1/26/77 WED
ケンブリッジにあるBell Schoolから入学許可書が届いた。ロンドンで慎ましい学生生活を送るか、ケンブリッジで華やかな留学生活を行なうか、考えてしまう。なにしろ、ケンブリッジは高級下宿付き、パーティ付き、当然月謝も信じられない程高いのだ。ロンドンの6時間の学校が、12週で350ポンド(1£=500)くらいなのに、Bell Schoolは800ポンドくらいだった。二年前に一年間留学した友だちと会って、やはりケンブリッジ行を勧められる。母親が面白いことを言う。"いつも本千葉に住んでいて、ださいと文句言っているのだから、イギリスに行ったらロンドンのど真ん中で生活してみればいいでしょう。英国の首都に暮らすのはいい経験になると思うわ"。なるほど、それも一理ある。田舎に籠って生活していると、大都会に出て来るのは億劫になるだろう。コンサートや芝居に通うならやはりロンドンの中心に居なくてはと思い直す。さっそくロンドン在住の文子さんにお願いして、住まいの方を探してもらうことにする。
「多分ね。---そう思うことにしています。あたしは自分の運命を自分で決め、そしてそれから十年間自由に生きてきましたから。ただね、カルロス、好き勝手な振る舞いをする者は、いつだってその代償を払わなくちゃなりませんよ。いつも独りきりだということよ。それに耐えられないひとは、自分を殺して、他人にしがみついていらっしゃい。少しはよいこともあるかも知れないわ」
がたくた博物館・大庭みな子より引用
1/31/77 MON
やっと一月と別れられる。息苦しくも、長い一月だった。いちばん嫌なのは、物事が始まる直前の小休止だ。荷物を一部船便で送ることにした。家族といっしょに食事してたわいもない話をして、今の家よりよいものは無い。ロンドンに行くことにしてよかったと思う。そうでもしなければ、独立する勇気なんてわかないだろう。Bell Schoolに断わりの手紙を書かなくちゃ。どうしてもロンドンを離れる気になれない。