夏子は、電話を切ったまま、惚けたように立ち尽くしていた。
何を話したのか覚えていないけれど、これでいいのだわ。これで何もかも終わったのだ。明日から別のことを考えよう。
新しいクラスが始まったとき、夏子のことをよく見つめている人がいた。クラスの人気者ではなく、やや離れたところからじっと何かを見守って暮らしているような人だった。 物理の実習や、音楽の時間、その人と名前が似ているので、夏子はよく一緒の班になった。そんなときは、意識しすぎるせいか、妙に居心地がわるかった。
ほんの一言二言、話を交わしただけで、自分たちが、ひどく似ているということに気付いた。それは新鮮な驚きだった。それからは、気になってよく見るようになる。
Seeing is Loving
見ることが恋の始まりとでもいおうか。でも、ふたりは幼すぎて、それ以上なにをしたらいいか分からなかった。
もし、分別があったなら、ひとは負けることがわかっている戦いに、夢中になって、挑んだりはしないだろう。夏子は次の年、クラスが変わったことも関係なくその人のことを考えて暮らした。何もしないまま、時だけがどんどん過ぎてゆく。
そして、修学旅行のとき、その人は隣のクラスだったから、あちこちの寺や史跡で出会った。ふたりだけで会うような機会もなく、夏子はひたすら待ちつづけた。
帰りの新幹線のなかで、夏子はその人に一枚の紙切れを手渡した。みんながトランプに興じている中、どうどうと進んで、はい、これと差し出したのである。まるで、連絡事項のメモを渡すみたいに落ち着いて。
その紙には、次のような言葉が書き付けてあった。
人を愛していて、自分に有利な事実を認めながらも、それをあえて信じえないほど、悩ましいことはない。人は希望と恐れとに等しく襲われる。だが、ついには、恐れが希望に打ち勝つ。 ブレーズ・パスカル
夏子はその紙切れを手渡すと、自分の座席に戻って、大きな深呼吸をした。息を止めていたわけでもないのに、うまく呼吸していなかった。みんなが不思議そうに見守る中、トランプを出して、コンストラクション・ブリッジの考察を始めた。すると疲れがどっと襲ってきた。
次の日、学校の昇降口の前で、夏子は呼び止められた。ひとりの友だちといっしょだった。
《あれはどういう意味》
その人がいきなり、尋ねた。
《わからなければ、わからなくていいわ。》
夏子は不意をつかれて、言葉を用意していなかった自分を呪った。
《わかったら、どうすればいいんだ。》
さらにその人は畳み掛けるように詰問する。
《自分で考えてよ。》
夏子は頬が紅潮するのを感じていたが、そのことを認めたくなかった。
《考えるだけでいいのか。》
その人は哀しい目をしていた。
こんなふうに不意打ちされても、夏子はどうしたらいいのか分からない。 この何か月間、自分の気持ちをどうやって相手に伝えるかが問題で、それ以上のことはまだ考えたこともなかった。これを幼稚だと決めつけることは容易い。だが、本人は真剣すぎるほど自分について考えていた。
家に帰って落ち着くと、こんどの休みに会うことも悪くないと思った。その人の家に電話すると、ややしばらくして、相手が出た。もう、何も伝わらない。その人は、冷静になっていて、夏子の考えを受け付けてはくれなかった。
こうして、十七才の秋が終わった。