長月も今日でおしまい。そこで昔つくった歌を紹介しよう。
昔、トリプトファンという男ありけり。フェニ−ルアラニンの姫を慕いて次の歌を詠みけり。
リジン、バリン、と恋しかる きみのロイシン、イソロイシン、思えばあの月 スレオニン、ああ メチオニン
これは高校時代の作。生物で必須アミノ酸を習ったのを覚えていますか、その8種類がこれ。微生物や植物はタンパク質合成に必要なアミノ酸をすべて生合成できるが、動物では約半数を食餌によって摂取する必要がある。このようなアミノ酸を必須アミノ酸と呼びます。
あれから20年以上たっているのに、テスト対策で作ったこういう歌だけは覚えている。少年老いやすく、学成り難しか。
長い夜が終わるのか、始まるのか、定かではない。昔聴いたシカゴの長い夜(25 OR 6 TO 4)が頭を駆け巡っている。Waiting for the break of day, Searching for something to say, Flashing lights against the sky, Giving up, I close my eyes, Sitting cross-legged on the floor, 25 or 6 to 4. いずれこのCDも買うことになるだろう。長い夜は始まったばかりなのか、終わってしまったのか、解答はひとつではないらしい。
肌寒い朝、冬の予感のようなものを感じる。ニュージーランドに行っていた友だちからキーウイ・チョコレートをもらう。南半球は春だったが、寒かったそうだ。時差が三時間の反対の世界というのも不思議な感覚だ。当り前のように日本に暮らしていると、他の生き方があることを忘れてしまう。だから、何かを思い出すために旅をするのかもしれない。ひとり旅の頼りなさと、抱えきれないほどの発見は、いいことばかりではないが、自分を勇気づけてくれる。努力するは大嫌いだが、新しいことを始めるときの怖れはない。いつも前しか見ていないから、ときどき足元をすくわれる。転んだら、泥をはらって、また起き上がればいいだけのことだから、迷うことはないと思っている。何かが決められずに、待つのはもっと苦手だ。いちばん好きなのは、猫をだいて寝ること、ふわふわして暖かくて、猫を飼う幸福を感じる。
今週末はどこにも出かけずに、以前から気になっていた四都物語を完成させる。今春の旅行記が途中で終わっていたので、思い出しながら最後までまとめた。旅行の資料をいじっていると、また旅をしているような気分になる。Webを始めてから海外にいったのはこれが初めてなので感慨深い。YESを聴いて過ごす。海洋物語もSongsも聴けて、なお時間があまったので、ムーディブルースの童夢まで聴いてしまった。うちのCDカセットは10枚組なので、自然にYESが聴けるようになっている。なかなか達成感のある週末だった。
今週は家にいて片づけをする予定だったが、コンサートを控えてYESを聴くだけでおわってしまいそうだ。両親が北海道旅行を計画しているので、親孝行してWebに旅程ページを作っているが、これが思いのほか時間が掛かる。検索エンジンで探した項目を1つづつ検証して、使えそうなデータを集めるだけで、半日以上かかってしまった。Webにしかないホテルの特別プランもあったりして、あなどれない。海外旅行にはWebを活用したが国内旅行でも役立つ。Webで仕入れたHotな情報をガイドブックに書き込んでいるのはなんだか変。
打合わせが早く終わったので、銀座に直行する。新橋から銀座4丁目まであてもなく歩く。この銀ブラというのは、文化の香りのする散歩だったのかもしれない。画廊があるし、格安チケットオフィス、紳士靴の修理専門店、映画館など、日本の文化が集約している。松屋で着物を手に取って、こういう服装で会社で働いたらどうなるのかと想像するのも楽しい。そのあとは歌舞伎座に行く。会社帰りに芝居が見られるのもフレックスタイムのおかげ。イエナ書店で洋書の立ち読みして、辧松のお弁当を買う。仁左衛門の女殺油地獄は、近松門左衛門の作だが、上方特有の親子の情愛があって、心を打たれる。いいところの若旦那が勘当され、知り合いのうちに金の無心にいくのだが、貸してくれないと知ると、不義しようと誘ったり、凄絶な顔つきに変わって刀を振り回す凄味が見どころ。本物の油おけを倒して、その中で油まみれになって、殺しを遂げようとする仕種が近松らしく、粘りっこく続く。見ている方もいっしょに逃げまどっている気分にさせられる。それにしても大坂の商人たちはよう働く。食事も睡眠も取らずにお店のために身を粉にして駆け回っているのだ。歌舞伎を見ながら、つい仕事のことを考えてしまった。
