■1999.12.31
午前中になんとか美容院にすべりこむ。大晦日なのでさすがに混んでいた。人に髪をいじってもらうのは気持ちがよい。猫の気持ちがよくわかる。新年早々、猫洗いもしなくちゃ。午後から大掃除を始める。新しい家なので、ピカピカになるのが嬉しい。夕方は買い出しに出かけ、天麩羅そばを食べて年越し気分を味わう。紅白組は二階の両親の部屋に集結。わたしは、ZEPPELINのPhysical
Graffiti を聴いて2000年を迎えるつもり。好きな音楽を心ゆくまで愉しんでいるので、年末の慌ただしさとは無縁だ。今年はアナログレコードが聴けるようになった記念すべき年。裏表と、何度も手が掛かるが、それだけに音楽を聴くという気構えがある。CDのときは、そんな面倒臭さがないかわりに、なにかを失っていたのかもしれない。
■1999.12.30
朝八時から会社にいる。都心は車も人もいない。昨日残した仕事を完成させ、同僚と世間話して別れる。ITの友だちは年越しだといっていた。大晦日はさすがに仕事はしないが、また、二日にちょっと顔を出す。今年の最後はZEPPELINを聴いて過ごそう。帰ってきたら、猫が二匹で丸くなっていた。眠っている猫をくすぐって起こす。部屋に猫が二匹寝そべっていると平和だ。年末なのを忘れてしまう。
■1999.12.29
朝早くから、会社で仕事をする。ほとんど休日出勤モードで、時間がゆっくりと流れていく。誰が誠実で、だれがいちばんの友だちか、それが分かるのも一年を振り返る今頃だ。今年もたくさんの人に感謝して暮らす。お客さまアンケートの集計をしながら、合間にWebで気分転換する。鉄道のリンクは優秀。旅、映画、芝居、読書、音楽、買い物、わたしの好きなものは全部現実からの逃避だ。でも、お金もうけに頭を悩ましたくないし、努力しないですむならそれがいちばん。今年はそれでも苦労もあった。終わってしまえば何もかも楽しい。曖昧な記憶力に深謝。明日もお仕事、明るいうちに帰ってこよう。
■1999.12.28
Y2000に備えてアンチウィルスの更新をする。何が起きるか分からないから、最低限のバックアップはしておこう。会社に来る人がだんだん減って来て、それに反比例して仕事の能率が上がるようだ。アンケートの集計や、レポートの作成など、この時期ならではの仕事がたくさんある。社内で社長主催のティーパーティがあったので、ちょっと顔を出してみた。自宅のG3をG4にアップグレイドする前に、15インチの液晶ディスプレイを頼んでしまった。これで机が広く使えるだろうか。2000年へのカウントダウンが始まっているが、どんなときにもしなやかに、流されずに生きていきたいと思う。
■1999.12.27
高校の同期会の忘年会。お鮨がおいしかった。今年も楽しいことがたくさんあった。人と人との出会いと親密な時間を持つことが多かったように思う。今年もあと5日間。さすがに電車が空いている。この時期の静かな東京が好き。芝園橋から芝五丁目まで、迷いながら歩いてみた。後で地図を確かめたら、この辺りランドマークとなる建物が少ない。スーパータワーと呼ばれたNECの本社は売りに出ているし、似たようなビルばかりが立ち並んでいる。ここも港区だ。
■1999.12.26
館山で一日静養。暖かいご飯と濃いめに出した緑茶で、刺身や魚介スープを堪能する。新鮮な野菜も甘みをかみしめて戴くとほっとする。遊びにも行かず、もってきたケルト童話を読んでゆっくりと過ごす。風が吹いていたせいか、ほんとうに星がキラキラと輝いていた。ときおり回ってくる火の用心のかけ声も懐かしい。八幡神社では、歳末大市ののぼりがたって、植木や野菜、花などを売っていた。もう少しここにいたい。
■1999.12.25
猫にビーフシチューの残りをお裾分けする。ごちそうもいいが、新鮮な魚が食べたい。 Mac用の家計簿ソフトをダウンロードして、入力してみた。なかなか面白いが毎月の支出が決まっているので、一月分作るとあまり感激がない。それよりも銀行の残高が一目で分かる機能がありがたい。細かな家計簿をつける気はないから、簡単でシンプルなのがいちばん。昨日読んだ推理小説にイギリスの貴族が登場するが、愉しいことにお金をつかって、節約しているつもりが浪費ばかりで、思わず笑ってしまった。何かのかわりに別の物を購入するというのは、わたしもよくやるが、あれって全然節約にはなっていない。回数券なんて最後まで使わないうちに、有効期限が来るか、しまい忘れている。取っておいたビデオをみる時間がないように、物事はその場で完結しないとだめだ。
