■1999.10.31
早起きして館山に出かける。恩師がイタリア旅行をするので、細々として旅のヒントを解説。事前学習が行き届いているので、楽しい旅になると思う。これでまたひとりイタリア仲間が増えるだろう。暑いような天気の中、久しぶりに海を見た。空気が澄んでいるせいか、遠く大房岬まで見渡せる。いつもながらこの景色をみるとほっとする。館山は夏が過ぎると静かになる、でも観光客の代りに地元のひとたちで賑わっている場所はあるのだ。この町は祭りが多い。生活の区切りがはっきりしているので、わかりやすい。ここにいると冬支度の必要がないから、秋が深まっても慌てることがない。今日はハロウィーンだった。どうりでカボチャが売り切れていたはず、帰ってくるまで忘れていた。
■1999.10.30
天気予報を確かめ、猫二匹を洗う。今回は二度目なので、猫も落ち着いていてのんびりとお湯に浸かっていた。タオルで水分を拭き取って、一匹はドライヤをかけて乾かす。休日が晴れていると仕事がはかどる。布団を干して、シーツを洗って、家の中の片付けをする。夜は70年代ロックのオフ会。電車に乗って新宿まで出かけた。久しぶりにロックな仲間とあって、楽しい時間を過ごす。明日は早いので、二次会をさぼって帰宅する。寝室の壁面に何か絵を飾りたいと思った。
■1999.10.29
金曜日、週の途中に仙台往復があったので、週末の気分がしない。Bostonの近くのSalemという港町にピーボディ・エセックス博物館(Peabody
Essex)があって、その館長の講演会を聴く。18世紀末、およそ十年という短い期間にアメリカ船が何隻も長崎出島に寄港し、その帰路に多くの日本の工芸品がアメリカ本国に渡ったのだそうだ。いまでは日本の中でも見られないような二百年前の風俗、文化を伝えるものが展示されている。文化とは何か、人々の暮らしも年月がたつとそれが文化になるのだろうか。
■1999.10.28
朝、ビジターを連れて東京に戻る。途中、ずっと虹が見えていた。新幹線から虹を見たのは初めて、嵐のあとのせいか空気が澄んでいて、大宮を過ぎる頃から富士山がくっきりと見渡せる。大自然の偉大さのようなものを感じて、ちょっと嬉しかった。ビジターの買い物につきあって銀座まで出る。博品館の6Fにつな八が入っているのを初めて知った。ここのカウンターに座って揚げ立てのてんぷらを食し、東京っていいなあと思う。
■1999.10.27
仙台は紅葉がきれいだった。東京から二時間もかからず着いてしまうので遠くに来た気がしないが、ここは陸奥。郊外に出ると、あちこちに緑が広がっている。ミーティングを二つこなし、外に出ると雨だった。その後は激しい雨と雷が続いていたが、千葉はもっと大雨だったそうだ。
■1999.10.26
英語再入門の最終回。外国人からみた日本語の学び方というテーマで、異文化に接する勘どころを教わる。丸に質の文字をみて、クオリティが高いと思ったそうだ。葬儀案内が電信柱に貼ってあるのも意味不明だったという。フランス語を勉強していて、パリの町で看板が読めたときは嬉しかった。本屋、薬屋、パン屋などあたりまえの言葉が、新しい発見になる。明日は仙台出張なので、ばたばたと用意をしている。
■1999.10.25
住宅金融公庫の入金を確認して、銀行、司法書士事務所を回る。午後は仮住まいの家のお片付け。よくみると大切なものがここそこに忘れられていた。近くなので、夕食を食べてからもう一度ゴミだしをする。半年間お世話になった家なので、なつかしいが今の家のほうが、何倍もすてきだ。時計を見たら十二時を回っていた。ビーフシチューを煮込んで、明日の準備をしていたら、午前二時だった。
■1999.10.24
