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▲1977年留学日記にもどる
1977年12月
12/1/77 THU

きょうは曇り空。こんな日は日本の青い空が懐かしくなります。ガーディアン買いに外に出たら、ミルクマンと会って、おかげで気になっていた1/2Pも使えたし、文句ないわ。この新聞、学校の先生たちはみな読んでいるけれど、格調高いし、わたしはTimesよりずっといいと思う。


12/2/77 FRI

身にしみるような冬の夜である。すべての本はうとましくて、作り話めいているのに源氏物語だけは特別に思えるのも不思議なことである。これを読んでいるとアナのことを思い出す。ウンベルトの父上が急にやってきて、それっきり戻ってはこなかった。買い物を少しづつすませ、荷物を送りだして、明後日からギリシャにいく。幼い頃から愛読したギリシャ神話のオリンポスの神々に会いにいくのだ。


12/5/77 MON

今、アテネにいる。ここはロンドンよりももっと田舎だ。金沢にちょっと似ている。ギリシャって貧しい国。でも物価はパリ並に高い。ここにいるイギリス人たちにいわせると、軍事費用に予算をかけすぎているからだという。食事はずっといい、ツアーは£160なんだから、お買得だったかな。ギリシャのお風呂はしゃがんで入るようになっている。日本のお風呂にちょっと似ています。


12/7/77 WED

きょうは、デルフィにいって雨の中をアポロ神殿と博物館をみてきました。 雲の上にそびえる宮殿って感じがよく出ていたけれど、お天気に見放され、さんざんな目にあっています。雨の中、バスに乗って、山並が続くのをみていると、心が落ち着いてきた。


12/9/77 FRI

きのうは船に乗って島めぐりをした。お天気に恵まれ、期待通りの青々とした地中海を見ることができた。都合三つの島に寄ったけれど、最後の島にある神殿はデルフィより形がよく保存されていて、興味深かった。あんな神殿がなぜ一つの島の中にたてられたのか知りたい気がする。今朝は一時間ほど、アテネの商業地区を見てきた。戦後まもない日本はこうであったろうと思われる。現在の豪奢な暮らしに慣れてしまったわたしたちには、安っぽい、センスのない、洋服やバックなどが堂々と銀座のような目抜き通りに並べられているのをみて、貧しい国だと思ってしまう。いっしょにいるイギリス人は揃って、これだからギリシャがECに加盟するのは嫌だなんて、騒いでいる。アテネの朝晩の交通ラッシュはもう当り前のことになっていて、いつも抜けるのに一時間くらいかかってしまう。


12/9/77 FRI

きょうのツァーガイドはいままでで最高の人選だった。まるで大学の講義を聞いているかのように、博学で教養がある。円形競技場のまん中にたって、コインを一つ落とし、そのなかのいろんな場所で待ち構えているわたしたちに、音が聞こえてたでしょうと微笑みかける。この円形競技場というのは、音の反響がすごくよくて、どこの席にすわっても音が聞こえるように設計されているという。最後に海のむこうに停まっている軍艦を指差して、あれがなければもっとギリシャは美しいなんて言うのよ。


12/11/77 SUN

不思議なことにロンドンに帰ってきたら、また眠れなくなってしまった。アテネより二時間遅いのだから、いまは向こうの午前四時のはず。手紙を書いていたりして寝そびれてしまったのかしら。あと£130で、十日間すごすのは大変。明日はピータージョーンズに行ってみよう。


12/12/77 MON

手紙を出してもどってきたら、大学からの書類が届いていて、ゴールドスミスカレッジのインタービューが明日12/13(火)というお知らせ。その日に来られるかという問い合わせが来ている。きょう返事を書いてもとても間に合わないので、直接出かけてきた。New Crossの近くです。大学の中は暖かくて、若い人ばかりで気持ちがいい。同じく、LSEからも便りがあって、教授会の決定は新年早々に出ますと書いてある。それに嬉しいことにスイスに帰ったハンスからも手紙が来たのです。イーディスに知らせてあげなくちゃ。


12/14/77 WED

試験はたぶん駄目だったと思う。わたしは胸がつまって、自分の馬鹿さ加減を思い知らされたような辛い気持ちだった。53番のバスにのって大学の方へ回った。家具屋さんのまえで、プ−さんの人形(テディベア)をみたら途端に欲しくなって買ってしまった。部屋に戻って、本を読んでいたら、エイスケから電話があって、今夜みんなで日本食を食べに行くがどうかと言う。久しぶりにクラスの仲間に会えば、叱られそうだが嬉しかった。みんなとおしゃべりしていたら、なんと前にすんでいたAddison Avenueの家に泥棒が入って、宝石や持ち物など全部持っていかれたという。学校にいっている間に、小さな缶の一つ一つまでめちゃめちゃにされていたのですって。クリスマスのプレゼントも買ってあって、借りていた女の子は大変だったという。恐ろしい話。みんな、この家に招かれてわたしの手料理を食べた口だから、あなたは運がよかったと言ってくれる。


