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■1999.1.31

気持ちよく晴れた、おだやかな一日だった。図書館で【片山敏彦の世界・みすず書房】、【六百番歌合・新日本古典文学体系・岩波書店】、【藤田省三著作集8・戦後精神の経験II・みすず書房】を借りてくる。図書館の新刊コーナーに立って、これを読んでいるときの自分の姿を想像してみる。古典は難解ではない。イマジネーションと感性は必要だ。眠る前のひととき、800年くらい前の日本人が作った和歌を鑑賞していると、京都の四季があざやかに浮かんでくるからふしぎ。旅行といえば京都しかいかずに、過ごした何年間があった。まるで、パリやロンドンを旅するように、京都は、私にとっての外国である。ジェスロ・タルのTHICK AS A BRICKを聴く。


■1999.1.30

昔から試験になると小説を読み出したり、片付けの途中で編み物を始めたりと、脇道にそれる性格だった。引越のための準備をするのに、BGMの70年代のロックの選曲からこだわって、パープルは歌詞カードを見つけて歌いだし、ELPではメイルを送って、と少しも先に進まない。新しい家はどこでもMacが使えるように計画しているが、音楽も全部の部屋で聴きたいと思う。クリスチャン・ラクロワはデザインの製作中、どの部屋からも音楽を聴くため、SONYのミニコンポを愛用しているというが、それもよいアイデアだ。音楽については、気分と元気さと、天候によって、最適なものを選びたいというわがままがある。モーツアルトやマーラーと同じようにZEPやELPが位置していて、音楽の中で、さまざまな自分の気持ちと出会えるような気がする。


■1999.1.29

初台のオペラシティ近くでWeb作成のセミナを受ける。渋谷から京王バス(中野または、阿佐ヶ谷行)で15分くらい。渋谷の公園通りを上って、富ヶ谷、初台坂下、初台坂上、そしてオペラシティ南口となる。このコースをバスで通ったのは初めてだった。二月に開催されるMacWorldで、昔の知り合いを発見。さっそくメイル出すと返事が来た。今回は、サンフランシスコと同等の広いブースになるとのこと。あの、楽しかった日々が思い出される。


■1999.1.28

この頃、毎日でかけている。今日は夜も暖かだった。家のことで最終打ち合わせに行く。なにかと気ぜわしいが、着実にもとごとが進行しているのをみるのは嬉しい。会社でも新しいプロジェクトが始まった。一月の終わりに新年を感じるのも不思議。何かが始まるときは、いっせいに動き出すような気がする。昔から、そうだった。忙しいときは、自分の時間を忘れて何かに没頭してしまうが、最近は音楽という息抜きがあるので、適当にストレスを回避している。70年代の音楽は、苦しいときの自分を救ってくれたし、いままた、新しい出会いを生み出した。秋に新居が完成したら、ロックな夕べを催したいと思っている。


■1999.1.27

渋谷でバスに乗ろうとしたら、いきなりバス停がなくなっていたのに驚く。都バスの工事が始まったらしいが、どう変わるか。渋谷駅にはいつもおかしな人がいるが、今日は、あなたの手相をみましょうかと声をかけられた。あの人たちはどこからやってくるのだろう。このまま日本経済の不況が続くと、昼間からゲームセンターに若者がたむろし、へこんだ車があちこちを走り、女性が流行の服を着なくなるといわれているが、盛り場が昼間からあやしい人であふれてしまうのだろうか。一月の終わりは、みんな油断して取り繕わないから、かえって年の暮れよりも人の素顔が見える。


■1999.1.26

銀行を三つまわって、トランクルームの会社に問い合わせをしてと、なにかと忙しい。家の建て替えというは、引越しが二度あるのだ。まだ何も準備ができてないうちに一月が終わってしまう。だれか友だちで、広い家を持て余している人はいないかしら。不用品を始末するのに、フリーマーケットでもやろうかと真面目に考えている。


■1999.1.25

今日も雨。夕方からまた降り出した。雨の月曜日はどこにもでかけたくない。早めに帰ってきて、夕飯をつくる。柚子ダイコンがさくさくとサラダ感覚でおいしい。味付けカズノコや、しらす干しとともにカキフライをいただく。こういう日は、あたたかな食事がいちばん。食後は金沢のきんつばで締めくくる。薄切りしたこんにゃくにたっぷり削り節をいれて、だし醤油とみりんをいれて炒める。火をとめる寸前にもう一度、削り節をいれて、七味とうがらしをまぶす。雷こんにゃくの出来上がり。冷えてもおいしい。夜、源氏物語の文体のつづきを読む。源氏物語はやっぱり原文で読まないと楽しくない。岩波の古典文学体系を買いたいなあ。