部屋の模様替えをする。Macの位置を替えただけで机の上がずっと明るくなった。やはりELPを聴きながらだとやる気が違う。暖かな日射しを感じながら、秋の一日を満喫する。ちゃんとアフタヌーンティーもあったし、遠出はしなかったが、十分楽しかった。決まった場所に荷物が片付き、昔のように暮らしが始まると、ようやく自分の時間をもてる。なにをするというわけではないが、自分を見つめるための時間が必要なのだ。机の上に本を広げて、好きなだけ読むことができるなんて、夢のよう。
■1999.10.23
荷物を少し片付ける。引越して一月以上たつのに、段ボールがまだたくさん残っている。年内には落ち着くだろうか。天気なのがありがたい。太陽に照らされたシーツの匂いが好き。午後、従弟が荷物を引き取りに来て、五年ぶりの再会があった。いい家だねとほめられて、嬉しくなる。猫はおのおのお気に入りの椅子で眠っていた。夕食後、アガサ・クリスティの短編集を読む。時間がたっぷりあって、まだ休みは二日も残っている。月曜日には、銀行や司法書士事務所に出向くことになっているので、三連休というわけ。日頃、時間に追われる生活をしているので、予定のない週末は貴重だ。
■1999.10.22
来週仙台に出張することになって、切符の手配やミーティングの時間割り作成に追われる。仕事は忙しい方が、いくつかのテーマを平行してできるものだが、なれない手配の連続だと、やはり疲れる。週末は引き続き、家の片付けをすることになるだろう。ゆっくり暮らすために、いらないものを取り除く。スピードクリーニングについて学習したので、道具を揃えて実施してみよう。金曜の夜はどこも人でいっぱい。朝まで遊び続ける元気はないが、好きなだけ起きていたいと思う。眠るよりも楽しいことはたくさんあるのだ。
■1999.10.21
広尾にある青山ブックセンターで、一冊の本を求める。広尾のあたりは、やはり華やかだ。会社からバス停3つでこんなに印象が変わるものかと思う。この頃、品川や銀座で買い物をして、渋谷にはいかない。昔は、週に一度、東急に立ち寄っていたのが、かわりに京急になってしまった。それで、不便でもないのだから不思議だ。要はおいしいパンと新鮮なケーキが手に入れば幸せということ。東京に暮らすといっても、山の手の新宿-秋葉原間で行き来しているだけ、それ以外の場所にはなぜか出かけない。これは学生時代からもう何十年も続けている習慣なので、銀座あたりがホームタウンだと頑固に信じている。今日もクリムゾンを聴く。
■1999.10.20
激しい雨が降っていた。アクアスキュータムのゴム引きのレインコートを着て、さっそうと出かけたのだが、暖房した車内は暑すぎた。帰るときにはもう雨が上がっていて、晴れ間が見えていた。今日は、クリムゾンをたっぷり聴く。こんな夜は、週末でもないのにわくわくする。昔、音楽を聴かなかった時期があったなんて、今は想像もできない。活字中毒と音楽中毒は両立するのだろうか。
■1999.10.19
日曜日にローズマリーの小枝を庭先に植えたのだが、毎朝、見る余裕もなく日々が過ぎていく。ハーブのある生活というのに、憧れて三株植えたのだが、うまく付くかしら。毎朝、どんどん寒くなって、まるで一月間違えたような気候。風邪を引いている人がまわりにもたくさんいる。そんな夜の楽しみは、熱々のミルクココアを飲むこと。たっぷりココアの粉を入れたら、お湯を少しだけ注いで、スプーンでよく練る。そこに温めたミルクを入れ、また熱いお湯を注ぎながら、スプーンで練り続ける。ハーシーのココアが美味しいのはもちろんだが、森永でも、プライベートブランドでも十分楽しめる。明日のために、薄手のスカーフをバックに入れた。ブーツを履いて出かけようか。
■1999.10.18
