今日で二月も終わる。朝の日射しで目が覚めるようになった。暖かいので、猫を二匹洗う。シャム猫はおとなしくお湯につかっていた。洗いたての猫は毛並みがつやつやしていて、触ると気持ちがよい。二匹ともわたしの顔を見るとあわてて逃げるが、もう一度洗われると思っているのだろうか。ELPを何時間も聴きながら、片付けをする。FileMakerでBOXの中身と番号を管理して、在庫リストを作っていく。とっておきのポスターや壁紙を仮住まいの家に飾ることにした。YummyのiMacポスターが部屋中飾られる日は近い。
You've Got M@ilをシネマックス千葉に家族で見に行く。メグ・ライアンが、信じられないくらい愛らしくかわいい。物語は、昔ながらの子供の本専門店を守る女主人公が、近くにできた大型ブックストアに脅かされる中で、インターネットで知り合ったWeb友だちに励まされ、そして、出会いがある。その中で、ちっぽけな本屋のキャサリーンがアップルのPowerBookを、そして、大資本チェーンの御曹子のジョーがIBMのThinkPadを使っていたのが、象徴的だった。懐かしいニューヨークの街角があちこちで繰り返し出てきて、こんな家庭的なNYを再発見した。映画で、見知らぬ外国の都市を学習したことを思い出す。ベニスは【雨のエトランジェ】で、ヘルムート・バーガーが新婚旅行にでかけたシーン、また、ビョルン・アンデルセンが登場するビスコンティ監督の【ベニスに死す】などで憧れていたし、【ローマの休日】があったから、スペイン階段のある広場がいまでも観光の一等地になっている。パリの街は、セーヌ川を背景にいくつもの橋が掛かっていて、寄り添う恋人たちがどこからでも絵になる。また、出かけようと思う。
台湾に転勤している弟が、出張で立ち寄った。シンガポールから台湾に赴任するとき、日本の仲間からいろいろといわれたことがある。お米がまずい、でも冬は暖かい。ところが実際は、シンガポールに較べて、お米は格段に旨いし、冬の寒さには凍えそうだという。まるきり逆じゃないのと言うと、だから人の言うことを鵜のみにできないと言われた。その国の文化なんて、相対的に考えずにいつも自分の育った国を尺度にしているから、国際間の問題がなくならないのだろう。日本は四季があって、こうして春の訪れを心待ちにしているが、シンガポールには春がない。常夏だけだ。南十字星をまず幼稚園で教わるというが、これも彼の地ならではのことだろう。ELPのアルバムを聴きながら引越しのための荷物整理をしている。
銀座に出かけて木村屋のパンを買った。このところ、おいしいパンを食べていない気がして、たくさん買い占める。歌舞伎座の三月公演の切符を引替に行く。この芝居を見る頃には引越しも終わって、春も盛りだろうと想像する。暖かい日がつづくと、心がわくわくするのは昔からのことだ。春のはじまりは、いつも、別れと出会いが入り交じって、泣いたり、笑ったりしている。学生の頃はクラス替えという別れがあって、それがいまは組織変更に変わっただけ。気に入ったひとが遠くにいってしまうのは哀しい。すこし心に余裕があれば、短い手紙を出すこともできる。今は電子メールがあるから、恋の告白もずいぶん変わったと思う。手紙美人というのは、あるのだろうか。
忙しい仕事仲間を集めて15分の会議を開催する。どうしても決めなければならないことがあって、全員顔を会わせるのは15分が限度という状況。簡単に議題を説明して、意見を聴いた。これでもなんとか先に進むから不思議。会議というのは、時間をかければいいのではない。帰ってきてから、本箱の整理をする。なかなか捨てられる本がない。結局、全部持っていくことにする。明後日、台湾で暮らしている弟が出張でこちらに来ることになった。引越のさなかだが、寝る場所を確保してあげないといけない。会うのは、二年ぶりくらいだ。
