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■1999.9.30
 今日で九月もおしまい。まだまだ暑い日が続く。本当の九月はどこにいってしまったのだろうか。秋の果物が並んで、季節は確実に秋になっているのに天気だけが頑固に頑張っている。中日が11年ぶりに優勝する。負けていた試合に逆転勝利は爽やか。時間があったので黒豆御飯の用意をした。明日は知人と食事会。そして英語再入門のコースが始まる。十月になったら、すこし勉強しなくては、頭がぼけてしまう。
■1999.9.29
 午後、新しい仕事の打ち合わせ。夜は大阪からの知人を囲んで銀座でオフ会を開催。何だかんだといって、毎月会ってるのは暇なのか、楽しいからなのか。おとなになって知り合う人は、同じ業界に固まりがちなので、多彩な人材の揃っているこの会は貴重だ。九月は仕事に集中したとは言えないが、忙しい方がなんでも順調に行くようだ。努力するのは嫌いだが、ときには頑張ることもある。USからのレポートの催促に答えて、借りてきたマシンにソフトをインストールして、分析結果を送ってやった。すると五分後にありがとうのメイルが来て、時間をみたら午前一時一分だった。向こうでも遅くまで仕事をしているのだと思うと、気合いが入る。
■1999.9.28
 追加工事の打ち合わせのため、午後は休暇をとって帰宅。夜、また少し荷物の整理をする。本棚を作ってもらうことにしたが、それまでの間は段ボールが積まれたままだ。玄関の空間がすてきなので、追加で作ることになっていた靴箱はキャンセルした。LPレコードが4箱も出てきたので、本棚を大移動して収納する。まだ開けていない荷物の中には、なにが入っているのか、ちょっと怖い。明日は大阪から来ている知人と会うので、料理の作りだめをする。最近、凝っているのがダンドリーチキン。チキンを一口サイズに切って、空揚げ粉にまぶしたあと、ナチュラルヨーグルトを大さじ4杯、カレースパイスを大さじ2杯くらいいれて、揉んでから冷蔵庫で寝かせる。二三日したら食べごろなので、油をひいたフライパンで両面が色を付くくらい焼く。
■1999.9.27
 月曜日が来て、電車に飲み込まれるようにして会社に着く。午前中は静かだった。英語の文章は日頃の訓練が大切なので、経済に関する記事はかならずメモしておく。G7というは、Group of sevenのことだと知った。CNNは生きた英語の勉強になる。電車の中で本を読もうと持参しているが、いつも眠ってしまう。図書館が近くなったのに、まだ一度も出かけていない。休暇を調べたらまだたくさん残っているので、一月に一度くらい骨休めの日を取ってもいいなあと思った。平日に町を歩くのは、新しい発見がある。
■1999.9.26
 近くの恩師宅を訪問してイタリア旅行について話しが弾む。それから野菜の買い出しに出かけた。ここで買うものは全部おいしい。牛蒡料理やモロヘイヤの調理法などはここで覚えた。荷物を置いて本屋さんに立ち寄る。気になる雑誌をパラパラと捲るが、あんなにいつも気になっていた収納やインテリアに関する本に興味を失っている。もうちまちまと部分的にきれいにするのではなく、家全体あるいはこれから生き方を真剣に考えなければいけない。入れ物に合わせて買い物をしたり、計画を立てて暮らすのだ。
■1999.9.25
 館山に静養を兼ねてでかける。子供の部屋を片付けていたら着いたのは夜だった。ありあわせの夕食でもここは楽しい。畳の部屋なので落ち着く。満月で月明かりで歩けるくらいだった。風の音に耳をすますと、電車の音も聞こえてくる。暑い一日だったので、まだ気分は夏休みだ。蚊取り線香を付け、アイスクリームを食べて慌ただしかった引越しの日々を思う。カーテンを新しくしたので部屋の感じが少し違う。仮住まいのとき使ったもので、長さもぴったりなので、ここで再利用できて嬉しい。