■1999.1.24

久しぶりの雨。どこにもでかけずに、読書と料理で一日過ごす。プレゼントで当選した20世紀のピアニストたちという、試聴版CDをかけながら、食事する。モーツアルトの時代、王侯貴族たちは専属の楽隊をもっていて、食事中も演奏を聞いていたのだ。当然マナーが要求されただろうし、会話も磨かれただろうと思う。華麗なピアノ演奏を聴いていたら、ハードロックが聴きたくなった。読書するのはかなり体力が必要。ごろりとなって、手軽に読める本ではないから、文中に引用された和歌を丁寧に読み直して、鑑賞をしている。ひとの心の動きが細かに分析されているのをみると、嬉しくなる。そこには発見があって、はっとさせられるのだ。そういう感動がないと人は生きているとは言えない。


■1999.1.23

iMacのカラーバリエーションが明日発売される。価格が安くなって、高性能というのは相反するようだが、工業製品には必要な要素だ。そして、爆発的に売れる。そう言う意味では、今年のMacWorld '99楽しみだ。TVでも、カラフルなコマーシャルをやっている。


■1999.1.22

金曜日はカジュアルデー。普段とちがう格好をして、発想も変えてみる。するとできなかったことが、できたりする。Webの仕事は、昨日までできなかったことが、すらすらとできるようになったりと、その発見が面白い。肝心なのは、かならずキーパーソンを探すこと。だれが分かっているのか、そこまで辿り着くのが大変で、あとは夢のような風景が広がる。金曜日の夜は家族会議、間取りと家のプランを話し合う。


■1999.1.21

けんかは勝てる相手とすること。これはいまの上司から教わったいちばんの収穫だ。一応サラリーマンの生活をしているので、ときには使えない奴と闘う必要もある。こちらが丁寧にまじめな質問しているのに、マニュアルにはそう書いてありますが、なんて信じられない回答をしてくるのだ。マニュアルどおりにやっているのに、できないから、あなたに相談しているのでしょう。こういうときは、よくよく考えて、電子メイルを送る。cc:, bcc; といろいろ付けて、あとで第三者が見たとき、だれに問題があるのか一目で分かるようにする。会社というところは、正しいことをしているだけではなく、それがどのくらい重要なのかをたえずアピールする必要があるのだ。どんな回答がでてくるか、明日の朝のメイルが楽しみ。


■1999.1.20

ほんの少しのことが人生を明るく照らし出す。夕食がおわってまだ八時前だったのが嬉しい。夜、ゆっくりできるのがいちばんの贅沢。この頃、凝っているゆず大根を作る。これがいたって簡単。材料は、白菜、大根、ゆず、浅漬けのもと。白菜は葉の部分だけきって、塩を振る。大根は大きめな短冊切り、これも塩を振る。あとはゆずの皮をそいで細かくきざむ。白菜、大根、ゆずの千切りの順でビニール袋に入れ、浅漬けのもとを注ぐ。最後にゆずを絞って香りを出す。冷蔵庫に寝かせて、一日おくとちょうど食べごろ。別々の皿に盛ると白菜のお新香とゆず大根の二種が楽しめる。短編集の続きを読む。これを読んでいたら、詩人というのはどんな生涯を送るのだろうかと考えてしまった。モーツアルトが自作のオペラの監督・演出をしたように、劇作家は自分の劇を上演させたいと考えているのだろうか。詩を和歌と考え、戯曲を芝居といいかえると、それは日本人にとっても生活に密着した芸術で、ひとは劇を演じること、見ることで人間の本能を満足させてきたようなところがある。劇はギリシャ時代からあるし、詩歌も同じだ。音楽もひとびとの生活にいつも存在したから、音楽家という職業が各国でなりたっている。アイドルはアーティストであり、流行歌手であったりしている。手許に元気の出る本が何冊があると、生きていることもわるくないなと思う。


■1999.1.19

Webで年賀はがきの当選番号を調べる。かすってはいるが当たりはなかった。代わりにゆうちょのページで遊ぶ。金利のシュミレーションをしてみたが、真面目に働いているのが嫌になるくらいひどい。気分なおしに源氏物語の文体を読む。夜明け近く逢瀬の男女がともに外界を眺めあう場面が随所に出てくるが、共感をもって景色を眺めやることのできる相手と、それに反して気持ちの逸れてしまう男女がある。平安のひとびとの暮らしと今を較べても仕方のないことだが、たとえ貴族といっても、十分な暖房施設や、寝室設備のなかった時代に、几帳越しに別れを告げる方がはるかに趣のあることのように思える。寝る前に毎日少しづつ気に入った文章を読むと、一日の充足感が広がる。