■1999.12.24
朝から銀行回りをする。パン屋さんもケーキ屋さんも、クリスマスのケーキであふれていた。レアチーズケーキや、苦いチョコレートケーキが店から姿を消してしまって、
イチゴの乗ったお子様ケーキばかりなので、諦めて帰る。町は静かだ。派手な飾り付けもないし、クリスマスは家でごちそうを食べて祝うのだろう。とっておきのワインを開けて乾杯する。午睡を取って、本を一冊よんでしまったので、贅沢をした気分。新しい家で迎える降誕節は、シンプルだが幸せだ。ZEPのKashmirを繰り返し聴いている。
■1999.12.23
高校の同期会の幹事組会合に出かけ、夕方戻ってくる。高校時代に作った映画の上映会も兼ねていたが、懐かしい風俗で、昭和40年代を思い出す。人々はまだまだ貧しかった。東南アジアのどこかの国を見ているようだった。植木屋さんが何日か通って来て、庭がようやく見られるようになった。暖かな日射しの中、ベンジャミンも外に出す。明日が休みなので優雅な気分になっている。明日はクリスマスイブ、キリスト教でないわが家では特に行事もしない。ケーキを食べることくらいだろうか。それでも年末の買い出しに出かけてイタリア料理の食材をたっぷり買込んできた。
■1999.12.22
一応仕事のめどがついて、明日から4連休。気分はもう年末休暇だ。この機会に冬物の衣類を総点検しよう。図書館から借りてきた本も何冊もある。久しぶりにネットで遊ぶ。家に帰ると不思議と忙しさはない。電車の中釣り広告に六本木WAVEの閉店セールの案内が出ていた。昔、バブルだった頃、打ち合わせの合間にこに寄るのはちょっとした息抜きだった。小説を書いたくらいだから、相当気に入っていたのだと思う。西麻布のあたりもずいぶんと変わってしまった。通勤には新橋駅を利用しているが、サラリーマンたちの帯が続いていて愉しくない。オシャレな人を見たいのなら、銀座、青山あたりだろうか。
■1999.12.21
MOやZIPをとりだし、アーカイブの保存を始める。Y2K対策と年末の恒例行事が重なっているのだ。合間に業者さんが挨拶にやって来て、慌ただしい。【ロッセリーニ 私の方法・フィルムアート社】を読んで気分転換する。映画は見るより作る側のほうがだんぜん面白いとつねづね思っているが、これを読んでいると自分が監督になったような気になって、偉くなったような気がする。知的な雰囲気というよりは、考え方がしっかりして理論だっている。バーグマンが彼のもとに走ったのも、うなづける。今夜は星がきれいだった。
■1999.12.20
年末のせいか、どこもここも混んでいる。バスが遅れて家にようやく戻った。納品書の手配や、支払いの確認など年末ならではの雑務が続く。ここで気を抜いたら確実に困る人がでるので、なんどもメイルを出す。家ではしないお正月準備が会社では必要。今年は年越しするひとも何人かいる。夕食後、買い物に出た。外は寒い、でも風がないだけおだやかな冬だ。夜、楽天市場で遊ぶ。気がついたら一時近くになっていた。
■1999.12.19
尾山台に住むアメリカ人のクリスマス・パーティに招待された。一軒家のあちこちにクリスマスの飾り付けがあって華やか。ごちそうが山のように出てくるが、彼がひとりで作ったのだと知らされ、また驚く。テキサス出身なのでメキシコ風にアレンジしてある。こういうのを見ると、またひとを招いて食事がしたくなった。娘二人も可愛い。大きなクリスマスツリーの下にたくさんのプレゼントの包みが置いてあった。12/25の朝、それらを開けて騒ぐのだろうか。すてきだと思ったのはロウソクの火があちこちにゆらゆらしていること。火を見ると、ほっとする。食事は大皿に盛ったり、耐熱ガラスのまま出したり、片付けが簡単になっている。アメリカ人にとって、ひとを招いたりするのは習慣だから、なれた手付きでチキンをさばいてくれる。庭に置いてあるバーベキューの釜が欲しくなった。ハワイで買ってきたという。
■1999.12.18