■1999.9.24
 自分の仕事について、質問が続くのでWebページを作ってみた。ここをまず見てから質問してくださいとわけだ。飛び石に会社にいっていると、曜日感覚が麻痺して、金曜日なのに翌日休むことに後ろめたさを感じる。断続的に激しい雨、九州では大災害だったと聞いて驚く。駅では旅行に出かけるような人を何人もみかけた。昔、九月の連休を利用して京都に出かけたことを思い出す。夜、窓を閉め切ってZEPを聴いている。
■1999.9.23
 早朝から墓参にでかけた。八街、小堤、平和公園、千葉寺と4箇所も回って、ご先祖様たちに無事家が建ったことを報告する。これで春の彼岸までは来られないので、念入りにお参りした。沖縄には台風がいるというのに、信じられないくらいよい天気で何をしてもうれしい。早起きしたので、夕方近く久しぶりに昼寝をした。目が覚めたら、あたりがすっかり暗くなって、夜の景色がきらきらしている。最初にきれいになった居間に集まって過ごすので、自分の荷物が片付かない。本の入った段ボールがまだいくつか残っていて、どこに入れたらよいのか、頭を整理して考えないと失敗する。物にはそれにあった場所が必ずある。どこにもしまうことのできないものは、毎日使っているものか、まるで必要ないものだ。
■1999.9.22
 朝から小雨。涼しくて気持ちよい。飛び石連休だと、今、何曜日なのか忘れてしまいそう。会社の契約保養所の年末年始の申込み案内が回覧されていた。年末はいよいよ世紀末。1000年に一度のお祭りを日本人はどう受け止めるのだろうか。仕事で港区のwebページを探していたら、まだ作っていないことを発見。東京都23区のうち、ページを開設しているのはまだ半数くらいしかない。港区にはハイテク企業が集まっているのに、行政サービスという点からみても、24時間アクセスできるWebを活用しないなんてちょっと信じられない。家に帰ると、寒いのか猫がテレビの上で眠っていた。昨日は玄関前のソファーにいたし、きまぐれという点ではいちばんである。
■1999.9.21
 初台までセミナにでかける。使っているソフトに多彩な機能が付いていて、まだ全部はつかいこなしていないと実感する。オペラシティのあたりはいつ見てもすてき。外国のようなシンプルな美しさがある。余計な看板もないし、東京の中の外国のようだ。久しぶりの雨、雷も鳴っていた。こういう秋の始めの雨は好き。緑がいきいきとするのが感じられる。帰ってきて、ようやく絵を飾ることができた。寝室の棚にも好きな本を並べて、自分の空間を再現してみる。
■1999.9.20
 銀行に行って住宅公庫の手続きを完了させた。それから会社に出る。海を眺めながらの通勤はちょっと旅気分がいい。月曜日の朝を飛ばしたので、一週間は夢のように過ぎていくだろう。夜は友だちと銀座で会食する。毎週、なにかしら会合が会って、そのたびに人生の味わいを知らさせるような気がする。若すぎるときには、そう期待していなかったことが、いまは、とても楽しい。傷つくよりも、まず愉しさを発見するように心掛けているので、毎日暮らしていけるのだ。我慢はしていない、気に入らないことがあると怒鳴って火を吹くこともある。
■1999.9.19
 だんだん家らしくなって、食事もいつものようにおかずが並ぶようになった。天気が晴れたので、猫二匹を洗う。このために誂えたシャンプー付き洗面台で、シャワーをかけながら洗ってやると、気持ちがいいのか鳴きもせずおとなしくしていた。CDを棚に並べて好きな音楽が聴けるようになった。今日はアイランドを聴いている。階段の棚に並んだ本を見ていると、また、読みたい本が見つかるから不思議。通勤のお供は、音楽ではなく、語学MDか文庫本だ。音楽は、もっと自由な環境で好きなだけ聴いていたと思うから、窮屈な中では聴きたくない。 休みのたびにすることが山のようにあって、退屈はしないがひどく疲れる。今月末までにはなんとか、落ち着きたい。
