婚礼の前の晩、杉並の家には、遠くから親戚が集まっていて、懐かしいのか、珍しいのか、みんな夜遅くまで話し込んでいた。ぼくは、その日、渋谷で友だちと会っていて、何軒も梯子し、家に帰ったのは真夜中過ぎだったが、まだ居間には煌々と明りが輝いていた。
そうっと玄関を開けると、そこには、花嫁になる従姉の正子が立っていた。驚くぼくを静止し、にっこり笑って、客間の方に連れていった。そこには、布団がしかれ、洋服がきちんと畳んであった。明日のために産毛を剃って、薄化粧した正子は、いつになく色っぽかった。
正直なところ、ぼくは彼女の婚約者が好きになれなかった。学者の卵だというが、怜悧が過ぎて、即物的で、あんな男と一緒になっても決して、幸せにはなれないと思う。だが、そのことをいままで言い出せずにいた。
気が付くと、正子は、風呂上がりの寝間着姿で、ぼくは風邪を引かないかと心配した。
《慎ちゃん、もう今夜は会えないかと思ったわ。あなたは、好きな人と必ず結婚しなさいね。そして結婚したら、奥様を大切にするのよ。》
ぼくが酔っぱらっていたせいか、正子は親切だった。いろいろと話して行くうちに、気の染まぬ相手と結婚するのだわかった。
《なぜ、結婚なんかするんだ。》
《慎ちゃんには、わからないことがあるのよ。》
ぼくは、思わず正子を抱き締めた。氷のように体が冷えきっている。ぼくが布団に倒すと、正子は、あっという叫び声をあげたが、それから静かにぼくに従った。
次の日の朝、ぼくはなかなか起きられなかった。昨日の酒がまだ体に残っていて、頭がずきずきする。食事も喉を通らずに、熱い番茶ばかりすすっていた。
正子の婚礼は、神社で行なわれた。ぼくは、写真班だったので、シャッターチャンスを狙って何枚も、写真を取り続けた。正子は、うつむいたまま、恥ずかしいのか、嬉しいのか、いつものように、きりっとこちらを見返すようなことはしないで、黙りこんでいた。
式が終わって、家に帰ると、体がだるくてもう起き上がれなかった。それからのことはよく覚えていないのだが、肺炎をこじらせ、一時は危ない状態だったと聞かされた。正子は新婚旅行にいくのをためらったが、結局出かけてしまった。ぼくは、しばらく学校も休んで、外界から遮断されたところにいた。
その後、正子は、幸せに暮らしているのだろうかと、考えることもあったが、試験や、それに続く、就職活動なんかで、毎日忙しく飛び回っていたから、自分のことだけで精一杯だった。
十ヶ月程して、正子は、男の子を生んだが、お産がもとで亡くなった。死因はよく分からない。いまどき、お産で命を落とす人があるのだろうか。正子の残した男の子は、初め、男親が引き取ることになっていたが、急にドイツに留学が決まったかとかで、事情が変わり、正子の実家に預けられることになった。
初めてその子が杉並の家にきたとき、色の白いきれいな子だと思った。正子に似ているところはない。赤ん坊の顔は毎日のように変わるといわれるが、よく見ると、ぼくにもよく似ているような気がする。正子とぼくは従姉弟だし、似ていても不思議はないのだが、妙に気になることがあった。
正子が夫となる人に愛情を持てなかったと、聞かされたときも驚いたが、どんな思いでこの子を生んだのだろうか。正子には始めから、自分が助からないことがわかっていたのではないか。それを覚悟で生んだような気がしてならない。
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