その国は長いこと女王が支配していた。周りを海で囲まれ、敵からの警護が容易だったせいか、長いあいだ平和が保たれ、ひとびとは豊かな生活を貪っていた。 ただ一人の大臣が国の将来を憂い、女王様に進言した。
このまま、ずっと敵が攻めてこないとは保証できません。わが国の富は、各国に知れわたっております。将来窮地に陥る前に対策を打つ必要があります。
陛下にはたった一人の王子さまがいらっしゃるだけです。その方は陛下の跡を継ぎ、この国を治めるために、いま海を隔てた大陸で勉学に励んでいらっしゃいますな。彼の君様をさっそく呼び戻して、婚約させるのです。
《王子の相手はだれを考えているの。》
まずは、海を隔てた隣の国のお姫様です。このかたは一人娘として、大切に育てられましたが、お美しい方です。性格の方は多少難があるかも知れませんが、とにかく父親は将軍で、たくさんの軍隊をもっています。いざとなれば、陛下のお力になれる方です。
いま、お一方はその隣の国の陛下の妹君です。ややお年を召されていますが、なに、王子様より、七つ上というだけで、聡明な方と伺っております。この方もたいそうな美人でございます。
《息子はまだ、十九歳ですよ。妻を持つには早すぎはしないかい。陛下だってわたしと結婚されたときは二十六だった。》
恐れながら、陛下に申し上げますが、いま王子様は、外国で勉学中。もし、そこでだれか好きな女でもできて、ただならぬ関係にでもなったらどういたすつもりですか。芽はつぼみのときに詰み取らなければなりません。こんどのお休みのとき、王子様を呼び戻して、そのまま婚約させるのです。
それとこれはいささか申し上げにくいことなのですが、王子は結婚前に女性の扱いについて学んだほうがよいかと存じます。幸い、わたくしの遠縁にあたるもので、若くして未亡人になった貴族の娘が、田舎の領地にこもって生活しております。休みが始まったら、まず王子をそこに狩りにでもやって、恋のてほどきを一通り学んだらよいかと思われます。いかがでしょうか。
《おまえの言う未亡人とは、ローズ伯爵夫人のことかい。あのものが王子の相手など、すんなり承知するとは思えない。あれは文字どおり薔薇の花のように匂やかで、華やかな人だよ。》
ご心配なさいますな。すでにわたしから因果を含めてあります。すべては、陛下とこの国を富栄えさせるためと。
無事に隣国のお姫様と婚約が整ったところで、女というものは、わがままなものです。自分から好いた殿御でも、飽きてしまうことがあります。まして、真面目だけが取り柄の王子では、勝ち気なお姫様にとっては退屈に思われるかもしれません。それでは両国の絆ももろくなるもの。ここは一月のあいだに王子が女心をとろかすように、成長していただかないと外交問題は解決しません。
《わかりました。おまえがわたしに忠実だということはよくわかっています。手配はすべてまかせます。ただちに王子を呼び寄せなさい。》
そういうわけで、勉学半ばにしていきなり、帰国を命じられたが、本来優しい性格で母親には孝行する息子なので、おとなしく戻ってきた。
《母上はいったいなにを考えていられるのだ。いきなり、ぼくを呼びつけて、一月くらい、ローズ伯爵の領地に行っていなさいと命じられた。あそこは広々とした土地があるだけでほかになにもない。狩りをしていても、一週間もいたら、なにもかもわかってしまう。》
こうして王子はしぶしぶ出かけていきました。
《ここであなたが一人でくらしているなんて、想像もしていなかったよ。伯爵がなくなったなんて知らなかった。》
《乗馬中の事故だったのです。落馬して、その馬に頭を蹴られて、駆けつけたときはもう息もたえだえで、横たわっていました。半年前のことです。》
《そして、あなたはまだ喪中だというのに、ぼくを誘惑するためにここにたっている。》
夫人は、王子の背中をゆっくり流していた。
《ここには身分の卑しい女中しかいませんから、陛下に頼まれて、こうしてあなた様のお世話をわたくし自らが行っているのです。お気に召さないのなら、下がります。》
《そういうな、おまえがいなかったら、ぼくは盲も同然。もっとそばに来いよ。ずっとおまえといたい。》
《王子様は近々ご婚約を発表されると聞いております。》
《おまえはなんでも知っているな。ぼくよりも詳しいぞ。母上がなにか言ってきたのか。》
《いいえ、なにも。》
《ぼくは隣の若い王女を選んだ。美しいが、驕慢なところが気に入った。あれなら、安心して家を空けられる。これからは、週に一度ここを訪れよう。》
《そのようなことは許されません。》
《なぜだ。ぼくは直に国王になる。そうすればだれの指図も受けない。》
《それは違います。陛下がいまお苦しみのように、国を預かる大きな責任があるのです。この国を敵から守り、繁栄をつづけるには、外交政策が大切です。奥様を大切になさってください。わたしくはここで王子と暮らした思い出を大切に胸にしまっていきていくつもりです。もう二度とお会いすることはありません。》
その後、伯爵夫人は海を渡り、新しい世界へと移っていった。そこでひとりの女の子を生んだことはだれも知らない。