■2000.4.30
目が覚めてもぐずくずしていたら、八時になってしまった。 三芳村まで野菜の買い出しに行く。それから引越しのために荷物の整理。お昼近くまで掛かって千葉に持ち帰る品を選んだ。昔、凝っていたタコ焼きセットまで出てきて、これでボールケーキを焼いたらおいしいだろうと思った。使わない物は処分するしかないのだけれど、昔集めたビデオはどうしようかと迷う。見る時間なんてないのだから、なにも考えずに捨てればいいのだが、DVDに編集できるかもしれないなどと思うとだめだ。LPレコードはいまでも立派に楽しめるのに、ビデオテープは劣化が進むのだろうか。明日から月火と仕事して、また、火曜日の夜から館山に戻ってくるつもりだ。久しぶりに集中してお料理した。素材がよければ簡単にできておいしい。
■2000.4.29
お天気がいいので嬉しくなる。シーツを洗い、ふとんを干した。午前中に出発して館山で週末を暮らす。あと一月で引越し。荷物を少しづつ片付けているが、思い出がたくさんあって、なかなか進まない。来年の今頃はどこで連休を過ごすのだろうか。みんなみの里という野菜物産直売場に立ち寄ったが、食券を買ってセルフサービスの食堂がある。ここのごはんが信じられないくらいおいしい。お米も売っていたのでのぞいてみたが、種類があって決められない。次にくる時は平常心で買い物をしよう。苺が安いのでおやつ代わりに購入。丸山町のワッフル、サブレーなども買い込んで、館山に着いた。
■2000.4.28
週末から連休が始まる。ポンパドールで美味しいパンをたっぷり仕入れて帰ってきた。五月の最初は暦通
りの出社なので、仕事もそのままに残してある。春の野菜をたっぷり使ったサラダを食して、猫二匹と遊ぶ。新聞を開けば暗い話題ばかりだが、家族がいて健康なら満足だと思おう。部屋に花を飾ることや、おいしい食事が食べられることに感謝して、夜は早めに休んだ。
■2000.4.27
連休前の仕事がいくつか残っているので専念する。毎年、この時期はばたばたして過ごしているようだ。決まらないミーティングの日取りや、戻ってこない原稿を追いかけて一日暮らす。始終探し物をしている気分になって、落ち着かない。通
勤のお供に東洋経済を読んでいるのだから、気分転換できなくても仕方がないと思う。こんな夜はELPのworksを聴いて心をなだめる。
■2000.4.26
広尾の日赤で人間ドックの後、地下鉄に乗って日比谷にでる。ここでシモンズベッドのショールームに立ち寄った。質のよいソファベットがほしくて探していたところ、ここに行き着いた。
存在感のある、それでいて邪魔にならない本物の家具を見て、インテリアを真剣に考えてもいいと思う。心のゆとりがないと、家具のよさも分からない。これまではそんな気分になれなかったが、もっと住まいに時間をかけてもいいだろう。小雨まじりの有楽町を歩くと、新しい店があちこちにできているのに気付く。
■2000.4.25
Kihachiのナチュラルケーキに凝っている。抹茶とあずきが美味。品川の京急はこじんまりしていて分かりやすい。大型のデパートは苦手だ。人混みが嫌いなので、休日に買い物に行くという楽しみを知らない。連休前に仕事の段取りをして、あちこちにお願いをする。ひとりでは何もできないのが組織というものだろうか。それだけにまとまると嬉しい。個展を見に行った同級生から筆書きの手紙が届いた。こういう本格的な手紙をもらうのも久しぶりのこと。明日は人間ドックの日。
■2000.4.24
春雷に驚く。オフィスの中で雷鳴を聞くと慌てて帰り支度をした。月曜日の夜、ちょっとした憩いがあって、ゆっくりすると元気が出る。忙しいからと自分を励まし続けていると必ず破綻する。だから、ZEPやELPを聴いて自分の時間を取り戻すのだ。ひとり遊びが上手にできるようになれば孤独も怖くない。人に迎合して、自分を疲れさせて暮らすのは嫌いだから、音楽に逃げる。猫と遊ぶ。そうやって季節が変わるのを静かに見つめているのだ。
■2000.4.23
風の強い日だった。安房博物館に万祝展を見た帰り道、桟橋に寄ってみた。海には白波が立っていて、一面
灰色だ。そのうち、小雨が降ってきてたので慌てて戻った。観光に来ているのではないから、どこに行くということもなく、野菜の直売場や植木市などに心が動かされる。庭に置くシャレた椅子とテーブルが欲しいが、気に入った物が見つかるまで妥協はしたくない。午後一に千葉に戻ってきて、冬物の衣類をしまった。こちらは強風が吹いているだけで雨はなかったらしい。ハワイみたいに暑い一日だった。
