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▲1977年留学日記にもどる
1977年3月
3/3/77 THU

きのう、叔母の墓参りをすませ、頼まれた真珠のイヤリングと辞書を求めた。ずいぶんと荷物がふえてしまったみたい。昔から私は、本に囲まれて生活してきたのだから、本がないと死んでしまう。それにしても、今は不思議な気分だ。五年前のある日、こうして九時すぎまでベッドにもぐっていられる幸福について、くどくどと説明したが、それによればこれが幸福というものである。家に閉じこもっていれば、何の不安もないから、親がいて、食事して、すべて当たり前のことにように思われる。そうしているときは、不満もない。だが、一歩外に出ると、目的もなく人生を送って来た大きな代償を払わされるのだ。それでも、今なら間に合う。なんとか間に合いそうだ。日本にいて、誰も気付いてくれなかった私を理解してくれる人っているだろうか。人はいくつかの別れを経て、だんだん年を取っていくのですね。


3/4/77 FRI

荷物もあらかた整理がついた。明後日出発だから、当り前といえばそうだが。教訓1: 荷物は一週間前からつめておくこと。過不足をならすのには、一週間はかかる。親戚の人が来たりして、家族中がまるで、通夜か葬式みたい。私がいく先は、福祉国家の連合王国イギリスなのに、アフリカにいる宣教師に嫁入りするみたいな騒ぎだ。でも、私は小さいときからちやほやされるのが好きだから、こんな状態は悪くない。みんなが心配してくれるのだと思うと胸が熱くなる。会社の人たちも、みな、それぞれに心配してくれた。


3/8/77 TUE

今、ロンドンでこれを書いている。やっと落ち着いた。それでも、荷物の整理は何一つ出来ていない。母と電話で話して、家のものたちが息をつまらせたようにしているのが辛い。私は私で慣れたロンドンのはずが、前のように迷い、疲れ果てるなんておかしい。アールズ・コートからキングスロードへ抜けられず、また、戻れず苦労してしまった。この宿舎には、はじめ日本人がいないから、幸運だなんていっていたが、夕食のとき、すでに二人の男女と出会った。するとなんとなくほっとして、部屋に戻っても孤独感が消えた。独りぼっちでないと分かれば、それだけでいいのだ。お金を使いたくないのに、たくさんかかりそうだ。Expressのついた手紙なんて高すぎるし、もったいないな。早くバスのパスを買って、この週のうちに、市内を再確認しなくちゃ。なんといっても、ここは通りからはずれていて静かだし、ときおり聞こえるのがヒースローヘ向かう飛行機の音だけという、まことに家に似かよった環境です。


3/9/77 WED

まるで、囚われたお姫様のような暮らしをしている。これで完全に私の理想が実現されたわけだ。ベッドと机とたんすがあって、それはア−リ−アメリカンにも似た質素なsimple lifeなのである。夜になると椅子に腰かけ編み物を始める。静かな夜と小鳥たちのさえずる朝があり、好きなときに好きなことをして、誰にも叱られず、煩わされることなく、生活している。英語の勉強は、朝早く起きて頑張るし、TVも新聞もないのどかさ。ときおり、本当にロンドンにいるのかしらと考えてしまう。出発前は、精神的な面のみ気を取られて、いかにしたら元気を保てるかということしか考えなかった。そして、来てみると、生活必需品がなにひとつ揃っていないのだから呆れる。あまりに本、本と騒いで、きょう着る服もないくらいだ。ノートも持ってこないのだから、こちらで買えばお金がかかるということさえすっかり忘れている。その一方で、細々したものを買うのは楽しかった。まるで別に一軒家でも構えたような感じで、うきうきしてしまう。要するに苦労がないのだ。


3/15/77 TUE

クラスに18歳になる日本の男の子がいて、彼が食事に誘ってくれたので、一度に四人もの日本の男の子の友だちができました。授業をさぼって、「友」という日本食レストランに行って、£1の食事して、帰って来ました。それで3/22(火)にはCityのサッカーを見に行くことになってしまった。


3/17/77 THU

風邪をひいてしまった。頭が痛いし、体中からわきあがるあの感じだ。血がふつふつと音をたてて沸きたっているようだ。でも不安はない。ずっとこうしていたいような気もする。学校が午後休みだったので、銀行に口座を開く。水曜日の午後が休みというのは、理想的な形だ。毎日、雨ばかりで嫌になる。傘を持っていけばよかった。ここには文房具屋さんってないのか。不思議でたまらない。


3/20/77 SUN

朝が来て、何げなく朝が来て、疲れてはいるが、暖かい日だまりを見つけたようであり、
幸福に満たされるとき。
私は今、詩を書こうとしています。三篇の詩はSo Manyなのかしら。
静かな日曜日、何も考えずに、ただなまけ、ねそべり時間をながめている。
私の書くラブレターが読みたいとか、その洋服は実によく似合うとかいう人を無視して。あの青いドレス、Bus Stopのだけれど、いつ着ることがあるかしら。買い物はしないと決めて、イエガ−のセーターは高くて買えないが、毛糸を買って編むなら平気。毛糸売り場で、年配の店員さんに、おおよその数量と、針の号数聞いて、あとは母から送ってもらった編み目の表を見て、毎日せっせと手編みをしている。日曜日の午後9:30なのに、明日学校に行くのが愉しみだ。これは幸運なときを過ごしているからかしら。


3/23/77 WED

今日はついにD. H .ロレンスのWomen in Loveが見つかった記念すべき日です。スローン・スクエアにあるW. H. SMITH & SON, Sloane Square ですてきなノートも見つけました。これで日記の続きも、詩もかけそうです。

ティータム・オータム、
私の言葉を忘れてちょうだい。
とがった頭で叫んでみても
言葉はみんな空間図形
高等数学三年やって、私はいつも眠ってた。

春が来たら、あなたは行ってしまう。
かわりに来る人、気に入るかしら。
涙にくれて、その底、笑い、あなたの門出を祝いましょう。

ティータム・オータム、
教えてちょうだい。
あなたは本当は王子様。ティータム・オータム、
砂漠の中の王国に一人で暮らす王子様
金の鎖と、銀の鞭、奴隷をあやつり一儲け。
石油で儲けたポラロイド。おもちゃの替りに遊びましょ。
あなたが写る、私が写る。
みんなが写る黒魔術。

おなたの母さん、だれかしら。
砂漠の道を延々と、らくだに乗って、流されて
あなたの王国へたどり着く。
きっと母さん、金髪ね。緑の目をした女の子。
一目で王子に気に入られ、後は野となれ、山となれ。
今じゃ放蕩しほうだい。それであなたが生まれたの。

ティータム・オータム、
笑ってちょうだい。
なんて素敵な笑顔なの。
できることならそのままで、冷凍させたい、盗むため。
あなたは本当の王子様。できないことなどありゃしない。

私もいつか、連れてって。
あなたの色した、別の国。
ジェットですばやく、一飛び。
アメリカ、日本、西ドイツ、
世界の中心買い占めて、二人で愉快に過ごしましょう。



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