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▲1977年留学日記にもどる
1977年5月
5/03/77 TUE

甘美な死があるなら、その過程には必ず、甘美な眠りがあるはずだ。私は、夜と疲れが適当に混ざりあった、とろけるような眠りの中に落ちていく。もう目を開けていることさえもできず、体中の血が重くふくれて、沈んで。
Peter Jonesの五階に宝石売り場があって、アンチックな洒落た指輪やネックレスを売っている。£40あれば、すてきな石のついたのが手に入る。一つ二つ気に入ったのがあるが、どうしよう。


5/09/77 MON

学校から道一本渡ったところにフラットが見つかった。Hollond Park AvenueからAddison Avenueに入ったところ。家賃は週£25、一月約五万円。お風呂、台所、トイレ付で広さは10畳くらいある。東京のまん中にこの値段では住めない。食事は自炊して、一月£160で暮らせるだろうか。7月になれば、弟が来るし、学校から近い分ゆっくり勉強できる。さっそく学校で教えたら、パーティはいつなのって聞かれた。新しいところに引っ越ししたら、House Warming Partyというのをやるのが習慣なんだそうです。だれを呼ぼうかな。


5/10/77 TUE

本当の意味で、一人暮らしをしたことがないから、黄昏どきになると寂しさがこみあげてくる。最初の日は12番のバスにのって、ロンドンの町を走り回った。ビックベンを左手に眺め、テムズを渡り、また同じバスで戻って来た。今もどうしたらいいかわからなほど、哀しくなるときがある。せめて美味しい料理でも作って、気を紛らわそう。49番のバスにのって、KensingtonのSafewayまで買い物にいった。£10.8で持ちきれないほど買って、段ボールに入れてもらったのはいいが、とても動けない。タクシーを拾おうかと考えると、バスが来たので49番にのって、いったんシェパードブッシュまで出て、12番で帰って来た。ようやくのことで、家に帰ってきて、汗ばんだ服を着替え、お茶を入れる。まったく、ここでわたしは何をしていくるのだろうか。


5/11/77 WED

友だちを夕食に招待したので、ハンバークを作ることにした。その前に、銀行にいかなくちゃ。閉店十分前に滑り込んで、お金を降ろしてきました。最近ではお金のありがたみがいたいほどわかったので、持たずにいると不安になります。£100くらいないと怖い。一人暮らししていると何かあったとき、まず困るでしょう。
今夜はシチューを煮込んでみましょう。クラスの女の子なんて一人暮らしで台所使うこともできず、毎晩外食なんですって。それも一人で。その話を聞いたら、自分がどんなに恵まれているかわかった。小さいけれど一応一軒構えているから、自分で経済、料理、管理のすべてを自分流でできるわけ。
一人暮らしで大切なのは、一日一日何かしら前進させること。今日は枕カバー作って、電話の申込み用紙を書いた。明日は、買い物とパーティの準備で大変。


今日夕食に招いた女友だちに、ロンドン大学の演劇科に入ったらなんて薦められる。女優か、わるくないな。演出家とか、日本人でもなれるのかしら。ロンドンにどんな演劇学校があるのだろう。年老いて、引退したらこぎれいなレストラン構えて、ロンドンに住む。なかなか建設的な話だ。こうやって学校の近くに住んでいるのだから、好きな女の子どんどん招いて、食事会をやろう。料理ずきな子ってたくさんいるから。


5/13/77 FRI

きょう引越し記念のパーティを開いて、全部で二十人くらい来たかしら。招待していない子もいて、なんとなくよく分からないうちに終わってしまった。先生たちが四人も来てくれたので感激。写真もたくさんとって、楽しく過ごしました。ワインを持って来るのがパーティの常識なんだそうです。おかげで暖炉の上の棚にずらりと、ワインの空き瓶を並べてしまった。わたしはぜんぜん飲めないのに。あとで日本人が五人残って、いろいろと話して、ハンバークやスパゲッティ−を食べた。すごく怖いおばけの話をして、私が泣き出すほどおびえたので、一人が用心棒に残ってくれました。すごく良い子で、部屋の片づけを手伝ってくれて、食器も洗って、ゴミも捨てて、今は疲れてしまって眠っています。