■1999.9.18
 さわやかな朝、今日もZEPを聴きながら洗濯していた。必要なものがなくて、いらないものがあふれている。欲しいものは少しづつ変わっていくから、大切にしていたものがいらなくなるときが来る。それに気づかないと、物に囲まれて、そのくせ不満で暮らすことになるのだ。シンプルなものは飽きないし、すたれない。本物は年月にも耐えることができる。今、使っているピアノは三十年以上たっているが、凛とした存在だ。とはいうものの、日常生活でいらなくなったものを上手に捨てるには、ちょっと勇気がいる。
■1999.9.17
 連日の疲れがでたのか、さすがに眠い。帰りは四ッ谷行きのバスの中で眠り込んでいた。生まれて初めてペルー料理をいただく。メキシコ料理と似ているが、もう少しマイルドだ。四ツ谷オフは、おとなの集まりで楽しい。言いたいことをいって、相手の話しを聞いて、すごく勉強になる。金曜日のせいか、町は華やいでいた。東京は、夜にまた別の顔をもっている。駅は、出会いと恋人たちのクロスポイント、絵になりそうな恋人たちはいなかったが、サラリーマンの哀しさは伝わってくる。みんな頑張っているのだ、70年代の音楽にどっぷりと浸って、少しも進歩しないわたしは、まだまだ甘いと思う。
■1999.9.16
 涼しい朝、秋の気配を感じながらこのまま涼しい日が続くといいなあと思う。飛び石連休のせいか、電車も道もこころもち空いている。帰ってから、猫の顔をしみじみと眺める余裕もでてきた。家事は慣れればいくらでも時間が作れるし、夜、車で明日のお弁当のおかずを買い出しに行くのも楽しい。仮設住宅から新宅に移って、ちょうど一週間たった。あと何ヶ月かかけて、自分らしい住まいを築きあげていかなくてはならない。明日は四ッ谷でオフ会。最近、気のあった人たちと会うのが、いちばんの贅沢のような気がする。
■1999.9.15
 ようやくZEPを聴きながら、仕事ができるようになった。音楽がないと不安になる。段ボールをいくつも開けて、20年ぶりに封印を解いたLPを並べる。アナログプレーヤを買ったら、これらを聴くことができるのだ。もう少しの辛抱。廊下に括りつけの本棚を設置し、そこに文庫本を並べていくとだんだん家らしくなる。本とレコードのある暮らしは、70年代の豊かさの象徴だ。あの頃は、インターネットもなく、メイルを自由にやりとりできるなんて想像もしなかった。90年代最後の家に、70年代の情報を並べてみるとしっくり行くのはなぜだろうか。
■1999.9.14
 なんとなく週末気分だ。会社の帰りに荻窪に寄る。夕方は豪雨という予想だったが、ぱらぱらと少しかすめただけて助かった。なんとなく仕事に集中できないので、7200/120 にOS8.6を入れて使えるように準備していた。6100/66を使っている同僚が、もう限界だと嘆くのでなんとかしてあげたい。しかし、Mac はG4 が華々しくデビューして、昔のPowerPC は影が薄くなったしまった。いちど速いマシンを使いはじめるともう後戻りできないから不思議。それに較べて、生活のサイズを替えるほうが簡単だ。なにかが満たされていると、むやみと買い物に行く必要がない。恋する女たちは、食事も咽を通らず、眠りも浅くて、なにもほしがらない。自分の居場所を確保した人も同じように幸せだと思う。
■1999.9.13
 月曜日は静かにはじまる。朝、地震があったとかで九時にはだれもいなかった。たまっていたメイルを整理して、返事を書いて半日過ごす。会社の仕事は引越しにくらべて楽々なので、ほんとうに静養になる。この数日間、音楽を聴いていないので禁断症状がでている。音を出す装置がまた、取り付けられていない。寝室にするか、ピアノ部屋にするかで迷っているのだ。せっかく大切に持ってきたLPは、いつになったら聴くことができるのだろうか。