■1999.1.18

アメリカンショートヘアが入院していたので、迎えに行く。人間でいう更年期障害で手術もした。少し痩せたようでよけい不憫。しばらくは、家の中をあちこち動き回って落ち着かない。土曜日には抜糸があるので、それまでは安静にとのことだったが、本人はわかっているのかしら。今朝から読みはじめた本(ノーベル文学賞受賞のチェコの詩人、ヤロスラフ・サイフェルト(1901-86)の回想記)が面白くて、ちょっこちょこと読み続けている。短編というよりは、走り書きの感想や回想なのでいきいきとした暮らしが伝わってくる。月曜日を楽しく過ごすと、一週間があっという間だ。


■1999.1.17

持っていた本のうち、【校注更級日記】を読み終える。作者菅原孝標女は13歳の秋、父の赴任地上総より、京にのぼる。下総、武蔵、相模、足柄、駿河、富士の山、遠江、浜名、三河、尾張、美濃、粟津、京と約三ヶ月ほどかけての旅である。家族と共にいっても、別れがあり、心細くもあり、平安時代の中級貴族の一生分をこの旅で見聞きしたのだろうとおもう。東海道の旅とは、新幹線ができた30年前まで、日帰りなんて夢の話しだったのだ。いつか徒歩で京までのぼってみたいと思う。館山なので、NHK FM を聴いていたが、今日はモーツアルトの特集ばかりやっていた。モーツアルト、ELP、 ZEPは同じくらい好きで飽きない。そういうと吉田秀和に怒られそうだが、モーツアルトは4つの旋律が繰り返し使われるから、すぐに判別できる。


■1999.1.16

図書館に行って、【校注更級日記・新典社】、【源氏物語研究集成第三巻・風間書房】、【化石から知るヒトの進化・イアン・タッタソール著】、【この世の美しきものすべて・ヤロスラフ・サイフェルト著】を借りてくる。新刊コーナーから気に入った本だけ取り出してくるので、ほとんど応接間から本を探してくるくらい簡単に見つかる。土曜日の朝、図書館に本を借りに行くのは幸福な休日のしるしだ。毎週これができると最高なのだが、ときには読む時間が取れなくて、会社の往復でむりやり読み終えることもある。展示会やセミナ会場まで持ち込んで、時間まちを読書にあてる。しかし、ほんとうに自分の気持ちにぴったりする本に出会えることは稀だ。部屋の片づけが一段落して、埋もれていた椅子が出てきた。掃除のお供はサンタナ。明るいうちに館山に出かけることになった。


■1999.1.15

部屋の片付けを始める前に、どのCDをかけるかでしばし悩む。ZEPELPが妥当な線だが、Purpleになると歌詞カードを探して歌い出す。これだと仕事がはかどらないばかりか、In Rock から Machine Head まで通して聴くことになり、家族の不評をかうことになる。今日は成人の日だし、オシャレにクラシックのピアノ集でも聴きましょうか。名演奏家のピアノばかり聴いていたら、YESのリックウエイクマンが急に聴きたくなってしまった。こういうのを寝た子を起こすというのだ。三連休の初日に片付けを始めると後が楽。久しぶりに手の込んだ料理に挑戦する。チンゲンサイとホタテの中国煮は薄味で好評だった。鶏ガラスープのもとを入れるのがコツ。トマトスープも作ったし、なんとなく暖かいもので体をほっとさせたいのだ。成人式に雨が降らなくてよかった。


■1999.1.14

家の建て替えの件で知り合いの事務所を訪ねる。Webでは何年(dogs' year)も仲良くしているので、こちらの意図がよくわかって嬉しい。夜、家族で間取りプランのレビューをする。将棋の詰めではないが、家づくりは何年にもわたる見通しが大切だと思う。深く、真剣に考えることがたくさんあって、心地よい疲労で眠りにつく。近くに住む方たちがとても親切で、建替え中の仮住まいや、道具の預け先などいろいろとアドバイスしてくれた。ものを所有しないことはすべてを所有することになる。