曇り空を眺めながら、平和公園に墓参。いつも花が咲いている公園も冬景色だった。少し脚を伸ばして鎌取まで出かける。ここも千葉市内だ。ゴールドクレストを植え直すため、赤玉、腐葉土など園芸材料を求める。休日にデパートをはしごするわけでもなく、ガーデニングに時間をさくなんて流行にはまっている感じ。このあたりに新しい住宅地が分譲されていて、毛色のかわった家が並んでいるので観察する。町並み研究はなかなか楽しい。住まいとひとの生き方について、思いを巡らし、乾かなかった洗濯物をどうしようと、現実に戻される。新しい爪とぎにマタタビの粉をまいたら、猫が夢中になってころがっていた。麻薬だと思う。ふだん冷静なシャム猫がいちばんはしゃいでいた。父が植え替えをしてくれて、家の中にまたひとつ緑の木がふえた。こういうのを幸せというのだろうと、ブルーベリーケーキを頬張りながら、考える。
■1999.12.17
二日間のセミナが終了。チームメンバとの交流が楽しかったので、気分転換になって、疲れているはずなのに元気だ。仕事から離れていると、こんなに解放されるものかと驚く。久しぶりに家でゆっくり夕食をたべる。読みかけの探偵小説を完読した。夜がいつまでも続くような気がして、なんでもできるようなふわふわした気分だ。これが本当の週末。12月も半分過ぎたのに、慌てることもなく、来週取った休暇をどう使うかで頭を悩ます。
■1999.12.16
今日、明日と二日間セミナで缶詰め。昼休みに業者と打ち合わせする。非日常の連続で、なにをしても新鮮だ。電車の中で、英国の探偵小説を読んで過ごす。忙しさの中で、それを楽しんでいるようなところが合って、その反動が少し怖い。昔ほど落ち込まなくなったが、でもなにもしたくない日はあるのだ。このまま週末も精力的に過ごすのだろうか。電車でフランス語のラジオ番組を聞くために、苦労しているが、楽しい。今日もZEPPELINで終わる。
■1999.12.15
初台のAppleまでセミナに出かけた。G4はすごいらしい。iMacとiBookがビギナー向けでG4はプロユースだという。締切りのある仕事がまたひとつ入って、その手配に追われる。年内に終了する仕事がまだ残っていて、朝八時から出社して、なんとかスケジュールに合わせた。夜は、近くのスーパーに買い出しにでて、大判餃子を作る。こうやって手工業をこなしていないと、バランスがとれない。なんでもデジタルというわけにはいかないのだ。
芭蕉は市井にまぎれて住んだ。それは出家でもなく、生活の糧を別にもつわけでもなく、穏やかで目立たない暮らしだったという。隠遁者の生活を頭に浮かべて、一日過ごす。
■1999.12.14
朝から山手線に飛び乗って会社に急ぐ。どうしても午前中に出したいレポートがあった。データにこだわる上司に教えられ、三ヶ月間のレポートを比較をしてみるとある傾向が掴めた。面白いのでデータをいじって過ごす。自分のやりたい方向に相手を納得させるには、それなりの裏付けが必要だと思う。電車の行帰りに、長明、兼好、芭蕉、西鶴につらなる隠遁者の文人たちについて読む。何ももたない簡素な生活がもっと、研ぎすまされると、自分の寝る一畳分の空間が確保されればよいということになる。夏の暑さも冬の寒さも、自然のまま過ごす。無常観と向かい合って生きるにはそのくらいの覚悟が必要なのだろう。一日の締めくくりはZEPPELIN。
■1999.12.13
千葉駅構内で朝6時から人身事故。どおりで駅員たちが興奮して放送していたはず。月曜日の朝、さわやかな気分で出かけたのに、会社についたのは九時を過ぎていた。午後、この数カ月なやんでいた課題に挑戦。英文のマニュアルを広げ、あちこち試してみたら、簡単にできた。やはり、マニュアルは読まなくちゃいけない。目の前でバスが出てしまっても、空いた電車を選んで居眠りして過ごす。--隠遁者にとって通常の意味の日常性は希薄だった。希薄化することが隠遁志向でもあった。だが、その非日常的な生活が日常的に連続し、日常化する。「変化を与え」なければうんざりしてしまうような日常性の連続と、隠遁者の日常化した非日常性の連続は、こうして、背中あわせ--とまでいかなくても、脇腹あわせ程度の関係にあった。【芭蕉・廣末保著作集】
■1999.12.12
