、トトロ、など楽しいイルミネーションがいっぱい。これは十二月一日から二十五日まで、毎日、日没から夜十時まで繰り広げられます。道の反対側には、焼き芋、甘酒なども販売していて、本当にお祭り気分。飼い犬のしろもしっぽを振って相手をしてくれます。ここは宿泊施設もあってゆっくりできます。我が家では、これを見ないとクリスマスの気分がでないくらい人気があります。福原さんから、このイルミネーションを始めたきっかけを聞きました。この三芳村は静かなよいところだけれど、七時すぎたら、出かけるところがない。都会と違って夜が寂しすぎる。そこで、自分の家の前の村道の両脇に電球を並べて光らせることを思い付いたのだそうです。あまり明るいので、成田の管制塔から問い合わせがあったそうです。もちろん料金は無料。御主人の心意気なんですよ。


■1997.12.6

週末はなにをして過ごすか。それは休息するのがいちばん。本当に、仕事と個人生活のバランスって大事です。わたしは原則として、会社の仕事を家に持ち帰らない主義ですが、Webの仕事はseamless なので、社内で見える環境と、Firewallの外の環境の違いについて、どうしても確認する仕事が増えています。でも、週末は仕事関係のWebは見ないことにしています。図書館に出かけたり、海の町にいって自然と向き合うと、くよくよしていたことなど忘れてしまいます。一週間のはじまりが新鮮になるように、週末は日常と全然別のことをするのがよいみたい。家中の洗濯や、絨毯そうじ、衣類の整理など、家事をしていても気分転換になります。日頃、いかに手抜きしているのかがわかりますね。毎週、バードウォッチングに出かけて、ひとつづつ鳥の名前と格好をおぼえるのも素敵です。


■1997.12.5

Webの仲間は、お話はしますが、まだ一度もあったことのない友だちがほとんど。この友だちとは、生きのいい会話や、趣味の話、音楽のことなど普通では、経験できないような楽しいひとときを過ごすことができます。それは、このWebページを開くきっかけにもなったし、できるかぎり更新していこうという励みになっています。その中の音楽担当のYutakaさんがすてきな曲を創ってくれました。これは本来1000回アクセス記念ということになっているのですが、はやばやと"ロンドン日記"からリンクさせてもらっています。こんなやりとりができるのもWebの楽しさだと、ひとりで嬉しがっているのです。


■1997.12.4

高校の同期会の中で、消息が掴めない人が何人かいる。引越や転勤などで、実家と連絡が取れなくなると、そのまま名簿上は空欄になってしまう。なにしろ、卒業してから二十年以上も経っているのだから、仕方がないといえばそうだが。今回は、幹事が頑張って、海外に居る人を探し求めてFAXでやりとりしたりしている。わたしも昨夜、gooを使って人をひとり探し出した。大学の先生になっていたので、経歴が紹介されていて、比較的探しやすかった。名前がありふれたものではなかったのも幸いしたと思う。昨夜のうちに、そのページのWeb masterに手紙を書いて送っておいたところ、夕方、帰ってみると探していた本人からのメイルが届いていた。同期会のホームページも見てくれたらしい。出席はできないが、懐かしかったと書いてあって、ほっとした。こんなことも本当にあるのだ。


■1997.12.3

きょうは歌舞伎座に十二月大歌舞伎を見に行ってきました。出し物は昼の部の《毛抜・段四郎、門之助》《小鍛冶・勘九郎、猿之助》《盲目物語・勘九郎、玉三郎、團十郎》です。勘九郎が驚くほど勘三郎に似てきて、やはり血は争えないものです。客席からもいい役者になったわねぇという声を聞きました。猿之助は相変わらず、もてる力を150%発揮して、一期一会の芝居をしている。あんなに飛び上がったり、膝で倒れたりして、芸事のため肉体を鍛えているみたい。本当に彼の熱意には頭がさがる。 猿之助一門が入っているせいか、幕合いもできるかぎり短くして、中身が濃い。 玉三郎はお市の方と淀君の二役に挑戦したが、お市の方がとくによかった。まるで、絵から抜け出たような佳人ではかなさをうまく表現している。彼が登場すると、客席がシーンと静まりかえって、きれいねえというためいきが聞こえる。 歌舞伎は難しいと思われているが、本来大衆芸能ですよ。途中で食事しながら見ても、ねむってしまってもいいし、それでいて、筋はちゃんと理解できるという伝統の芸術です。歌舞伎座には、年輩の方がたくさんいました。歌舞伎は大人の芸術なんでしょうか。これで12月の芝居は見納めかしら。


■1997.12.2

高校の同期会のOfficial Siteを開設した。とりあえずメイル・アドレスが分かっている人たちにメイルを送って始まり。これからちょっと忙しくなるけれど、楽しみも多い。卒業して20年以上たって、初めて話をした同窓生がいて、また新しい人間関係が生まれていく。これはWeb友だちと同じなんですね。


■1997.12.1

きょうから12月。いつもこの時期になると、なんとなく気ぜわしい。みんなで会っていても、年内はいつまで会社に来るのなんて話になる。今年の暮れはWebを見てすごすか、TVを見るのか、どちらにしても忙しそう。このところ毎日会議が続いている。今日なんか10:00-11:20、14:00-18:10と二回も会議があって、何しに会社にいったのだろう。アメリカからのお客様と会議をすると、英語の勉強をもっとしなくてはと思うが、できることは少ない。CNNSan Jose Mercuryを毎朝、ちらっと読むだけでも、力が付くような気がする。いそがしいとスキップしたくなるが、続けなくてはだめだと思う。