■1999.1.13

朝、ZEPを聴きながら支度をしていると、機嫌がよい。今日はBlack Dogで出かけていく。昨日はWebで住宅関連の検索をしていて、夜更かししてしまった。なかなか他のサイトまで見る余裕がない。もうすぐ暇になると思うのだが。12月に較べて確実に道が空いている。電車は変わりないから、物の輸送がない分、景気回復にはほど遠いなあと思う。バブルの頃はタクシーがなかなか拾えなかった。歌舞伎座にも空席がずいぶんあって、終了後のお迎え黒タクシーもめっきり減ってしまった。東銀座には、停まるところはたくさん空いている。昨日、銀座で求めたパンを各種冷凍して、リスのようにちびちび出しては食べることにしている。ブルーベリ・チーズが出色。海老カツサンドもボリュームたっぷりで観劇のおともにぴったりだ。銀座は暮れよりもお正月の雰囲気が好き。地下鉄銀座駅の案内板にさっそくエルメス通りが、できていた。その内、ブルガリ通り、グッチ通りまでできるのかしら。


■1999.1.12

新春歌舞伎の夜の部に行く。さすが松竹さん、正月公演だけあって豪華な配役。羽左衛門、梅玉、幸四郎、菊五郎、芝翫、吉右衛門、又五郎、左團次といずれおとらぬ千両役者ばかりだ。しかも、70、80歳で現役、しかも主役を張っているのだから、どこかの政党にくらべたらすごい違いだ。芸の道、一筋というのは、並み大抵の努力ではつとまらないと思う。大店、大名屋敷、鄙びた庵と、幕ごとにさまざまな住まいが出てきたが、日本の和室というのは、室町時代に完成した書院づくりを基にしている。そこは、ひとつの閉ざされた世界であり、一幅の掛け軸と、一輪の花で、美が決定されている。余分なものは必要無いし、そこには何も置いてはいけないのだ。大名屋敷に大広間があるが、細々必要なものは、別の間に仕舞ってあるから、ああいう空間が生まれるのだ。江戸の人々は、最低限の家具と着物で暮らしていた。それが明治以降、庶民がタンスやお道具に凝るようになって、部屋もないのに、何でも詰め込むからきれいではないのだ。問題は収納ではなく、ものを所有することにある。そんな考えで歌舞伎を見ていたら、発見もあった。ここに日本人のルーツありということか。建て前と本音は武家社会では不可欠で、そのまま平成の会社でも通用するから、才人は実力が出しにくい。日本人の美学を突き詰めていくと、無であり、虚である。はかないものが美しくて、つかのまがいいのだ。


■1999.1.11

まわりに風邪ひきの人が多い。東京にはもう一月以上雨が降っていないという。図書館から借りた本が読み終えないまま、期日が来てしまった。年末はけっこうのんびりしていたのに、本ばかり読んで暮らす日々を夢見ていたのに、現実はいつも少しだけ違った形であらわれる。芯が疲れているような気がするので、十二時まえにベットに飛び込む。明日は歌舞伎に行く。


■1999.1.10

朝、早起きして部活に出かける子供を起こす。眠そうな顔で出かけていった。残りの家族は八時に起床。昨年やり残した部屋の片付けの続きを始める。ニュースで大雪警報の話しをしていたが、千葉は晴天が続く。毎日、布団を干して暮らしている。昨日作った間取りプランの変更を業者に届けたので、後から電話があった。こういうやり取りに時間を取られるのは予想していたが、それ以上に大変。


■1999.1.9

朝、十一時に約束があって、午後も住宅の見学会。結局戻ってきたのは、五時半を回っていた。館山に行くのをあきらめて、ありあわせで夕食を作る。夜は家族で間取りの設計をする。業者が出してきた案が月並みなので、アメリカのインテリア雑誌をみながら結局二時すぎまで、起きていた。夢中になっていると、時間の立つのが速い。


■1999.1.8

金曜日が来て、なんとなく週末の予感。修理に出していた6200/75が戻ってきたが、OS8.0のCD-ROMが預けたままなので、それを待ってインストール始める。これって結構時間が掛かるのだ。G3のときはほんのつかの間だったが、仕方がないので別の仕事を始める。8時ごろ帰宅して、週末をどう過ごそうか、ぼんやりと考える。お正月過ぎの週末が混んでいるはずもなく、TDLに行ったという知人の話しを聞くが、千葉市在住の者にはピンとこない。舞浜のTDLには一桁と往っていない。


