6/1/77 WED
日本から送ってもらった荷物が届く。洋服もいっぱい入っていて、これで何も不足はない。Wallsも、Just lookingも、bus stopも、Girlsも、もういかない。ちょっとロンドンに対するおしゃれ心は残っていますけれど。Peter Jones も、Swan & Edgers もみんな素通りするだけ。それにしても、五月末から六月にかけてのロンドンは最高の季節ですね。こんなにのんびりした朝は、ひとりぐらしの醍醐味でしょうか。友だちのところに遊びに行って、いっしょにPubで25Pのミンチパイを食べた。おいしかったけれど、物足りなくて、12:00すぎに豆ご飯つくっています。こちらは、鍋に洗った米と水をいれて、厚めの皿で蓋をして、重しがわりにスープスプーンを載せます。すると、蒸気が上がって、皿とスプーンの重みでちょうどよく蒸れて炊けるのです。時間は三十分くらい、こつは沸騰したら、すぐにホタルの火にして、気長に待つことです。
6/4/77 SAT
きのうイブニングコースに行く前に、買い物しようと出かけたら、ばったりと学校の友だちとあってしまった。二人で買い物して、食事の用意して、それから9.00くらいまで話をしていた。トニ-とまた会って、コーヒーでもと誘われたが、丁寧にことわって帰ってきた。金曜日の夜、Notting Hill と Holland Park を往復していれば、だれかと出会うことになっているみたい。この友だちは日本の女の子だが、なんと毎日£2払って、下宿の家族と夕食を食べているのだそうだ。明日もいらっしゃいといってあげて別れた。イブニングコースをまじめにいくのはやはり大変。それだけで、水・金がつぶれてしまう。きょうはクラスでStock Exchange (証券取引所)を見学に行った。ガラスの向こうに大勢の人がいたけれど、わたしには関係のない世界だと思った。
6/8/77 WED
電話の申し込みに、Post Officeまで行く。窓口の前に少し並んだが、£50のdeposit を払っただけでおしまい。あっけないほど簡単だった。あと、三週間くらいかかるそうだが、これで電話が引ける。直接家に電話できるから、わざわざPost Officeまで行かなくてもすむのが嬉しい。帰りに例の新聞社の支局にお邪魔して、久しぶりに日本の新聞を読ませていただく。この頃、リアルタイムで新聞を読むには、非常な努力が必要だった。大学の方だか、King's College なら、日本の大学の卒業証明と、ゼミの教授の推薦状があれば入れるという。ここで、また三年間大学生をするのは、気が進まないが、心が迷う。
6/11/77 sat
勇敢にも雨の中、皮コートにスカーフをかぶって買い物にでかけた。バスにも乗らず、Church Streetを登ってきて、家まで1時間半くらいかかった。途中何人かの日本人と会う。あの半袖の白っぽい服着て震えているのはあきらかに観光客でしょうね。そういって時計を見た。時計中に日付けがあって、季節が分かるというのは不思議な話。きょうは6月11日、六月の中旬なんです。日本では衣替えのシーズンか。ここでは季節が止っているから、もうすぐ夏がくるなんて信じられない。そういえば八重桜も咲きつづけているし、バラの花もなぜか色褪せない。気温が低くて保存に最適というが、冷たい雨が降って皮コートがいるなんてロンドンですね。
六月
だれも笑ってはいけない。
だれも立ち止まってはいけない。
時計の中で季節が変わった。
もう六月なのねときみがいう。
ぼくは時計をのぞきこむ。奇妙な時間だった。
おたがいに話ばかりしていたのに
何について話したか
もう忘れている。
六月の空気をふるわせ
きみに口づけしたとき
木枯らしの音を聞いた
きみは誰?
パイが焼けるあいだに
パイが焼けるあいだに
三つの詩を作った。
男と出会った。
愛があった。
そしてもう夜明けだ。
パイはまだ出来ない。弟のジョルジュが
子供ができたといって
便りをよこした。
そのとき私はアフリカにいた。
アフリカのライオンたちと遊んでいた。ジョルジュの町は
ここから数カ月も離れていて
便りが届くのも稀だった。
私はすぐさまライオンを連れ、
旅にでた。
あと二年もしたら、彼の子と会えると思う。
6/14/77 TUE
きのうの夜、稲妻と雨と雷鳴を聞いた。ネオンが点るように外が明るくなって、次に爆音がこだまする。家族からの手紙もこない。なんでもNational規模の遅配になっているらしい。
6/18/77 SAT
文子さんの家に遊びに行って、きびしく叱られた。考え方が甘過ぎて、わたしの生き方がご都合主義だと指摘される。苦労しないで大学に入っても、目的がなかったら、何も実を結ぶことはないと言われる。わたしは自分が責任をもって自覚して行動すれば何をしてもいいと思っている。天下に恥じないことをすればいいのだ。人間、幸福なのは、誇りのもてる仕事をすること。自分のegoisticを仕事に表せること。一年間まがりなりにも仕事してきたから、そう信じている。家にはやく帰りたかったけれど、シェリー酒をたくさんのんで、真っ赤な顔して、やはり泊めていただくことにする。
6/21/77 TUE
手紙が来て、電話の工事は6/29ですって。ほんとうに申し込んでから三週間も掛かっている。手紙を書いて、出しにいく途中本屋さんをのぞいたら、偶然ジォエルと会った。彼女も金曜日にロンドンを離れると言う。六月が学期末だから、仲良しがどんどん国に帰ってしまう。パーティやるからどうぞと誘われた。先生方も何人か、この学校から去っていくらしい。すごく哀しい。わたしも夏の間はここに住んで、あとは田舎に移ろうかと真剣に考えている。Family Stayだと二食付きで週£25なのだそうだ。文子さんの紹介してくれた郊外の家は週£15で食事は別という。
6/25/77 SAT
怠惰な気持ち。6.45に目が覚めたが、ローストビーフを切り取って少し食べてまた眠ってしまった。もう、10.25になるのに起きられない。ぼんやりと病気なのだろうかと思う。勉強しなければならないことは山ほどあるのだ。12月すぎたら、試験がおわるからロンドンを離れてもいい。いや、Interviewの始まる前にここにいなくちゃ。きのう校長先生に聞いた話だが、BBCが第二次大戦のときdirect speaker (working classの意味らしい)を採用したんですって。というのも、ドイツが勝てばすぐに放送施設を占拠して混乱させるでしょう。そのときBBCでは、別に私設の放送局を作ってNewsを送りつづけるけれど、そのとき、ヨークシャーやウェ-ルズ発音の人ならみんなが信じてくれるでしょう。