■2000.4.22
晴れた朝は気持ちがよい。猫をベランダに連れ出して、日光浴させる。緑が眩しいくらいあちこちで輝いていた。週末を館山で過ごすのもあと一月くらい、貴重な時間だ。読みかけの本や食料をを積めて出発。これからは週末の小旅行を考える必要がありそうだ。三芳村に新しくできたカントリーマムというレストランで昼食を取る。お目当ての麦とろ御飯は売り切れだったが、ゆっくりと食事を楽しんだ。
■2000.4.21
白金八方園でお別れ会があった。ここは都心でも静かで落着いた品がある。久しぶりに懐かしい顔ぶれが揃って、近況を語り合った。こんな機会でないと会えない人ばかりで、別
れるのが名残惜しい。すてきな話もたくさん聞けた。金曜日の夜は電車も混んでいて、もうひとつの世界があるようだ。千葉に着いたら、また雨が降り出していた。
■2000.4.20
今日は雨。春の雨は趣がある。通勤で楽しているので、寄り道しようという気にならない。銀座や渋谷にも行かずに、品川経由で暮らしている。住めば都というが、京急でお買い物をするのも飽きて、千葉の24時間営業のヤックスで食材を補充した。生活することは、ときには新鮮で、ときにはうんざりする。図書館で読みたい本が見つからない日や、銀行に寄ることができなかった忙しさなどに織りまぜて、人との出会いがあり、よい仕事ができる喜びがある。時間が夢のように過ぎていくのがちょっと怖い。
■2000.4.19
新しい企画が持ち込まれた。これから忙しくなりそうな予感がする。物事は連鎖反応的に始まり、どこに行き着くのか自分でもわからない。毎日疲れて、週末には体を引きずるようにして館山に逃げ込んでいたのに、もうすぐ隠れ家がなくなる。気分を変えるために、東京ひとり散歩でも始めるか。昔、霞ヶ関からまっすぐ千葉に帰るのが嫌で、大久保行きのバスに乗って大久保経由で帰ったことがあった。東京を路線バスの車窓から見ると、また新しい発見がある。生活している人と観光客の際のような危う気な感覚だ。
■2000.4.18
都会で暮らしていると、夜がどんどん遅くなる。家事の分担を家族にお願いして一週間過ぎた。でも時間がまだ足りない。集中力を高めて効率を上げると、それに見合うだけのオフタイムが必要になる。閉館15分前の図書館に飛び込んで三冊借りてくる。【ハムレットの母親、キャロリン・G・ハイルブラン】、【70年代・女が集う、イギリス女性作家の半世紀】、【名探偵ポワロの華麗なる生涯、アン・ハート】。通
勤の合間に本を読み、ZEPを聴きながら雑事を過ごすのが唯一の息抜きだ。
■2000.4.17
春の一日は少し眠い。電車の中で熟睡して、月曜日が始まった。会社にいって、メイルをチェックして、仕事を片付ける。こまごました仕事で忙しいが、家ではG4が待っているので自然と笑顔が浮かんでくる。冬用の寝具をしまったら、とたんに寒さが戻ってきた。四月の天気はいつも気まぐれ。替わりに猫を探してきて、いっしょに寝ることにする。猫にだけはやさしい声で話し掛けると言われてしまった。
■2000.4.16
日曜日の朝、五時から起きて一日過ごす。日帰りで館山に出かけ、宿題をたくさんもらって帰ってくる。夕方メディアバレーに出かけて、G4を購入。これから先、生活できるのだろうかと少し不安。でも速いマシンを使って時間の節約をすれば、時は金なりなので結局は楽ができるのではないかと、かなり楽観的に考えている。これも春の気の迷いだろうか。
■2000.4.15
外は雨が降っている。だれもいない土曜の朝、ZEPPELIN II を大音響で聴いている。踊り出したくなる気分。このくらい窓ガラスを震わせなくちゃ、ZEPに申し訳ない。猫二匹も感激したようで丸くなって聴いていた。ハードロックというけれど、静寂のときがある。曲の中で、そしてレコードを裏返す一瞬。そのとき人はなにを考えるのだろうか。言えなかった言葉、二度と会うことのない出会い、いろんな思いが心をよぎる。LPレコードは手間がかかるけれど、その分考える時間はたっぷりあるのだ。
■2000.4.14
うららかな春の日を満喫する。図書館に行って、本を三冊借りて来た【Who Ges Hang?