■1999.9.12
 日曜日の朝、午前四時に猫に起こされる。遊んでくれというのをえさをやってなだめたら、今度は、ベッドに入ってきてひとしきり探検して帰っていった。ホットケーキを焼いてもらって、メイプルシロップがないので蜂蜜で代用する。荷物の整理をしているが、まだまだ終わらない。いらないものを処分しながらしまっているので、複雑な行程がある。ベランダに布団を干してみた。洗濯も楽しいが、どこに干そうかとしばし迷う。居間がいちばん居心地がいいので、自然とみんなが集まっている。
■1999.9.11
 こどもの運動会のために朝、五時半から起きる。新しい家はどこも気持ちがいい。台所にたって食事を作るのも楽しいし、食卓も広くて、シンプルで居心地がいい。居間を広く作ったので、大勢がいても窮屈な感じがしない。家族の席を決めたので、ひさしぶりに、ほぼ半年振りでいっしょに食事する。洗濯を干すための竿を並べて、シーツを広げる。太陽の香りのする洗濯物はすてきだ。乾燥機だと、この匂いがつかない。荷物を少しづつ片付け始めたが、道はまだまだ遠い。来週から仕事にいけるのだろうか。
■1999.9.10
 午前五時から起きて、足りないものはないかと荷物の点検をする。本箱や、たんすなどは持たない生活なので、荷物は少ないはずだが、肝心の置き場所が埋まっている。トラックは午前中に荷物を積み終わったが、午後から雨が激しく降ってきた。途中、日が射すこともあってかなりきまぐれなのだが、ベッドを三階まであげるのに苦労する。引越し完了をいわって、お赤飯を炊いてみた。初めてにしては、じょうずにできたと思う。夕方、閉じ込めておいた猫二匹を放してやると、不思議そうに部屋の隅々を探検していたがすぐに慣れてしまった。引越しの意味がわかったのだろうか。お風呂から出てそのまま眠れるのは嬉しい。
■1999.9.9
 午前中、待っていたテーブルと勉強机が届いた。床の色とも合うし、昔から使っていたかのような自然らしさが嬉しい。合間に、借りていたマンションに残したものをとりに出かける。午後、契約の停止のための打ち合わせ。自分の荷物をまとめなければならないのに、食事の支度や、台所の物置き場などで時間を取られてしまった。あと、一日で新しい家に移る。こどもたちは、半分くらいしか箱詰めしないで、眠ってしまった。猫が不安なのか、夜になるとベッドの上で待っている。
■1999.9.8
 引越し第一日目、両親のマンションから荷物をすべて積み込む。半年間暮らしていて、一度もつかわないものがたくさんあるのに驚く。昼は天麩羅蕎麦を食べ、夜は頂き物の焼き鳥をメインになんとか生き延びた。新しい家に移ったのは、両親だけでわたしたちの引越しはあさってだ。それにしても荷物の多い家族だとあきれられる。テーブルがまだ届いていないので、借りのテーブルで過ごす。なにもかもキャンプ生活だと思えば、不足はない。
■1999.9.7
 午後五時から家の引き渡し。すみずみまで案内してもらう。まだ、照明やお風呂や暖房などの使い方がよく分からないが、いずれ慣れるだろう。夜、カーテンを取り付けに行く。全部測って、注文したはずなのに、一部たりない場所を見つけてしまった。新しい家には、おおげさにいえば夢と希望が詰まっているわけで、家族のものもはしゃいでいた。明日から本格的な引越しが始まる。
■1999.9.6