レコードの整理をしていたら、30枚もレーザーディスクが隠れていた。これで夜の愉しみがふえて嬉しいが、そんな暇があるのだろうか。新聞をやめ、TVのトレンディドラマを諦め、必死になって本だけは読んでいるが、映画を見に行く時間がつくれない。芝居はリアルタイムのパフォーマンスだから、どんなことをしてもみるが、映画はテープだし、後から見られるような気がして後回しになってしまう。LDも、いつでも見られるが、決してそんな時間はやってこない。たぶん、仕事がなくなっても、意識の問題を変えないとだめだ。一月に一回、選んで映画をみるという、おとなの楽しみを復活させたいと思った。
贅沢ってなんだろうと考える。日本にいて、ほぼ世界の食材が手に入るし、着るものだって各国のデザイナーの直営店がある。すると、時間と空間だろうか。時間はお金持ちも貧乏人も同一だし、空間は、そこに物が存在することよりも、ものを想像させるほうが豊かだ。決して広くはない、茶室という空間から、宇宙を連想させたように、広い空間にものがなにも置かれていないということが、いちばんの贅沢だと思う。物を所有することは、欲が見えかくれするから、知性と両立しない気がする。買い物好きなわたしは、買わない努力が必要だということか。Tommyのレーザーディスクを見つけたが、whoの音楽を楽しむには、やや難点がある。大音響で画面を見ることに慣れていないので、ついボリュームを絞ってしまうのだ。
引越のさなかにおひなさまを出した。七段飾りの堂々とした京風びな。二時間くらいかけて飾り付けると、いっぺんに春がやってきたようだ。冬の寒い日がそこだけ輝いている。来年はどこに飾るのだろうか。近所に家の建替えの挨拶にうかがう。みんな古くからの知り合いなので好意的でありがたい。LPレコードのリストづくりを続ける。アルバムを持っただけで、音楽が聴こえてくるようだ。昔は、もっと余裕をもってくらしていた。映画のサウンドトラックが多いのに驚く。1983年にCDが発売されるまで、レコード鑑賞というのは格調高い趣味の一つだったと思う。音を出す装置にもお金が掛かったし、贅沢の一種だったのだ。わたしもお小遣いの大半を注ぎ込んでレコードを買っていた。そう多くは買えないから、大切に何度も繰返し聴いたし、友だちに貸したり、借りたりしたものだ。いまのように簡単にデジタル化することもできずに、借りたレコードをテープに取るくらいしか楽しみはなかった。ソニーのオープンリールもあったが、すぐにカセットデッキが台頭して、大きなものは廃れてしまった。なつかしい思い出に包まれて一日を過ごす。
引越しのため、LPレコードをトランクルームに預けることになった。そこで、応接間にPowerBook5300を持ち込んで、一枚づつFileMakerにデータを入れていく。弟のLPも混ざっているので、タイトルとアーティスト名が判別できないものもあった。今日はまず120件の入力をする。これで正確にどんなLPがあるか、ようやく分かるのだ。一週間くらいでAll Listを公開しよう。いま、封印された70年代が蘇る・・・。そして、新しい家ではなんとか、これらのLPを聴けるようになりたいものだ。しかしこんな高価なものをよく集めていた、といまさらながら、感心してしまう。
Mac World EXPOで一日過ごす。途中、Macromediaのセミナを受け、Dreamweaver2.0の新機能を体験してきた。今年のEXPOはシンプルだが、iMac一色ですてきだ。数年前、まるで縁日のようにごみごみと、とりとめのなかったのが嘘みたい。だいぶ業界も整理されてきたというところだろうか。やはり政治的な方針で、キヤノンブースは小さくなったし、FileMaker(旧クラリス)はあいかわらず頑張っている。G3のPowerBookを触ってきたが、だんぜん欲しくなった。別館にあった即売コーナーも同じところにまとまって、こじんまりと見やすい。アップルブースでは、おおきな紙袋のかわりに五色のiMacがならんだポスターが積んであって、各自がすきなだけ取っていく。これがすごく可愛いて、持ち帰ろうという誘惑に勝てない。帰ってきてから、ELPの友だちに特別CDをお願いする。