スタンリー・ハイランド】、【杉本苑子全集1・2】。きょうは何もしないでこれを読むのだと決めると、うっとりとしてくる。食事の時間も惜しくて読みふける。夕日が差し込む頃、パープルを環境音楽に衣類の入れ替えをした。着るものがうんざりするほどあって、かなり処分したはずなのに引き出しから溢れている。気に入ったものをひとつだけ置くということにしたら、すっきりするだろうか。
猫もぼんやりしているので、紐で遊んでやると飛びついて来た。
■2000.4.13
午前中に会議がひとつ。午後は、たまっていた仕事を次々と片付ける。明日を休暇にしているので、なにがあっても機嫌がいい。週刊東洋経済で
、住みたい家に住んでやるという企画があったが、つい読んでしまった。活字中毒の病が高じて、ヴァン・ボークトを再読している。このスペースオペラにはまったら、どうやって脱出するのだろうか。本を読んでいるとなにも欲しくない。時間だけが、もっと欲しいと思う。
■2000.4.12
研修の最終日だった。東京の春もなかなか色気があって楽しい。通勤に少し余裕があれば道ばたの草花にも目が行くし、桜はまだ大丈夫だと確かめることもできる。品川駅の人混みをかき分けて帰って来た。残りの時間は小説を読んで過ごす。わが家がいちばん居心地がいい。読みたい本があると、他のことが目に入らないから平和だ。平日に夜更かしして本を読んでいると、はるか昔を思い出す。
■2000.4.11
今日も終日研修。チームの結束力のすごさを学ぶ。学習することによりチームがまとまり、ひとつの方向に向けて短期間に効果
をあげることができる。本気でやらないと繋がらないから、日頃使ったことのない大脳を揺さぶって過ごす。
なんだかサッカーの試合で走り続けたような気分だ。こんな夜はZEPPELINを聴いて過ごす。昨日の雨で桜がそれほど散っていないの安心する。夜桜もなかなかいい。
■2000.4.10
都バスにきれいな宣伝が付いて走っている。ハーゲンダッツのバスを見ていると、涎が出てくるし、ネスカフェもアート引越しセンターもある。何かよくわからないが、新しいことが始まった気運が感じられる。今日から三日間の研修が始まった。参加型なのでとにかく疲れる。行帰りには寝るつもりが、茂木好子の小説に熱中して夜半まで読んでいた。久しぶりに本物の小説に巡り合った気がする。作者の気迫がひしひしと伝わってくるのだ。
■2000.4.9
眩しいほどの朝日だった。鯛の潮汁とイワシ・ハンバークで目を醒す。産みたて卵や熟した赤いトマトを買いに行き、それから安房神社の桜を見に出かけた。何年も館山で過ごしていて、この神社の桜並木のすばらしさに気づいたのはほんの二三年前のこと。桜の盛りはほんのわずかだから、一週間見逃すともう出会えない。ここは静かで参拝客がそろそろと歩いているだけだ。桜はひっそりと愛でていたい。人混みに揉まれるようにして出歩くのは好きではない。こうやって土日と桜を見て過ごした。家に帰ってもまだ余韻が残っていて、楽しかったと家族で話をしている。
■2000.4.8
家族揃って平和公園まで墓参に出かける。途中どこも桜の花盛り。公園墓地というだけあって、園内には至る所に桜並木が広がっている。あまりの見事さにお昼持参で宴会をしているグループもたくさんあった。京の桜に憧れて、館山や千葉でも同じような桜の名所を探したときは、どこも期待外れだった。こうやって、思いがけず出会う桜はすてきだ。死んだらやはり桜の木の下に埋めてほしいと思う。夕方、館山に出かける。館山で過ごす時間はとても貴重だ。
■2000.4.7
芝木好子名作選を読んでいる。この人の話しを読むのは初めてかもしれない。面
白くて久しぶりに夜更かししてしまった。小説だから、男と女は始めから別れることばかり考えている。戦前、戦中という日本人の何気ない暮らしぶりがわかって、なるほどと納得する。みんな勤勉だった。無口で飾ることなく、働くことが美徳だった。それからはるかに隔たったところに今はある。楽して、ネット大尽になるのが、利口者のような風潮はなじめない。個人と社会が対等に向い合っていなければ、文化は育たない。損とか、得とかだけで話をするのではなく、もっと徳を積んでほしい。子どもが政治家になりたいといわないような日本は嫌ですね。