朝、家をでるときの冷気にきりりと身が引き締まる。月曜日はそんなに辛くない。アメリカはまだ日曜日だから、事件もないし、一週間の予定を立て、できることから始める。真面目に仕事して、会社を終えて、家で眠るまでの時間はわずか六時間。その間に、食事して、家族とおしゃべりして、本を読んで過ごす。それにインターネットが加わって、ぼんやりする時間はほとんどない。なにかを始めようとしたら、まず時間をひねり出す工夫がいる。夜がだんだん長くなって、つい夜更かししてしまいそうだが、さわやかな朝のために、睡眠はしっかりと取ろう。
■1999.10.17
ニュースで、札幌の初雪を伝えていた。二週間も早い雪だという。昨日が暑かったので油断していたら、途端に寒さがしのびよる。冬物の衣類を出しておいてよかった。暖かそうな衣類がずらりと並んで、衣替えは終了。空っぽの本棚にも見慣れた本が入ると、借り物の家が自分のものに近づく。寒い時期を楽しく過ごすのも生活の知恵。英国やドイツの冬を学んで、たくさんの行事を取り入れよう。コート無しでいられた十月が終わると、凛とした十一月がやってくる。背筋を伸ばして寒さに向かっていくのは結構すきだ。一日、ブリティシュ・ロックに浸っていた。こんな曇り空の日は、ハードロックに限る。
■1999.10.16
八時前に家をでて、幕張経由で館山に出かけた。かずさアカデミアパークの手前に野菜の直売所があるので、そこに寄って、新高梨、栗、牛蒡、大根など買ってはずんだ気持ちになる。新鮮な材料があると、料理のアイデアが次々と生まれてきて、それは楽しい。館山でも野菜をたくさん求めた。こうやって緑黄色野菜や、根菜類を食べていると風邪もひかないし、落ち込んだりしない。慌ただしく家に戻って、夕方から両国まで出かける。今日の講座は歌舞伎の中の怪談。歌舞伎の面白さは、色恋と血情に尽きるという。文化文政の爛熟期に大衆芸能として、位置付けられていた歌舞伎は、もっと生々しく、色めいたものだったらしい。日本人のもつ心の中のやりきれなさを芝居狂言で等身大に現わしたから、熱狂的に迎えられたのだ。こんな中身の濃い講座を聴くと嬉しくなる。それにしても今週はよく勉強した。
■1999.10.15
寝不足のためか、週末だというのに元気が出ない。会社で起こる細々とした依頼を片付けていくのも、煩わしい。こんな日は、暖かい風呂に入ってすぐに寝るのがいちばん。塩野七生さんの【ルネサンスの女たち】を読んだので少し毒気に当てられたのかもしれないと思う。政略結婚、戦争、暗殺など権力が渦巻く中、女たちはしたたかに生き抜く。戦国時代のお市の方のように兄の野望のために人生を決められた女もいるが、でもただ流されるだけではなく、恋愛も出産も体験している。そんなイタリアの女たちに較べて、日本の今を生きていくわたしたちの願いはささやかだ。その落差を見つめたので、うんざりしたのかもしれない。
■1999.10.14
朝少し早く会社につくようにしているが、朝の30分は二時間に匹敵する。仕事の能率もさることながら、人のいない環境というのが、創造的な仕事に適している。混雑した電車のなかで、本を読んでいる人をよく見かけるが、あの場でクリエイティブな仕事はできない。発想があっても、それをすぐに実行に移す手段をもたないと、そのアイデアは泡のようにすぐに消えてしまう。思いついたら、すぐに携帯電話を使って、自分宛にメイルを送るという話しを聞いたことがある。これも思い付きを実行につなげる工夫だと思う。会社で家ですべきことを思い付いたり、逆に休みの日に、仕事のプランを考えたり、そんなときよく自分宛にメイルを送る。
■1999.10.13
今日はオフ。夕方、両国まで江戸東京大学の講座を聴きに出かける。江戸城の築城に当って、風水はどのような役割を果たしたか、それは環境科学のような学問だったらしい。山河襟帯といって、山は襟のごとく、川は帯のごとくの地形が理想の形で、長安、平城京などはみなこれに基づいてつくられている。つまり風水というのは、都市建設のための環境アセスメントに近いものだったといえるだろう。しかし、航空測量の技術を持たなかった当時の人々が、これらの地を足で歩いて調べたと聞いて、感心する。地形、方角を踏まえて、繁栄する都市づくりを目ざした昔の人が特別偉かったのだろうか。