まだまだ蒸し暑い。夏の洋服を来ていられるのも今週くらいなので、半袖にジャケットを着ている。一日のうちに雨がふったり、晴れたりと天気は猫の目のように変わっている。夜ステーキを食べていたら、縞猫が膝の上に擦りよってきたので、少し分けてやると、噛まずに飲み込んでいた。あとで何べんも舌舐めずりしてみてたので、よほど気に入ったと見える。うちの猫は魚好きだとおもっていたが、アメショだけにチーズとか、ステーキが大好き。ほかにゴマクリームとチョコレートが好物。だから朝食のときもずっとそばに張り付いていて何かとうるさい。
秋分の日。これで夏も終わって冬が近づくのかと思うとちょっぴり哀しい。混まないうちに早起きしてお墓参りにでかける。二箇所に寄って往復二時間あまりの行程。帰って来てから朝食をたべる。今年は高速道路が延びたので思いのほか早く帰れた。午前中にもう一箇所お参りして完了。毎年のことながら、お墓参りをすると気分が爽やかになる。午後、本をよみながら眠ってしまい、気が付いたらもう暗くなっていた。久しぶりに玄米ご飯を圧力なべで炊く。これに梅干しさえあれば、おかずもいらない旨さだ。夜になって雨がふりだしてきた。台風もいないのに不思議。
頭の中で考えを巡らし、思索にふけっているとき、周りからは遊んでいるように思えるのだろうか。休暇中の人宛ての電話やどうでもいいジョ−クに付き合うことなく、仕事に集中することに決めた。席から離れた仕事場にこもって精神を平らかにして、原稿のチェックをする。飽きると気分転換にお茶を入れたり、上の階を歩き回ったりして、よくはかどる。この分だと来週までにはなんとかなるかもしれない。不特定多数の人間に好かれることを諦めると、世の中の可能性がまた広がる。
頼りないような折畳み傘一本で、本社まで出かける。幸いにして雨は小雨で風が涼しい。一日の中で、晴れたり、曇ったり、激しく吹き荒れたりと不思議な天候だった。台風が近づいているせいなのだろうか。日記の中で泣き言をいっていたら、知り合いの方から励ましの手紙をもらう。心の交流があって、素直に嬉しかった。最近会社で笑うことが少ない。仕事が溜まるばかりでいっこうに片付かない。席にいると声を掛けられて、集中できないから別の場所にPCを運んで仕事場を作った。でも、そこにいく時間がない。こういう状況はわたしの美学に合わない。どんなに忙しくても、流されず、慌てずに平静心を持つこと、これは校正の心得だった。
まるで夏が帰って来たかのようだ。海辺では家族連れが水着姿で遊んでいる。本格的に泳いでいる人もいた。海の色もあざやな青で、空にはこどもが描いたような雲が広がっている。海岸にたつと風が気持ちよい。お昼に、冷ややっこに、いさき、まぐろ、あじの刺身と、アサリの味噌汁を食べたが、これも夏休みの定番だったような気がする。冷えた梨がおいしかった。週末にやっと一冊の本を読みおえる。夕食後、近くの新星堂にレコードを探しに行くが、めぼしいものは見つからなかった。
マイレ−ジが貯まったので、旅行計画を立ててみる。ここがいちばん頭を悩ますが、反面楽しいところだ。できるかぎりの組み合わせとイマジネーションを働かせて、プランを作る。予約センターはなんどかけても話し中で、やっと繋がったら、今度は二種類のテープをかわるがわる聞かされる。ようやく係りの人と話をして、結局、土曜日にはなんのアクションもとれないことが分かり、来週に持ち越しだ。しかし、本当に出かけられるのだろうか。
今朝からずっとZEPのメロディが頭の中にこびりついて離れない。メイルを書きながら思わず口ずさんでしまいそうになる。まあ、週末だから許されるか。東京に暮らすのは、楽しいこともあるし、うんざりすることもある。立ち止まってほっとすることがないと、すぐに疲れてしまうだろう。孤独はどんなときに感じるか、授業でならったことがある。誰もいない場所と答えた人は間違いで、先生はこう言った。《ひとは大勢のひとの中で孤独を感じるものなんだよ。ひとりでいるときは、孤独じゃないんだ。》わたしも行きつけの隠れ家や、友だちや、家族がいるからなんとか、元気でいられるのだと思う。Webの書き込みに感動して、ひとり嬉しくなることもある。Webの世界は二十四時間営業だから、とんでもない時間にページを開いて、だれかのおしゃべりに付き合うことができる。
