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真由美のウィーン案内 その3● 芸術鑑賞

美術鑑賞編:

ウイーンといえば、音楽の都、芸術の都というイメージが浮かんでくる。ウイーンの森と美しい風景。今回の旅もそういう思い入れがあって実現した。さっそくクリムトを見に行く。

クリムトの絵はオーストリア・ギャラリーOsterreichische Galerie にある。ここは美術館なのだが、それよりもベルヴェデーレ宮殿の二階に展示されているといったほうがわかりやすい。市電D号線Schloss Belvedereで降り、門をくぐると中庭に彫刻が並んでいる。バロック様式の宮殿で上宮と下宮に分かれているが、その間にあるフランス様式の庭園がみごと。こころなしか、ベルサイユに似ている。ベルヴェデーレとは美しい眺めの意で、上宮の二階からのながめはすばらしい。昔の王侯貴族はこうして、そとを見つめていたのだろうか。

クリムトの代表作といえば、接吻。金と赤を主にした色使いは、官能的というより神秘的な愛を感じさせた。近くでみると本当に大きい。ほかにエゴン・シーレなどもあり、これもNYでおさらいしたばかりなので、印象深い。さすがにここだけは混み合っていた。みんなクリムトを目指してウイーンに来るのだ。
クリムトはニューヨークの近代美術館にも2点あります。《希望II Hope II 》と《 公園 The Park 》。

ベルヴェデーレ宮殿の正面

番外1■世紀末のウイーン
いまからわずか100年前のウイーンは、世紀末を迎え、帝国の名声と歴史の重みに揺れていた。ウイーンの人というと、まずフロイトが頭に浮かぶ。高校生の頃、《夢判断》を読んで物理の研究レポートとして提出したことがある。先生がとてもユニークな研究だと評価してくれ、なんとか赤点は免れることができた。そこでウイーンというとフロイト、そして物理のレポートと落語の三大噺みたいに頭にこびりついている。 

オペラ鑑賞編:

ウイーンに着いた日が3/23/98。その日の午後食事に出かけ、もらったパンフレットを見ると、本日の国立歌劇場Staatsoperの出し物が【魔笛】とある。今日で今日だから切符なんてあるわけないよねと、いいながら、近くなのでチケット売り場に出かけてみる。

始め並んだところは、国立歌劇場の前にある切符売り場でここはエリザベート(ミュージカル)用で違っていた。並んでいた人におそわって、出かけると切符は残っていた。もちろんいちばん高い席しかなくて、しばし悩んで、父、母、息子の3人で参加することになった。

席は舞台の真正面が見える二階のいちばん前。1. RANG LOGE RECHTS Loge 13 Platz 2と書いてある。劇場内はまばゆいほどの装飾がほどこされていて帝都を彷佛させる。これほど豪華な劇場はそうないだろう。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールも華やかだったが、それをしのぐ。こんな舞台にたてたら、役者も幸せというもの。それにしても日本人が多かった。ドレスコードもシーズンの終りのせいかそれほどやかましくなく、仕事帰りのビジネス・スーツが男女とも目立った。その中でも正装した婦人は美しく、みとれてしまう。

肝心のオペラはモーツアルトの魔笛だから、文句なく楽しめた。歌がいいし、曲がいいし、初心者でも楽しめる定番のようなものだから、こどももCDと同じで絵が付いていると感激していた。終わってから、道一つ渡るだけでホテルに到着する。外は零下だった。冬のシーズンはここに泊ってオペラ鑑賞が最高だと思った。

■国立オペラ座のスケジュール・リスト
■座席表

番外2■当日券の謎
当日券が買えたのは、同じ夜、楽友協会でボストン交響楽団、小沢征爾さん指揮、がマーラーの5番を演奏したしたため。こちらはSOLD OUTだった。
プログラムを見る限り、魔笛は二週間に一度演奏されていた

■モーツアルトの家

短い生涯のうち、なんども引越しを繰り返したので、ここが家と限定していいものか悩むところだが、フィガロハウスで過ごした4年間は幸せだったといわれている。ここで【フィガロの結婚】ほか多数の楽曲を作った。

旧市内のど真ん中、シュテファン寺院の裏手のドーム小路に面したところにあり、階段を登って入り口を入ると、中が記念館になっている。部屋の一室からは小路が見渡せるようになっていて、映画アマデウスでみたシーンが蘇る。ここから見下ろせば、だれが訪問するかが一目でわかり、借金取りなら隠れることもできただろう。手を伸ばせば隣の家に届きそうな近さである。孤独を嫌ったモーツアルトが住んだ家だと、素直に納得する。

■ハイドンの家

ハイドンが亡くなるまでの13年間をすごした家は、旧市内のはずれにある。ロンドンでの演奏旅行で得たお金でここに家を建てたといわれているが、当時はかなり郊外だった。ここも記念館になっているが、人並みに庭もあるし、部屋数も多い。女中なども置いて、大家族が生活していたのだろう。

ここで【天地創造】や【四季】という大作を作り上げたというが、そんな余裕と静けさに溢れていた。大作曲家の住まいにふさわしい。


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