かずさアカデミアパークの手前に高倉農協が開いている生産者販売所があって、行帰りに立ち寄ることにしている。昨日はシクラメンを、そして今日はゴールドクレストを買ってしまった。庭に植木鉢をならべ、だんだん家らしくなっているのをみるのが好き。ガーデニングまで本格的ではないが、昔から植木屋さんを冷やかすのが楽しみだった。大きな実をつけたユズの木や、刈り込まれた紅葉など、みんな欲しくなってしまう。
■1999.12.11
晴天にめぐまれた一日だ。朝から植木屋さんが来て、庭をいじっている。昔預けた庭の木が戻って来て、何となく懐かしい風景ができあがっていく。庭を必ず訪れた野鳥も思い出して寄ってくれるだろうか。布団を干して、シーツを洗って、五目御飯を炊く。家事の合間はずっとZEPPELINに浸っていた。時が止まったような時間の過ごし方をしている。季節すら分からないような日だまりで、70年代の名曲を聴いていると、昔の人を思い出す。
■1999.12.10
天王州アイルに遊びに行く。品川駅東口からバスに乗って10分くらい。夜なのであたりがキラキラしていた。こういうトレンディ・スポットに出かけるのも日常の中の愉しみ。昔暮らしていたアメリカのモールに似ている。それぞれの店がコンセプトをもって営業しているので、のぞくだけでもわくわくする。平面的な構造のデパートに較べて、買い物の楽しさのようなものが溢れている。広い部屋に置いたら、すてきだろうとおもうチェストや壁掛け方の時計など見ながら、二十年も昔にロンドンのhabitに行ったことを思い出した。キングスロードにあったhabitは一日いても飽きないインテリアと家具の店で、学生だったわたしは財布の中身と相談して、小物を集めた。お金持ちになったら、店ごと買い占めたいといつも思ったものだ。
■1999.12.9
バイク便を走らせて、校正原稿を送る。年内の仕事がまだ、二三残っているので、それが終わったら楽しい年末を迎えられる。最近読んでいる本にシェイクスピアは、一般に信じられるられている作者ではなく、17代オックスフォード伯爵だと書かれていた。彼の生い立ちがハムレットそのもので、幼少に父の伯爵がなくなり、母は平民でこれといって取りえのない男とすぐに再婚した。自分はエリザベス女王の寵臣でもあり、演劇のパトロンで、狼のような伯爵だったという。彼の経歴のひとつひとつが、戯曲に結び付けることができ、1500年当時、イギリスの宮廷出身でなければ、あれらの戯曲を書くことができなかったというのが結論だ。面白いことにWebも用意されている。では、なぜオックスフォード伯爵が、戯曲の作者だと言わなかったのか、当時のイギリスでは、戯曲作者はたいそう下賤なものという社会通念があり、かりにもエリザベス王朝の家臣が少しでも宮中を侮辱する話しを書くことが許されていなかったこと。つまり公然の秘密として、真実が存在したというわけである。
■1999.12.8
早めに会社を出て、銀座まで足をのばす。キムラヤでフランスパンなどどっさり買って、西銀座デパートの三愛まで向かう。数寄屋橋の宝くじ売り場には、何十にも人垣ができていて、みんな三億円があたったような顔をしていた。あちこちで歳末のセールが始まっていて、銀座はまた、勢いを盛りかえしたように見える。大勢の人が買い物や食事を楽しみ、おとなが安心して出かけられるような場所なら、一時の人気にながされることはない。たくさん物はいらないから、本物だけがほしいと思う。
■1999.12.7
締切りに合わせて仕事をしているので、遅くまで残って原稿のチェックをする。年内に仕上げるために、みんな一生懸命だ。品川のホームも空いている。山手線が止まっていた。そういうアナウンスを聞いてもなぜか驚かない。駅を降りると、空には冬の星座が輝いていた。オリオン座の三ツ星もくっきり見える。澄んだ空気に季節を感じながら、家路を急ぐ。
■1999.12.6
ぼうっと暖かな朝だった。秋葉原で降りるのを忘れて眠ってしまった。お茶の水からもどって、山手線に乗る。月曜日なのに空いた電車だった。東京駅付近に空きビルが目立つ。大手町が金融の町だったのは、いつまでだったのだろうか。BBCライブをほとんど中毒のように聴いている。洗濯の合間に、掃除の時間にZEPは心を励ましてくれる。自己解放してしまえば、肩の荷もずっと軽くなるのに、プライドが邪魔してできない人がたくさんいるのだ。困ったら、身近な人に相談してみよう。電車の中で本を読みはじめると、面白さのあまり、もう少し乗っていたいと思うようになる。忙しさの中で、時間のありがたさを感じる十二月だ。