恵比寿ガーデンプレイスまで、アドビのセミナを受けに行く。FrameMakerを使うことがあるので、基本的な操作を覚えるのがねらい。実際には想像していた以上に優れた特長があって、さっそく使いこなそうと決意する。恵比寿といえばきたない飲み屋さんばかりあったような気がするが、ガーデンプレイスができたおかげで、すっかりおしゃれな街になってしまった。階段をのぼったり、おりたりして、赤いレンガの建物に吸い込まれように入ってしまう。こういう非日常的な空間が、人々をほっとさせるのだろうか。
台風が去ったというのに、風が強くて涼しくて、まるで海辺の旅館にいるようだ。いつもは聞こえない電車の音、飛行機の音などが耳に飛び込んでくる。朝のうちだけだったが、会社から富士山がくっきりと見えた。東京には富士見坂とか、富士見町がやたらと多いが、これも山岳信仰の一種らしい。うちの近くに浅間神社があるが、これも富士山を祀っている。新幹線で大阪や京都に行くとき、富士川のあたりで富士山が見えたと叫んでいる。これも平均的な日本人の姿だろうか。
朝のうち雨が降っていたが、いまは曇りの天気。本を読んだり、雑誌を見たりしてのんびり過ごしている。甲府の叔母から勝沼産のぶどうが送られて来たので味見した。この赤嶺(せきれい)は外国でよくみかけるが上品な甘さがある。箱の紐を解いていたら、猫二匹がやってきて、その紐にじゃれている。猫も退屈しているのだろうか。本当はやることがたくさんあるのだが、何もしないでワインゼリーなど作って優雅な休日を満喫。
飛び石連休の合間に仕事をしている。会社は半分くらいの人だった。都心には他県ナンバの車が溢れていて混雑していた。渋谷でバスを待ちながら、昔はこの頃の連休にかならず京都に出かけていたことを思い出す。ひきだしには市バスのバス券も入っている。ふらりと旅に出かけられたらいいなあと、思わず旅行用パンフレットをたくさん集めてしまった。千葉県にも温泉のあることを発見。夜は久しぶりに英語の勉強をする。
美容院で読んでいた塩野七生さんと五木寛之さんの対談があまりに面白かったので、家庭画報を買ってしまった。昔この雑誌は憧れで、ステイタスを感じさせた。今は重いのが欠点だが、でも安心して家庭に置いておける数少ない雑誌だ。二人の対談だが、塩野さんが住んでいるローマで行なわれたので、自然のイタリアの話が中心になる。年を重ねていくうちに、大切なことは緊張感で、だれかに見られているという意識が必要だという。日本では緊張感がいらないから、中年のおじさん、おばさんばかりで大人の男や女がいないのだ。塩野さんはずっと昔、花椿に書かれていたエッセイを見たときからすごい人だと思っていたが、それでも外国で暮らすことは疲れるという。実感がこもっていた。
最近ギターの音がすると思ったら、隣のうちの若者が練習を始めたらしい。まだまだ初心者なのだが、夜中まで頑張って練習している。励ますつもりでジミヘンを正常な音量で掛けた。これって、いじめだろうか。早くうまくなってジミヘンみたいなギターさばきを聴かせてください。同じコードばかり聞かされていると、こんどはジェフ・ベックを掛けてあげたくなる。近くのパン屋さんでブルーベリ・ベーグルを買って冷凍した。これがなかなかの美味、地元もあなどれない。
午後に二つの会議をこなして、無事帰ってきた。明日から館山の八幡神社のお祭りだが、でかけるのは夜になりそう。平安時代の中期から始まったとされる房州最大のお祭りで、各町から参加する御輿と山車がぶつかりあい、境内は熱気につつまれる。今年は飛び石連休なので最後まで楽しめないのが残念。同時に開かれる縁日が楽しくて、いつも植木屋さんで時間を過ごしている。レモンの苗木とか、キーウイなどあって、館山なら確実に育つそうだ。温暖な気候ですからね。
木曜の夜はなぜだかほっとする。明日のことはとりあえず置いておいて、たのしい週末のことを考える。最近会社に水を持って行くようになった。お茶好きだった祖母が井戸を掘らせたのが役立っていまでも使っている。毒物事件が相次ぐ中、水も安心飲めないから自家製の水を飲んでいる。柳田國男全集9を読む。一晩中、好きな本を読んでいたいと思う。