■1999.1.7

七草がゆの日に牛肉と絹さやの玉子とじを食べる。風情のない家だこと。久しぶりによいお洋服を着て会社に行く。たまったメイルを読んで、返事を書いていたら、あっという間に午後も終わりかけていた。虚礼廃止のせいか会社にとどく年賀状が減って嬉しい。どうせ一週間以内に会う人に、あらたまった挨拶状はそぐわない。今年くらいからメイルの年始挨拶も増えてきた。みんなが添付画像を送ってくれるので、ディスクトップにはいくつもの絵があって、どれがどの人からなのか一目ではわからない。人気がある故のなやみだろうか。来年から名前をいれた画像を送ってね、と日記に書いておこう。


■1999.1.6

朝からお部屋の片付けをして、湯沢を出発。おいしい越後米をお土産に購入する。お酒は特別興味がないので、今回はパス。途中、赤城高原でとり弁当を楽しみにしていたら、定休日で売っていなかった。替わりに焼きまんじゅうを食べる。こちらは雪もなく、おだやかな日射しだ。帰ってきたらシャム猫の三種混合ワクチンを忘れていたとかで、新年早々、犬猫病院まで連れていく。猫の籠に入れていく間中、しきりに鳴いていたが、帰りは不思議と静かだった。猫でもわかるのだろうか。仕方がないので、紐でしばし遊んでやる。こうして貴重な休暇が終わってしまった。


■1999.1.5

快晴。支度をしてゲレンデに出たら10時を少しまわっていた。さらさらのパウダースノーが気持ちよい。晴れと吹雪と一日違いでこんなに気分が違うものだろうか。午後は休憩して、部屋でお汁粉を作る。これを食べないとスキー場に来た気がしない。夜はおいしい蕎麦屋にみんなで出かけた。へぎそば、舞茸の天婦羅、身欠きニシンなどはここでなければ味わえない。最後に蕎麦湯をゆっくりといただく。それにしてもあっという間に平らげてしまった。


■1999.1.4

朝から猛烈な吹雪き。泊まっている部屋が広くて、気持ちがいいので、雪を見ながら、どこにも出たくないと思った。家族は午後雪の中を出かけていったが、持ってきた雑誌を何冊も眺めながら、ゆっくりと過ごす。夜、近くの鮮魚センターに買い出しに行くが、帰りに関越入り口までの渋滞に巻き込まれて、三十分も立ち往生していた。あじの干物がおいしい。新潟米を炊いて、夕食にしたが、御飯がすぐになくなってしまうのに驚く。この日だけで40cmくらい積もった。


■1999.1.3

朝五時に目覚ましをかけて眠ったが、夜更かしに慣れた頭は冴えていて、なかなか寝つけなかった。5:47 a.m.に関越に入り、湯沢についたのが8:20 a.m. 関越トンネルができてから、湯沢は東京都湯沢町になった。昨日までは、雪不足を心配していたというのに、外は粉雪が散らついて、この日は一日雪だった。雪の日はリフト乗り場の便利な中里で滑る。雪のせいか、林の向こうがきれいで、山間部を滑っているような野趣がある。


■1999.1.2

朝起きるとすでに日が昇っていて、ガラス越しの風景はおだやかな冬景色だ。ずっと上天気が続いている。明日からスキーにいくので、雪情報を調べたら積雪がどこも少ない。どこで滑ろうか。スキーといえば上越なので、苗場によく出かけていたが、プリンスホテルの朝食が学食みたいなので止めて、替わりに志賀高原に春スキーに行くことにしている。空いているスキー場がいちばんだが、北海道には出かけたことがない。お正月は、手軽な中里岩原神立などをはしごして、雪景色を楽しんでいる。湯沢では旨い蕎麦がたべられるのも魅力、日本海の魚も新鮮だ。この頃、ホテルや旅館ではなく温泉付きのコンドミニアムを見つけたので、食料持参で別荘生活を愉しもう。読む本といっしょにMacを持っていくので、インターネットにも接続できるかな。


■1999.1.1

新年のはじまり。久しぶりに夜更かしして、家の間取りを真剣に考えていた。98年はインターネット元年だったが、ことしは建築元年と呼ぼう。煩わしいことがきらいで、努力することを避けて生きてきたわたしが、家の建て替えを考えるなんて不思議だ。ラスベガスで過ごした一週間、これからの人生について考える時間があった。なにごとにも多くは期待しないが、気持ちよい仲間と語り合う場がほしいなと思ったとき、家を建てることが頭に浮かんだ。税金とか、金融公庫とか、面倒なことが次から次へとあって、うんざりすることもあるが、新築の家に友だちを招いて愉しい時間を過ごしたいと思う。


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