■1999.10.12
昨日の楽しさの余韻のようなものが残っていて、うちも人を呼びたいということになった。会社関係、高校時代の知人、そして最後が70年代ロックの仲間である。十一月はパーティ月間にして、こんな時代だからこそ楽しく、気持ちよく過ごしたいと思う。夜、英語再入門で、英語の発音について学習する。英語は日本語に較べて、母音も子音も多いから、発音するのに努力がいるらしい。でも、慣れること、聞くこと、まねることに尽きる。学問も芸事も修行は、何十年も続くのだ。
■1999.10.11
同期会の打ち合わせを兼ねて、ガーデンパーティに招かれる。千葉市の近郊にこんな広々とした土地があるのかと感動する。まるで公園の中でピクニックしているような気分。芝生に椅子を並べて、木陰に机をだして、昼間からビールを飲んでいた。アメリカだったら当たり前のバーベキューも、市街地で開催すると貴重な体験になる。今回は招かれたが、自宅に人を呼んで過ごす楽しさのようなものを、実感した。早く荷物を片付けて、ぜひ友だちを招きたいと思った。30年近くたって、また、友だち付き合いが始まる幸福のようなものを感じている。出会いに年令や場所はないのだ。
■1999.10.10
天気予報を聞いて、タオルケットを洗う。シーツといっしょに工夫して干して、陽に当ててぱりっと乾かす。日光の恵みは本当にありがたい。南の町は、まだ秋というよりは夏の名残りを楽しんでいるようなところがある。それでも、朝晩は肌寒さを感じるから、電気カーペットを出して、布団も冬用のに替えて、冬の訪れを待つ。模様替えをしたら、また、新鮮な気分になって、寒くなっても楽しいと、思った。近くで売っている小ぶりの柿が、美味しかった。日用品を補充して、食事を楽しみ、あたりまえの生活がいちばん贅沢だと思う。
■1999.10.9
三連休の初日が秋晴れだとそれだけでうれしくなる。パンを各種取りまぜて買ったので、さっそく冷凍した。食べたいだけ焼くと、焼き立ての味が楽しめる。美容院にいって、世間話を聞き夕方から館山に出かけることになっている。ゆっくり休んでおいしいものを食べて、海辺の町を歩くのもすてきだ。
■1999.10.8
今日はシェイクスピアの言葉について、講議を聴く。16世紀の英国では、芝居は大衆のもので、一級の芸術というのは詩文だったそうだ。だから、シェイクスピアの書いた代表作といわれる37本の戯曲以外にも数えきれないほどの台本、脚本を作ったが、正確な数は本人もわからなかったらしい。彼は言葉を操ることについては天才というよりも怪物に近かった。悲劇から喜劇まで、そしてミュージカルにもなるほどの芸域をカバーした作品は、二十数年間で書き上げたという。やはりシェイクスピアは原文を楽しむのが最高の娯楽なのだそうだ。確かにZEPの日本語歌なんてあまり聴きたくないし、ロックは英語に限るというのが、わたしの信条である。
■1999.10.7
新しいThinkPadがやって来た。画面も広くなってスピード感もある。会社の机の上にはMacとThinkPadが仲良くならんでいる。午後は会議が3つあって、ようやく六時過ぎに本日の日程を全部終えて帰宅すると、例によって本八幡駅で人身事故とか。快速も普通電車も大いに乱れて、買ってきた三斤パンをかばいながらの帰宅だった。こんな夜もアナログプレーヤの選択やお薦めの機種を眺めながらZEPPELINEを聴いている。
■1999.10.6