■2000.4.6
日本橋高島屋で高校時代の同級生が洋画の個展を開催。さっそく出かけた来た。新しい家に飾る絵はどれがいいかしらなどと鑑賞すると、どれもほしくなる。作者自ら製作に関する工程を解説してもらい、久々に香り高き芸術談義を繰り広げる。芸術の道を選んだからには穏やかな暮らしとは無縁だろうが、彼は昔と変わらない。何年かたって、こうして話ができるのも嬉しいことだ。
■2000.4.5
四谷怪談・廣末保著作集を読んでいる。この人の文章は明晰で飾らず、誠実な人柄が出ているから好きだ。分からないことは分からないといい、あとからうまくまとまるかもしれないなどと前置きして書き出す。東海道四谷怪談は四世鶴屋南北の代表作だが、この芝居を演劇として捕らえるのではなく、もう少し広い精神史の地平に呼び出したとき、どのような結果
が生まれるのか。迷い道で出口が分からないような不安につきまとわれるかもしれないが、出口はいつも昇り階段の上にあるというわけでもない。幕藩体制の土台が腐食し、亀裂が入ったとき、かつては、負の価値でしかなかったものが、その亀裂の合から踊りだし、整合的な秩序感覚を麻痺させる。 なんだか現代に似ているのが、怖いくらいだ。知っている芝居の話がふんだんに出てくるので新しい解釈にうっとりとする。会社勤めの間に本に耽溺するのも、不安定で無秩序な空間を無理矢理つくり出していることの相似形だ。
■2000.4.4
会社の昼休み、バナナケーキを焼いて来た友だちの話題で盛り上がる。夜中に突然片付けがしたくなったり、ケーキを焼きたくなることがある。仕事に集中して自分を失いかけたとき、わたしは旅に出ることを考える。旅は実際に出会うよりも想像しているときの方が楽しい。館山の海辺の家を閉じることにしたら、今度は京都に家を借りたくなった。休みの間、好きなだけ寺巡りがしたい。いつ出掛けてもいいような隠れ家を持つのが夢。なにも持たないと決めたくせに人並み以上の贅沢な休日を欲しているので可笑しくなる。
■2000.4.3
司馬遼太郎のエッセイを読んでいるが、心を打たれる箇所がいくつもあった。人間が言葉を駆使して相手を説得したり、安心させたりするのは、近代に顕著になったことで、村社会ならほとんど数十語話していれば暮らしていけるらしい。人間が本来言葉を使うということ事体、かなり高度なテクニックと消耗を要求されるのだ。日頃、言葉に頼ってそれ以外に何も生産していないから、疲れるのだと思う。本当は農業に憧れる現代人がガーデニングなるものを流行らせるのだ。
■2000.4.2
衣類の整理など残っているので午後一番で帰ってきたが、次々と親戚が訪れて何もできない。居心地のよい家というのは、ひとが絶えまなく訪れるものだろうか。図書館に滑り込み、本を三冊借りてくる。四月になったので、お赤飯を炊き、刺身で祝った。この年度も充実しますように。あまり変化はないが、明日からは新年度だ。もっと時間の有効活用を考えないといけない。余分なものを整理して、最小限のものに囲まれて生活したい。シンプルライフがいまの目標。
■2000.4.1
目が覚めたらまだ五時だった。今日は等々力までJリーグの観戦に出かける。横須賀線で千葉から新川崎まで行き、一度道路を横切って鹿島田から南武線に乗り換えて武蔵小杉まで向かう。ジェフ市原は前半9分で得点した1点を守り、勝利した。ベルディはシュートも決められないし、チャンスを物にできない。ジェフのゴールキーパーが健闘していた。夕方、館山に向かう。旅行の後は館山で静養するのが決まりなので、ここで休まないと疲れが取れない。
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