12/15/77 THU

きょうは弟の誕生日。これであの子も二十歳か。きのうあちこち歩き回り、買い物をし、疲れ果てて帰ってきた。家族から手紙が来ていて、毛皮のコートを買うのに、もし足りないならなんとか都合するから電話しなさいと書いてある。これが我が家のやりかた。そういう生活に慣れてしまうと、恋人に対しても同じように尽くすようになってしまう。家族がみんなで帰りを待ちわびているらしい。


12/18/77 SUN

きょうはみんながパーティをやってくれるとかで、朝から落ち着かない。文子さんに預けていた本が15Kgある。荷物はどうにか片付いた。まえにすでに20Kgも送っているのです。なにがそんなに増えたのだろうか。空港までTaxiで行くのは贅沢でしょうか。£4くらい掛かります。エイスケも同じ便で帰ることになっていて、ここまで迎えに来てくれると言う。よかった。パーティは予定通り順調に進み、アジアンガールたちの手料理をごちそうになった。いろいろと話をしてたら、もう三時だ。おなじ宿舎にいるものの強みですかね。昔、こうやって恵美子さんたちと話していたことを思い出す。


12/19/77 MON

一月前の今頃は、ひとりで寂しい誕生日だったのに、もう一月たってしまった。考えれば、この一月がいちばん辛かった。今朝、頑張って15Kgの荷物をいちどに出してきた。明日、10Kgの荷物をだせば、水・木と優雅に過ごせます。ピカデリーで中華をたべるには少々多すぎるくらいお金も残っている。食事をすませたら、マ−キーでも出かけてみようか。でも寒すぎるから勇気が挫けてしまう。ほんとうに毛皮は必需品。きのうもスローン・スクエアで三十分バス待っていたら、気持ちが悪くなった。家に帰ってきて、友だちに話すと、いますぐ熱い風呂に入れという。いわれるまま熱い風呂に使っていたら、気分がよくなった。寒さのあまり気持ちがわるくなったらしい。


12/20/77 TUE

ロンドンの最後の三日間、どうして過ごそうかと思案中である。お気に入りのワンピース着て、ピカデリーに繰り出すこともできる。いまひとりでテートギャラリーに来たところ。ギャラリーショップで絵はがきを買い、一枚の絵も見ずにティータイムだからと紅茶を飲んでいる。こうして落ち着き払ってるところは、とても二日後に日本に帰って、あるいは二度とここに帰って来られない人のようには見えない。昔、漱石もよくここに来たのではないか。何かと言うとターナーの絵が出て来る。この場所はテムズのすぐ近くにあって、明るくて気持ちのよい美術館だから、わたしのいちばんのお気に入りだ。平日のそれもクリスマス前の美術館が混んでいるはずもなく、ここで食事をすることも可能なのだが、やはりピカデリーに戻ろう。TURNER、Willam Blakeとお気に入りをしみじみ眺めている。次にいつ会えるのだろうか。ここで出会った絵の数々は、わたしの中に眠っていた芸術ということばを思い出させてくれた。ロンドンを離れるのに、何の未練もないのは不思議だ。久しぶりにカメラを持ち出し、いつも通っている町並みを写す。ここにいる間は、観光客でないから、決してカメラは使わなかった。でもこれでお別れ。


12/21/77 WED

ここのアジアン・ガールたちはみんないい人で、きょうも夜遅くまで付き合ってくれた。なぜAddison Avenueに住んでいた頃、この人たちを招待してあげなかったのだろうか。怖い話がいくつかある。ロンドンではあちこちでストライキが起きているが、中でもすごいのが電力スト。本当に電気が止ってしまって、信号も使えないから、バスもそこらへんに止ってお終いになる。幸いここの暖房はスチームだからいいが、個人商店ではろうそくを頼りに、一回三人までという制限付きで買い物をさせているという。さんざん話をして自分の部屋に帰ると、エステルの部屋のドアが開いていて、男の人たちが中にいて捜査している。部屋の中を覗いてみると、土足の跡であちこちかき回された様子で、管理人のクリスはシェパード犬を連れて歩き回っている。ドラッグがみつかったと誰かがいっていた。ロンドンも怖いところなんだと思う。明日の今頃は何もすることもなくて飛行機のなかだ。


12/23/77 FRI

飛行機を降りたら、家族が待っていた。エイスケも同じだ。弟の運転する車で千葉まで帰る。さっきから、高速運転は初めてで怖い怖いといいながら運転している。飛行機よりもずっと危険だ。昔はこんなところに住んでいたのか。数時間前まで遊んでいたところと較べて、やはり日本は田舎だという気がする。


12/27/77 TUE

日本に帰ったら、日記がかけなくなった。苦労して自分を支えることがないし、甘やかされる心地よさ。不安や恐怖がない。不思議だ。昼間、町に出て、物が豊富なのに驚かされる。なんという国だろうか。無いものはなにもない。夜、友だちに電話するのも忘れてしまう。先週の今頃はなにをしていたかと聞かれると、ここにいたと答えてしまいそうだ。


(完)


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