●用意したもの:
1. ゆで卵 14個、 2. ハンバーク (ひき肉 3パック、玉ねぎ 大4、卵 4)、 3. レタス 1個、 4. トマト 4個、  5. オリーブ 半分(全部使えばよかった)、 6. ハム 20枚(売り切れた)、 7. チーズ+コーン+マヨネーズ(コーン 小一袋、二倍作ればよかった)、  8. じゃがいもフライ(じゃがいもフライパンに二杯分揚げる、売り切れ)、 9. パン 半片、フランスパン 1本、  10. グリーンピース 一袋(人気なし)、11. スパゲッティ− 一袋(四人分でぴったり)、12. 紙コップ 25×2(余分があるといい)、  13. 紙の皿 25枚(全部紙の皿にすれば捨てられる)、 14. 紙ナプキン 100枚、 15. ビスケット 1袋
●必要なもの:
a)ワインの栓抜き、b)タオル、c)灰皿、d)マッチ、e)くずかご、f)音楽、g)ようじ
●予算: £25、お酒は各自が持参


◆反省ノート:
途中で料理せずにすむもの。サラダとか、卵・ハムにしたら良かった。オープンサンドイッチや、ハムやチーズサラダを十分に作ってだせばよい。ハンバークやポテトフライより、チップスのほうがよい。
時間も4.30-8.30よりも、7.00-11.00p.m. くらいにして夜やるのがいいみたい。やっぱり金曜日はよかった。

5/14/77 SAT

調べてみたら、88番のバスでまっすぐTate Galleryにいけるのです。22P。久しぶりにバスに乗るのは良いことだ。毎日歩いて学校に通っているから、バスの旅をしていなかった。土曜日は美術館めぐりの日。Notting Hillからだと、Piccadillyまで16P。歩くことも運動になるのだから、大切ですよ。


いまようやくTURNERの部屋に来たところ。彼はイギリスでもっともすぐれた風景画家で、その初期の作品にはまだ、Light & Shadowはとり入れていません。伝統的な画法で、自然をありのままに描いているかんじ。それがいかにして、これを簡略化するか、そのsprit, mind, moodをいかに表すかということを考えて、極端な省略をすることができるようになったのです。それでいて、その風景のもつmoodというものは少しも損なわれていません。不思議ですね。TURNERの絵は、わたしのこころを落ち着かせてくれる。Sunrise の絵を見ていると、しみじみと幸福だった子供時代を思い出す。芸術家というのは、感じやすい心を持っていることが大前提ですから、断じて無感動に陥ってはいけないのです。いま、テ−トギャラリーのTURNERの絵の前でこれを書いています。少しも不安はなく、落ち着いて、ぴったりしている。パリじゃあこうは行かない。ロンドンが好きなんです。絵を見ることはいい。今、自分が何をするのがbestなのか、思い出させてくれる。心の中の上等な部分を刺激しますから。


5/14/77 SAT

Fleet Streetは、昔から新聞社が並んでいて有名な場所だったが、その近くにある新しいビルに新聞社の支局が、いくつか入っていて、私も毎週水曜日になると、そこにお邪魔して、日本の新聞を読ませてもらうことになっていた。父が新聞社に勤めていたので、その関係でロンドン支局の特派員の方と親しくさせていただいたのである。一応、日々の出来事、引越しの報告などもして、懐かしい新聞も好きなだけ読めるのだが、毎週、そこを訪れることは気が重かった。特に理由はないのだが、相手の方が、うんざりした様子で面倒をみてくれているのを感じていた(ロンドンに留学する日本人は山ほどいたと思う)。同じ階にいる、別の支局の方にはすいぶんと親切にされた。欧日協会の存在も、その方から教わったし、ロンドン大学の教授にも紹介状を書いてくれた。欧日協会というのは、日本とヨーロッパの交流を目的とした団体で、これに入ると格安料金で、日航のチャーター便を利用することができた。


5/19/77 THU

ローマ生まれのフランチェスカに、本格的なカルボナーレの作り方を教わる。
●生のベーコンをカリカリになるまで炒めて、お湯をわかし、その間に卵をわって用意する。●六人分で卵が6個。はじめの1個はそのまま使い、あとは黄身だけ入れて、塩とブラックペッパーを入れてかき混ぜておく。●ベーコンがきつね色になったら、バターをスライスして、ボールにならべ、ゆであげた熱々のスパゲッティーを入れる。そして、少しづつ卵を入れながら、かき回すだけ。上に粉チーズをかけてできあがり。とても簡単でおいしい。


おしいし食事の後は、グラディスと三人で心ゆくまで、おしゃべりをする。クラスの友だちのこと、先生の事、人生観、結婚について、恋愛についてなどなど。三人とも、英語だから打ち明け話ができる。フランチェスカは、バレンチノに就職がきまったんですって、なんと40%のDiscountが使えて、5月30日から、勤め始めるそうです。すてきじゃない。彼女は気性の激しい子だけれど、その分正直に生きている。勘もいいから、私が話そうとすること、前もって分かってしまうのです。