幕張メッセで開かれているエレショーに出かけてきた。招待日のせいか、それほど混雑していない。今年のエレショーでは、家電が限りなくインターネットに近づいていて、近い将来、家庭から情報を発信したり、受信したりするのが何気なくできるような予感がする。まるでテレビを付けるような手軽さで、インターネットの中にあるさまざまなデータベースを利用できるようになるのだ。このエレショーも2000年からは違う名称になる。今日は朝から嬉しいメイルをもらって一日機嫌がよかった。20年前のお気に入りの本を見つけて、読みなおしてみたがいまでも新鮮で感心することが多い。まわりに流されず、本物だけを見つめて生きていきたいと思った。
■1999.10.5
月日がどんどん過ぎていく。十月は新しい仕事、会議などがびっしりあって、それが過ぎると2000年の夜明けだ。 週末は三連休なので、それを心待ちにしているところもある。いつになったら、平常心で仕事ができるのか、引越しの荷物はいつ片付くのか、不安はあるが、前を向いて走り続けるしかない。今日は猫を少し触っただけで、ZEPPELINEを聴く暇もなかった。
■1999.10.4
涼しい朝、寒いと感じた人も多いようだが、これでやっと平年並み。会社の女性たちが秋の服装をしていた、みんな仕事のできそうな顔をしている。暑すぎるとオシャレする気分になれなかったのが、スカートの丈や足下に気を配ったりして、それはそれで楽しい。天気が不順だといちども手を通さなかった秋服もあった。季節を先取りしていつも流行の服を来ている人には感心する。午後、眠気覚しに少し散歩した。会社の近くにパン屋さんを見つけて、四の橋から千葉まで三斤パンを持って帰る。お土産にケーキを買って帰るあの感覚。
■1999.10.3
六時前に起きて、海草サラダ、ジャガイモスープ、ホットケーキをたべ、ZEPPELINEを聴いている。風があって、小雨混じりの天気にZEPはぴったり。近所に遠慮して、ごくごく消音で聴いているが、空に雲が流れていくのを見つめながら、ぼうっとしている日曜日の朝は最高。今日は、衣替えをする予定。そうこうしているうちに、雲が切れ、晴れ間がのぞいてきた。今日も暑くなるのかしら。仮住まいの間に買い物を控えたので、衣類の整理がらくらくできる。ほどよい在庫というのは必要だと思った。ZEPを途切れなく聴いているうちに、夕暮れ時になる。秋の雲が波模様をつくって美しい。
■1999.10.2
お天気がすばらしいので、家中の布団を干す。日なたの匂いがついた布団は安眠を約束する。前の家にまだ引越しの荷物を残しているので、荷物の整理に出かけた。十一時頃、頼んでおいた食器棚が届いて、ようやく居間が完成する。床と家具の色を合わせたので、長くいても疲れない。夕方、戻ってきた母がお気に入りの食器を並べていた。東京の叔母が遊びにくるというので、急いで客間を片付ける。人が来ると慌てて片付けるのがうちの家系だ。結局一日中、片づけ物に追われる。夜になって周りがすっきりしたので、やや満足して自分の部屋に戻った。家にいたのにメイルをみる暇もなかった。
■1999.10.1
新しい月が始まったので、お友だちと食事会をした。久しぶりに近況を報告しあい、季節ごとに年四回は会いましょうねといって別れる。相手はわたしより30以上年上なのだが、ゴージャスな人でなぜか気が合って楽しい。夜は、英語再入門の講座を受ける。こちらも熟年たちが大勢いて、英語を勉強しようという意気込みが感じられる。ぼうっとテレビだけみていては、素敵な老後は来ない。英語のやり直しは中学一年レベルからスタートすれば、かなり楽しめるそうだ。帰りの電車の中で、コンピュータを使えない中年の会話に思わず耳を傾けてしまった。
■1999年9月・■8月・■7月・■6月・■5月・■4月・■3月・■2月・■1月
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