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十二月の恐るべき子供たちへ 

Part 3


 ぼくって物心付いたときから、ロックやっていたんだ。もしかしたら、生まれる前の話かも知れない。この間、実家に帰ったら、おふくろが言っていたよ。 ぼくを産気づいたのは、父親とふたりで武道館にカルロス・サンタナを見に行っているときだって。アリーナ席で夢中になって聴いていると、パーカッションのリズムに合わせて、ぼくがおなかをあんまり強く蹴るものだから、ちょっと待ってよ、この席を手に入れるため、並んでチケット買ったんだから。もう少しで終わるから、おとなしくしていてと、ぼくに語り、大きなおなかを押えるようにして、アンコールまで頑張ったそうだ。さすがに、痛みが激しくなって、せっかく用意した花束は渡さずに、終演と同時にあわてて入院したらしい。 それが二十四年前のこと。 もちろん覚えていないけれど、サンタナって子守歌代わりで、いまでも聴くと妙に懐かしい気がするんだ。

 もっとも、ぼくは、もっとプログレッシブが好きだな。ELPとか、YESとキングクリムゾンとか。特に七十年代のロックが最高。あの時代はギタリストがピュアでイノセントだった気がする。テクニックにおぼれもせず、抑制の効いた音づくりをしていた時代だね。90年には物質的に恵まれてはいるがどれもこれも極めてしまって、スーパースターは出にくくなっているのかもしれない。ストーンズも聴くけれど、やっぱり初期のバラードがいいね。どうしてもっと早く生まれていなかったんだろう。

 ロック始めて役に立ったこと、たくさんあるよ。英語の歌詞カードを覚えるために、英語の辞書は引きまくった。プログレッシブ系は難解なんだ。音楽もそうだけれど、その詩がね。おかげで英語だけは、今でも自信があるよ。

 そうそう一時期、レコードのジャケット集めていたときもあったんだ。仲良しの店長がいて、中古の専門店なんだけれど、中身は濃いんだ。 "まあ、これはぼくの趣味を押し付けることになるかもしれないが、キングクリムゾンっていいよ。ビートルズのレコードを抜いたことがあるんだ" なんて、中学生だったぼくに丁寧に教えてくれて、その人の影響もあって、だんだんのめりこんでいったというところかな。おかげでいまでもレコード店めぐりは好きだよ。思いがけない掘り出し物もあるし。

 家族の話なんて照れるな、人前ではあんまりしたことないから。親父は、エルトン・ジョン一辺倒さ。あのギンギンになる前のデビューした頃のピアノを弾いている姿が好きなんだ。 "Your Song"や "ピアニストを撃て "なんてときどき聞いていて、まだまだ気が若いよ。母親は、ずっと音楽の先生続けている。この人はクラシック専門でブーレーズがいい、アバドも素敵なんて言っているけれど、一度あそびにいってよ、近くに住んでいるんだから。

 えっ、今日はぼくに用事があったの。なにか借りていた。違うよね。コンサートの切符くれるの。そんなのもっと早く言えよ。時間がないじゃないか。

 なに、ぼくの誕生日祝いだって、そういえば、そんな気もする。独り住まいだとケーキを焼いてくれる家族もないし、すっかり忘れていた。さっきから、今日はいつになく、来る人が多いなあってと思っていたよ。

 それどこでやるの。澁谷、違うの、広尾だって、あそこは有栖川公園と都立図書館だけだよ。ライブハウス、そんなところあったっけ、新しくできた場所なの。まあいいや、きみに付いていくよ。いま用意してくるから待っていてよ。きまっているだろう。衣装を着替えなくちゃ。このまま歩いたら、サインしてくれって、女の子に囲まれて困るじゃないか。


Rod and his friends、presented by Rod

えっ、ぼくが出るの、そんなの聞いてないよ。自分がバースディー・プレゼントになるなんて、ゼミの仲間の陰謀だよ。先生、助けてください。卒論だってとっくに書いたんだよ。


うっ、うなされて目が覚めた。ああ、夢か、でも、どこまで本当だったのだろう。もう少しでコンサートできたのに、残念。この続きは来年まで取っておこう。

                   

1997.12.10 

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