今日は重陽の節句。九は陽の数とされ、これを二つ重ねた月日に当たる(岩波・国語辞典より)。本来は陰暦の九月九日なのだが、今日行事がいくつかあった。その昔、宮中では菊見をし、宴会があったという。源氏物語にもなんどか登場するが、この時代の貴族はお酒もたしなむが、和歌を作ることも必須だった。その皇室の紋章も十六の重弁である。日本の国花は桜で、皇室が菊のご紋というのはなかなか象徴的である。ちなみにイギリスの国花は薔薇。イギリス貴族が宴会で即興詩を作れるのかは不明だが、かわりに道化師という職業芸人がいて、歌のひとつふたつは披露した。西洋はこの頃から職業が縦割りだったような気がする。スペシャリストが尊ばれたのだ。
黒沢明監督の訃報を聞く。各界の反応というところでコメントを述べていた人たちもかなり高齢だった。日本のよき時代の映画づくりを知っている人が少なくなったということか。合掌。この頃、演劇に夢中で映画をみていない。一時期、銀座の東和映画試写室に海外の名画を見るための会に入っていて、あの川喜多かしこさんと出会ったことがある。着物をきちんときて、色白でりんとした方だった。こんな秋の夜は昔の人のことを思い出す。クラウス・ラング著のカラヤン調書を読む。
ご無沙汰している知り合いにメイルを送ったら、その日のうちに返事が返って来た。また、会いましょうということになる。この速さに慣れてしまうと、普通の紙の手紙が物足りない。往復はがきを買って、返事を待っているのは辛抱がいる。欲しい情報がWebから簡単に手に入るようになると、何日もかけて調べ物をしていたことを忘れてしまう。Webにある情報には限りがあるのだろうか。高校の同級生の訃報をメイリングリストで知らされる。心から冥福をお祈りします。
昨日から館山に来ている。早めにお昼をすませ、車で平砂浦海岸に向かう。安房神社から南房パラダイスをぬけ、適当なところで車を止めて海岸まで歩いた。海は松林の向こうにあって、細い道をしばらく歩く。こちらは外房なので波が荒い。内海の北条海岸とはずいぶん景色が違っている。夏の終わった海岸は、サーファーしかいなかった。ここで15年前に映画の撮影があった。その場所を訪ねての旅。海の近くに泊まっていても、海で遊ぶことは少ないが、今日は楽しかった。新しいページを作る。
朝からZEP II, III & IV を聴いていた。猫二匹を洗う。いつになく静かにお湯に浸かっていたのは、ZEPのファンだったりするのかもしれない。シャム猫はハードロックが好き。午後はサンタナを聴いている。秋のたよりない日射しにラテン音楽がかぶさると、夏の日の幻影が見えるのかもしれない。週末はまた海に出かける予定。豪勢な花をたくさん買って来て飾りたい。
三田蕎麦会に参加。日頃お世話になっている方とお会いできて嬉しかった。その後、銀座まで出かけてY.M.O. PROPAGANDA を見る。9:00p.m.からのレイトショー。いまのプロモーション・ビデオの作りで、当時としては斬新に写っただろう。見たことのある海岸がでてくると思ったら、最後に協力: 館山市消防所とあった。あれはよく遊びに行く平砂浦の海岸だ。終わってから少し歩いた。夜の銀座は独特のにぎわいがあって、ほかの盛り場にはない気品がある。世界の首都でもまだまだ安全な都市です、東京は。
会社で友だちがやっと木曜日ねと言った。いろいろと不毛の会議が多すぎる。明日も2つあるから、少し憂鬱。今日は両国まで出かけて狩野派の展覧会を見て来た。嬉しいことに木金は夜八時まで開場している。浅草橋から橋を渡ると両国。ところどころに下町の風情が残っていて懐かしい。展覧会は屏風絵がすごい、ああいうのが何気なく飾られている大広間を想像すると、歌舞伎の大名屋敷にたどり着く。牡丹、芥子、紫陽花、竹、朝顔など季節の草花をいろとりどりに描かれた二幅の四季草花図が、ウイーンでみた草花の絵にとてもよく似ている。色彩と配置が似ているのだろうか。どちらも見ていると心がぱっと明るくなるから不思議。物語を少し作成する。
iMacが人気らしい。こういう記事を読むと、一月前にノートパソコンを買ったことなど忘れてまた欲しくなる。まあ、初回ロットには、バグが付き物だからもう少し落ち着いてから考えることにしよう。借りて来た本が全然読めない。なぜか忙しくてぼんやりしている間がないのだ。テレビを見ることはとうに諦めて、新聞も辞めて、帰ってからの時間はたっぷり取っているのに、時間は飛ぶように過ぎて行く。明日は久しぶりに展覧会にいくつもり。
うろこ雲を見ながら、秋がやって来たことを知る。空気が澄んでいるせいか、海の景色がきれいだった。海浜線は時間はかかるが、自然を眺める余裕がある。どらえもんのどら焼きを食べながら、味覚の秋の訪れを感じる。秋の夜長に何冊本が読めるだろうか。世間は騒がしいが、こんなときこそ自分を見つめる時間を持ちたいと思う。