5/21/77 SAT

きのうよい散歩道を教わった。12番か88番のバスに乗って、Marble Archで降りて、New Bond Streetを経て、Piccadilly にでる。わたしの個人的な意見だが、Oxford Circusはごみごみしていて、好きでないから、こうやって迂回するのは悪くない。この通りは人が少なくて、裕福そうな生っ粋の英国人ばかり歩いている。まわりの店もしゃれていて、気分がいい。他におすすめの散歩道は、Knightsbridge から Sloane Square にかけて。ここの店は見ているだけで楽しくなる。まわりに小さな公園があるのもいい。引っ越してから、健康のためにも歩くことにしている。Kensington High Street から Church Road に上がっていたら、知人とばったり出会った。帰って来る途中、ソーセージが食べたくなって、近くのお店で買い求める。こんがりと焼いたら、おいしかった。ハムより、ソーセージのほうがおいしい。じゃがいもといっしょに食べると、ほっぺたが落ちそうだ。値段は二本で23P。これで一食分のボリュームがある。


5/23/77 MON

日本人の友だちが開催しているEvening Courseをちょっとのぞいて、帰ってきました。帰りのバスの中でイタリア人の夫婦と会って、神戸からきているとか、久しぶりに日本語で話をして、不思議な気分。それにしても、なんてきれいなロンドンの夜景なんでしょう。ウエストミンスター寺院や、ビッグベンが光っています。ここにいられることの幸福をしみじみと感じています。11:00です。この静かな都会に夜が来て、ピカデリーのど真ん中を、バスで通り抜けているのに、新宿のような嫌らしさもなく、静かなところです。


5/25/77 WED

パスポートの更新のために、日本大使館にいったら、在留届けが必要で、(まず外国に着いたら、領事館と大使館に立ち寄るべきだと思った) それを合わせて出すと、一週間でパスポートが取れることがわかった。そして幸運にも、Hollond Park Branch 3 の 英語のevening courseが取れた。その事務所は、月-金の18:00-19:00だけ開いていて、わたしは偶然、今日出かけて、面接と試験を受けることができた。試験は筆記試験で Why do you study English? という題名の作文を書く。その後で、事務長のおじいさんと面接がある。ほかに三人いっしょに受けた人がいたが、わたしはすごく気に入られて、他の20時間のコースを取ったらどうかと勧められた。少し遠くなるけれど、Putney とか、South Park Branch があるらしい。三か月で月謝がわずか£40だ。今通っているPrivate Schoolをずっと続けるつもりかとも尋ねられた。いまの学校は6時間のコースで、たしかに暇があるすぎる。このevening course には当然ながら、働いている人たちが大勢いて、程度も高い気がする。


5/29/77 SUN

日曜日にテートギャラリーに行く。ここでは土日に美術鑑賞講座が開かれていて、スライドを見せながらの講義がある。わたしはここでシュールレアリズムのダリやピカソの手法を学んだ。英語は十分わからなくても、実際の絵画があるので、自然と理解が深まる。費用は無料だったから、学生の身分には嬉しかった。
芸術家はみな新しいものを生み出している。始めは模倣で個性も何もない。一様に書けていますって感じ。次に独自の画法を発見する。その前者後者を較べてみると、そこには明らかな違いがある。
生き生きとした心、当たり前の絵 - だれでも書けるようなもの - ではなく心から何かを訴えるような、違った角度から心を照らしてくれるような力強い印象がある。
確かにターナーの初期の作品は平凡だ。単なる風景描写にすぎない。彼が実景に近づこうとすればするほど、それは陳腐で月並みなものになってしまっている。だから月並みな感動しか呼び起こさない。それが、その印象はそのままで、風景をおもいきって、簡略化することにより、大成功を博した。その絵はターナーの心の風景、あるいは、従来あるものを消化して再構成したところのものだ。その絵のもつ新鮮さ、豊潤さは、はるかに実景を超えてしまった。それが感動をひき起こすのだ。
Willam Blakeにしてもそうだ。彼は画家であり、同時に詩人でもある。そして彼独自の画法であるwater coularを使って、簡略化させることにより、イマジネーションの広がりを見い出した。単なる絵におわってしまうのではなく、そこから始めるって感じなのだ。
テートギャラリーに行くと、いつも何か発見する。芸術は、すべての芸術は模倣に始まり、簡略化へと向かう。



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