新幹線文化伝播説をうかがう。単なる地方都市に新幹線がとまると、流行も、文化もすばやくやってきて、都市化するのだという。大都市では、東京に次いで、札幌がオシャレだといわれているが、昔から新製品のマーケティングには東海地区が選ばれて、静岡県限定発売なんてことがよくあった。サンプル数が集めやすいのと、特徴が顕著にわかるのだそうだ。ちょっと不思議だが、東京ではばらつきが多すぎて、正確なデータはつかめないらしい。その新幹線であるが、少なくとも東海道新幹線ができたときは、国をあげて歓迎した。その後、山陽新幹線、東北新幹線など次々と誕生して、便利になったのだろうか。昔、学生の頃よく利用した急行列車で旅をしたい。旅は目的地につくまでの過程も大切な要素だ。
心を入れ替えて、朝八時前に会社に着く。さすがにだれもいなかった。すると、仕事がはかどる。先週からずっと悩みの種だった宿題も見た目には、かなり手を入れたし、昼までにあらかた仕事が終わって、こういう生活もあったのだと感心する。明日から、Mac World EXPOが開催されるので、なんとか木曜日までに今週の仕事を終わらせようと決めた。金曜日は一日、会場にいるつもりだ。
疲れていてシャンプーとリンスのボトルを何度も間違えて付けたことがあった。さすがに今は落ち着いている。極限に置かれたとき、その人の本質が見えるものだ。わたしの場合、ある限界点を超えてしまうと苦痛を感じなくなり、かえって元気になる。だが、その後の反動が怖い。いまはそうならないように、いたわりながら暮らしているが、無理は禁物というところだろうか。自分を分析して、まだ大丈夫だと仕事を引き受けることにしている。自分の身近なところにあるものと、将来も必要だと思われるものとの差が大きい。なにも持たない生活にあこがれる。
銀座コンシェルジェで応募した景品が送られてくる。靴の商品券だった。これでまた、銀座に立ち寄らなくてはいけないな。東京の盛り場でよくでかけるのが、渋谷、そして、銀座。これは学生時代から変わっていない。新宿は人が多すぎて疲れるし、池袋はサンシャインの帰りに慌てて通り過ぎるだけだ。決して買い物にでかけないのが千葉。駐車場がないし、道は狭いし、ほんとうに苛々する。買い物はいつも気分転換を兼ねているから、元気が出ないとだめ。前から欲しかったものを安く手に入れる醍醐味がいい。その点、銀座は別格でなにも買わずに、歩いているだけで楽しくなる。表紙をニューヨーク・バージョンに替えてみた。
野鳥の森主催の花摘みウォークに参加する。三年ぶりなので、メンバがすっかり変わっていた。野鳥の森を出発して、レタス畑、花畑を通り、南房パラダイスで昼食、その後また、野鳥の森に戻る全コース10キロのハイキングだ。二月といっても南房総なので歩いているとマフラーや上着が邪魔になる。南房パラダイスの目玉は大温室園で、蘭やハイビスカスなどの南洋の花々が咲き乱れていて、みごたえがある。中でもバードコーナーが充実していて、カンムリバトを見るのが今回の目的。他にも蝶館では、ゴマアゲハチョウが優美に舞っていた。全コース、無事に戻ってくると特製豚汁が待っている。今年は菜の花までいただいて、気分よく帰ってきた。
朝から館山にでかける。ランチのおいしい店を目指していくが、なんと休業中。仕方がないのでグルメ村に立ち寄った。ずいぶん高いメニューが増えているのは、観光客目当てだろうか。この辺の適正価格からすると許せないが、でも座っているだけで、料理が運ばれてくるのは嬉しい。暖かいのでどこにもいかずに家にいた。夕食はしゃぶしゃぶ。土なべと電熱器なので、肉を一度に入れるとぐらぐら煮えないのが難点。そういいながらも最後のうどんまで、よく食べた。この家族で外食したらと思うと少し怖い。明日は一日ハイキングなので、ビーフシチューを煮込む。