■1999.12.5
子どもの本棚の棚板を二枚増設。これで教科書もきちんと片付くと思う。館山のショッピングの楽しさは、地方独特の風俗にふれるときだ。神棚がスーパーで売っている。新年の準備で、松前漬けや、栗の甘露煮、そして、みりんの大瓶も並んでいた。クリスマスよりもお正月のほうが重視されている。昨日から身欠きニシンを炊いていたが、少し焦がしてしまった。とろりと煮えた大根とよく合う。こういう料理も館山だから作る気になる。昨日の鍋の残りにアサリをいれてスープにした。日常から少し離れたところで、ふだん作らないような料理を食べて、のんびりと過ごす。帰ってきたらZEPを聴いて、現実に復帰する。
■1999.12.4
二週間ぶりに図書館にいって、五冊借りてきた。【ハムレット復讐せよ・マイケル・イネス】、【ジョンブラウンの死体・E.C.R.ラロック】、【佐佐木幸綱の世界13古典篇旅の歌】、【芭蕉・廣末保著作集】、【シェイクスピアは誰だったか・リチャード.F.ウェイレン】。すると一冊は二年前にも借りた本だとわかり、少しショックを受ける。読み直してみてもこまかなところは思い出せないし、荒筋は覚えがあっても結末は最後の方まで分からなかった。柿の種を食べながら、汚さないようにページをめくるのが楽しい。久しぶりに海鮮鍋を食べる。寒い夜にはこれが最高。推理小説を読みながら夜更かししてしまった。
■1999.12.3
クロスリファレンスチームの忘年会。恵比須のZESTで開催。西部の開拓者の町というコンセプトが異空間をかもし出し、くつろげる。フローズンストロベリ・マルガリータで乾杯し、今年の労をねぎらう。受付のきれいどころも呼んだので、会も盛り上がっていた。夜遅い方が電車の接続がよいのはなぜ。夜寒の町を家に急ぐと、二匹の猫はもう眠っていた。三島由紀夫の【禁色】を読む。おとなになって三島文学を再評価してみると、なかなか面白い。書き出しの部分はトーマスマンの【ベニスに死す】に雰囲気が似ている。作家の描くもうひとつの文豪というのは、いつも同じなのだろうか。
■1999.12.2
週末を前にリクエストに応えてタイカレーを作る。エスニックフードを売っている店で、ココナッツミルクの缶詰め、クミンパウダー、コリアンダー、グリーンカレーを手に入れれば、後は手持ちの材料でできる。深みのある鍋にたまねぎのみじん切りを油で炒め、塩コショウし、しんなりなったらセロリのみじん切り、生姜をすりおろしたものを入れてさらに炒める。そこにひとくち大に切った鶏肉を入れて軽く炒める。ここにニンニクのすりおろしたものを加え、ココナッツミルクを一気に流し込む。あとはコリアンダー、シナモン、クミンパウダーで味付けする。ここまでは、甘いカレーだ。そこに辛さのもとになるグリーンカレーを小さじ1杯入れて、塩コショウし、味見する。辛さがたりないようだったら、その半分くらい追加して、あとはゆっくりと弱火で30分くらい煮込む。グリーンカレーは大量に入れずに少しづつ入れるのがこつ。セロリがなければ、カブでもよい。水は一滴も加えずココナッツミルクだけのとろみとなる。
材料 鶏肉 400g、 タマネギ 大1個、 ニンニクすりおろしスプーン2杯、 生姜 1/3片、 セロリ 1本、 クミンパウダー 大さじ2、
コリアンダー 大さじ1杯 シナモン 小さじ1杯、 ココナッツミルク400gを2缶、 グリーンカレー 小さじ1杯から2杯 (4〜5人前)。
■1999.12.1
休みの日はしゃきっと起きられない。ゆっくりと食事をとって、部屋の掃除をする。BBCライブをかなりの音量でかけて、洗濯を干す。薄日なので、日なたでぼうっとするかわりに午睡を取った。これが気持ちよい。映画の日なのにどこにも行かなかった。大作はクリスマス・正月封切りで、目新しいものがない。夕方、焼き鳥を取りに行く。焼き鳥1本80円、寄せ鍋660円、鳥鍋600円という値段に感激。ここで新年会をやろうか。
■1999年11月・■10月・■9月・■8月・■7月・■6月・■5月・■4月・■3月・■2月・■1月
■1998年12月・■11月・■10月・■9月・■8月・■7月・■6月・■5月・■4月・■3月・■2月・■1月
■1997年12月・■11月・■10月