 月曜日が始まった。人混みをかき分けて出勤すると、先週からの仕事が残っていて現実に戻される。ThinkPadが調子が悪くて、新しいものに替えてもらうのにたくさんのメイルを書いた。こういう作業が気が滅入るというのだ。目先のことばかりでなく、少し高い視野から全体を見つめてプランを作る必要がある。これに集中していると、何もしていないようで疲れる。気分転換にホットカルピスを作って、甘酸っぱい香りにほっとする。気持ちを集中させ、また、解放させ、ずっと先に愉しみを見つけて、それを心待ちにすること。長く仕事していると、自分の限界が分かるから、何もかも投げ出したくなる前に、手を打つのだ。
■1999.9.5
 日曜日の明け方に猫が起こしに来る。時計を見たら、午前三時四十四分だった。それからずっとベッドの上に上っていて、ゴロゴロと咽を鳴らしている。毎日、荷物詰めで忙しいので、猫と十分に遊んでいない。もう一匹は、モニターを入れた段ボールが気に入って、そこで寝ていた。引き出しを片付けていると、探していたものが次々と見つかる。何かの役に立つと、とっておいたものは決して使わない。目的の曖昧なものがあちこちに散らかっている。潔さが必要なのだ。絵ひとつにしても、そこに在るという存在理由を見い出すこと。どこにもでかけない週末は、ZEPに浸っている。デジタルの音源はボタン一つで再生できるから、忙しいときに嬉しい。70年代の音楽をこんなふうに、引越しの準備をしながらしみじみと聴くのも不思議な気がする。
■1999.9.4
 館山まで注文したカーテンを取りに行く。ついでに鯛も求めて、新築の内祝いと称して鯛飯を作る。海の幸を満喫すると、すこし元気が出てくる。引き出しを片付けて、いらない服を処分する。荷物が少しでも少ないことを願って、何年も放ったままになっているgoodsを廃棄する。さすがに本は捨てられないので、段ボールに詰め込んでいるが、しまう場所があるのかしら。猫が積まれた段ボールの上で眠っている。平和な土曜日の夜、ELPのWorksを聴く。 ZEPとELPを残して、CDも箱詰めしてしまった。すべてが現在進行形。
■1999.9.3
 金曜日の夜はいつまでも起きていたい。ZEPPELIN にはまっている。24年前の音楽がいまも精彩があるのはなぜだろうか。時代にこびずに彼らの音楽を確立したからだというのが、わたしの持論。本物はいつ聴いてもいいのだ。この仮設住宅ぐらしの中で、音楽を聴くことでずいぶんと心をなぐさめられた。人にはだれも弱い面があって、それを巧みに隠して生きているようなところがある。でも、実は心から解放されたいのだ。音楽や演劇は、その中にもう一人の自分を見つめることができるから、魂を救うことができると思う。さきほど一通のメイルをもらい、知人の突然の死を知らされる。こころから御冥福をお祈りします。
■1999.9.2
この歳になるまで、知らなかったということはたくさんある。今、ミュージカルの台本を原語で読みはじめているが、配役の表記について最初、なんのことかよく分からなかった。ほかにも芝居独特の言い方があって、これも知らないと次に進めない。長いこと放ってあったペーハーバックスがたくさんあって、amazon.com で探してみると絶版だったりするので、読まなければいけないなと思う。本屋さんが好きで、外国に行ったときも何時間も立ち寄る。その結果、新しい本が増えていくのだ。洋書はそばに置いておくだけでオシャレな気分になるので、つい買ってしまう。今も、Vogueを取ろうかと思案中。今日もZEPを聴く。
■1999.9.1
真夏のような暑い九月の始まり。銀行に財形融資届けを提出し、あとは完成を待つだけ。昼休みをかねて、エリザベスに出かける。かなり重い題材だ。英国の歴史や、宗教上の権力闘争などを頭にいれておいたほうがいい。映画の日のせいか、夕方の回は大勢ならんでいた。家の中を見学して、実際にどこに何を置いたらいいか間取りを確認する。あとは段ボールに物をつめるだけだが、これがいちばん苦手。
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