野田秀樹の半神を予約していたら、切符が取れなかったという連絡があった。仕方がない、一般売り出し日にもう一度トライしよう。芝居を見るというのは、人間の密かな欲望ではないかと思う。古代から演劇があって、西洋と東洋で、形を替え発達してきた。それがもっと大量化したのが、映画である。茶の間にTVが入って久しいが、それでも演劇は残っている。というのも生の芝居ほど熱狂させられるものはないからだ。様式美といわれる歌舞伎もビデオを通してみると、感激が薄い。たとえ三階席でも本物が最高、演じる人が高齢でもどきどきさらせられる。
雨の建国記念日。個人的にはこんな飛び石連休が好き。明日少し仕事して、またお休みというのは気分がいい。一週間に金曜日が二度あるようなものだ。昼近くから雨が降り出してきたが、朝のうちは晴れ間もみえていたのに、不思議。一日、ぼんやりと過ごす。こんな休日を忘れていた。ピアノの先生と【文化は侵略か】について、議論を交わす。わたしたちが西洋音楽を楽しむようになったのも、文化という名の侵略なのかもしれない。明治以前まではだれも西洋の音楽家について知らなかったわけで、ハイカラ、モダンといわれつつ、ピアノやバイオリンや、モーツアルト、ベートーベンたちがやってきて、根をおろし、いまでは国際コンクールでは日本人がかならず上位入賞するまでになった。
アスキー主催のWeb toolセミナに出かける。講師がインフルエンザでダウンしたので、代行の開発チームの方が教える。これが実に楽しい。変わるはずなのに変化しないし、次に繋がらないし、コマンドがどれもよく似ていて分かりずらいことを身をもって教えてくれた。常日頃からセミナなどで講師がさくさくと作っているページをみて、実際にやってみると不思議、できないということがあったが、やっぱり普通の人にはなかなか難しいのだ。プロユースのWeb作成ツールなんていっていたけれど、慣れるまでに相当泣くだろうなあと思う。昔、Quarkでは苦労したが、いまでもよく覚えている。楽に覚えた知識は簡単に忘れる。これは真実だ。
久々にオフの会に参加する。ネットの知り合いは、普通ではお目にかかれないような多彩な職業分布をしていて、それが話を聞くとすこぶる面白い。大人の楽しみとでもいおうか。多いに笑って、楽しいときを過ごす。帰り道、混んだ電車に揺られながら、不景気だときくが、この人たちはなにをしていたのだろうかと、まわりを観察してみる。残業するには遅すぎるし、酔ってからんでいる人もいないし、みんな静かだ。暇なのでつり革広告から、車内広告まで一応目を通す。週刊誌の見出しの意味が不明になったら、あぶないと言われるが、半分くらいしか分からない、不安だ。
家に帰ると、ワイン頒布会の案内状が届いていた。今は赤ワインの時代だろうか、白もすてがたい。飲みかけのワインがあると、イタリア料理を作るときに潤沢に使えて便利だ。味がだんぜん違う。平凡なスープもレストラン仕様になるし、だいいち料理が楽しくなる。月曜の朝、6:40-7:10にNHK3でイタリア語会話を放送しているが、その中で【家庭で作れる料理】というコーナーがある。これをいつも真面目に見ている。シンプルな料理はだれでも作れるが、それには心が必要だ、ぼくは21年もやっているからねと、今日のシェフが語っていた。さわやかな笑顔が印象的だった。
春めいた陽気に誘われて、城山公園にある梅園に出かける。ところどころに雪が残っていて、聞くと金曜日に降ったと言われた。今年は南房総も寒かったのか、梅はまだ三分咲き。いつもなら水仙も咲いているのに、今年はまだのようだ。広い梅園の中、日当たりのよい土手には満開の梅があって、風が動くと香りが伝わってくる。オレンジ色のジョウビタキやウグイスを見かけた。城山城から眺める海岸の風景は最高。海の色が青くて、いかにも春の海という風情がある。ここにすわってのんびりしていると、少し元気になる。城の裏手にも梅林があって、こちらには速水御舟の描きそうな見事な枝振りがあった。
今日は家の契約をする。二ヶ月前、ふらりと住宅展示場をのぞいてから、よくここまで来たと思う。煩わしいことは大嫌いなのに、勢いでやっているという感じ。みんな、こんな苦労をしているのだろうか。御先祖様に建て替えの報告をするため、墓参する。夕方、好きな本を積んで館山に出かけた。先週行きそびれたので、忙しい中、やりくりして出かける。空気が澄んでいるせいか、夕陽が大きくてきれい。最近は夕陽を眺める余裕もなかった。夕食を食べて片付けをして、お風呂から出てもまだ九時前だ。ベートーベンのバイオリン・ソナタ【春】を聴く。
金曜日はいつも週末を前にばたばたと仕事をしている。六時過ぎたら、やり残したことはないかとチェックして、手紙を書く。手紙といっても電子メールだ。一日に何通も書いて、数分後に返事をもらって、また次の準備をしてと、活用している。コンピュータがダウンしてしまったら、半日仕事にならないだろうと思う。Y2000のミーティングに出る。どこで何が起きるか、1000年にいちどの大興行だ。
朝起きたら、Bay areaはマイナス二度だった。ところどころ道路も凍っていて危ない。子供の頃、武蔵野の霜柱をつぶしながら、通学したことを思い出す。仕事がばたばたと忙しくて、展示会ものぞけない。週末はのんびり過ごしたいが、天気はどうだろうか。毎日少しづつ六百番歌合を楽しんでいるが、冬の歌をみていると、冬の京のようすがたくみに表現されている。俊成・定家は鎌倉時代の歌人だ。当時、鎌倉と京を行き来するには何日かかったのだろうか。文化の伝わり方は、旅の速度に比例するものなのか。この時代、大坂に商人達は集まっていたのか。歴史の時間に教わらなかった知識の方が、中身が濃いような気がする。
今日は節分。豆まきはしなかったが、豆はしっかりといただく。あちこちで雪のニュースを聞くが、千葉は降っていない。でも、凍みるような寒さだ。二月の寒さがあるから、春の訪れが待ち遠しいのだと思う。シンガポールで暮らした義妹によれば、冬でも常夏なのでゆっくり眠りたいと思ったそうだ。確かに、寒い朝はもう少しベッドにもぐっていたいと思うのだから、寝心地はいいのだろう。会社から、三ヶ月分の表示のある暦をもらってきた。もともと、輸出入用の部署が使っているのだが、どのページにも三ヶ月分表示されているので、長期計画を立てるのに便利だ。ついでに殺風景な仕事場にも、美しい景色のカレンダーをかけることにした。わたしは、いつも旧暦で生きているようなところがある。
朝がほんの少しだけ明るくなったような気がする。北の国ではまだ雪便りばかり聞くが、晴れた一日は幸せな気分にさせてくれる。今年は建築元年だといったが、引越しが個人と、会社と何回かあるようだ。慌てて、建築日誌をまとめる。ふだんから、苦労を上手に避けてきたのに、やはり家を建てるというのは、一大事だと思う。まあ、一度建ててしまえば、ある程度のノウハウが身に付くので、あと何軒か建ててみたいという気持ちになるのだろう。
もう二月が始まってしまった。二月は毎年セミナや展示会が、なぜかたくさんある。ぼうっとしていると、すぐに終わってしまいそうだ。通勤のおともに六百番歌合を読んでいるが、判者・藤原俊成というのがすごい。課題に合わせて、右と左から歌が出され、それを判定するのだが、勝ちといはいえないとき、持 と呼ぶのを初めて知った。それにしても、昔の貴族の教養には驚かされる。個人個人がデータベースをもっていて、それを引用して、万葉集にはこのように書かれてあった、建久XX年に開かれたXXの歌合あわせでは、このように評価されたなどと堂々と論じている。新聞などなかった時代にどうやって、情報収集したのだろう。和歌集といっても、全部手書きの本だから、誤って書かれた文章もあったと思う。源氏物語など、それを写す女房たちが紫式部相当の教養を備えていたため、勝手に改ざんした部分も多くあると聞く。