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ラスベガスの夜


【第一夜】

グラスの中で氷の溶ける音がする。窓の向こうには夕闇が迫まっていた。 手許の時計は四時を指したまま止まっている。今が夜なのか、朝なのかわからない。

わたしは、電話を取ってダイヤルを回す。むなしい行為だ。彼が出張にでかけて留守なのは、先ほど確かめたばかりなのに、そしてきちんとメッセージを残してあるのに、彼の留守ですというメッセージを聞くために、ダイヤルを繋ぐ。

ぼんやりと今夜をどう過ごしたらいいかと、考えていると、電話が繋がって、 彼の声が聞こえてくる。

《どなた?》

《わたし、いま着いたところなの。》

彼は戻っていた。わたしたちは数分間会話して、一時間後に会おうということになった。ようやく夜がやってくる。わたしは、クローゼットを開けて、今宵着て行く洋服を選びだす。彼がどこに連れて行ってくれるかを聞くのを忘れてしまった。

ゴージャスなドレスはいくつもあるが、彼の好みじゃない。昨日出てくるとき、慌てて飛びだしたから、持って来たのはちくはぐな洋服ばかり。バスタブにお湯を入れて、よい香りのするコロンを入れる。ここにからだを浸しながら、今夜どんな話し合いが行われるのだろうかと考える。

彼がもうわたしのことを愛していないことは、わかっている。そうでなければ、荷物をなにもかも置いて出て行ったりしないものだ。仕事も変わったし、住所も変えて、わたしから逃れようとしている。

この電話番号だって、苦労して手に入れて、ここまでやってきたのだ。あの人は、どんなことを切り出すのだろうか。お金、もう十分すぎるほど与えて来た。車も、洋服も、なにもかも。与えることが間違っていたと女友だちから言われたことがある。

彼がもうすぐやってくる。鏡のなかに輝く女の顔が見えるかしら。


【第二夜】

車の止まる音がする。ドアを開けると、冷たい風が入って来た。季節は秋から冬へと変わっていた。こうして、知らないうちに歳を取ってしまうのだ。

《少し歩こうか。》

こんな砂漠の町を歩くなんて、あなたも変わっている。彼の右手に指を滑り込ませて、歩き出す。泣き出したいような、わっと叫びたいような不思議な気分だ。わたしはよく眠り、健康なはずなのに、始めからひどく疲れている。ここにあるのものは、全部こしらえものだから、優しい言葉すら嘘めいて聞こえる。砂漠の王国では、だれも好きなことを言っていいのだ。ここから逃れることはできないのだから。

やがてわたしたちは湖のほとりにあるカフェテリアで食事をとる。彼がメニュウを考えている間、わたしはマニュキアの禿げたところを見つけて、苛々する。

本人がその気がないのだから、なにを食べたって同じことだ。薄いコーヒーにもうんざり。ワインリストは要らない。要するにわがままがいいたいだけなのだ。

今日でかけたブルガリの店員の客あしらいには腹がたつ。ローマではもっと優雅に対応した。砂漠の町は、ひとの心まで変えてしまうものなのか。

彼が何かさけんでいるわ。ああいっそ消えてしまいたい。ここから逃げ出して、もっとまともなところで暮らしたい。金髪の英国青年にはご注意と、祖母がいっていた言葉を思い出す。

彼が今朝、一万ドル当てた話をしているが、それが何なの。あなたにはただのおこずかい以下。そんなに嬉しがらないで。

何杯目かのコーヒーが運ばれてくる。もういい加減に放っておいて。ここはレストランでしょう。お客様が呼ばないうちは来ないで。パリのカフェが懐かしい。一杯のコーヒーで何時間も粘る楽しみをここでは奪っているわ。

金髪の美しい完璧な英語を話す男は、わたしの結婚したての夫で、そして 明日には、お払い箱になるはず。

リチャード、新婚旅行にここを選んだからいけないのよ。わたしのこと、恨まないのでね。


【第三夜】

故郷にずいぶん帰っていないから、この景色が懐かしいだろうって、冗談じゃないわ。

フェニックスはもっとずっとソフィストケイテドされた都市よ。みんなお洒落してオフィスで働いているわ。

わたしは本当に怒っているの。美味しいものを食べさせるからって、わざわざ六時間も砂漠の中をドライブして、ここに着いたのよ。なにをしようというの。

買い物はもううんざり。安物はいらないし、アメリカン・カジュアルは大嫌い。

ハイヒール履いて、町中を歩ける町が本当の文明よ。こんな偽物のこしらえものばかり作って、あなたたちはどうにかしている。本物と偽物の区別がきっと付かないんだわ。わたしは先に眠るわ。十一時からのショウはあなたひとりで出かけてちょうだい。帰ってこなくてもいいのよ。

わたしは窓辺にすわって、プールを眺めている。ここで飛び込んだら、みんなびっくりするでしょうね。もっと広い部屋に変えてちょうだい。ベッドはツインでお願いするわ。フロント係りは親切に鍵を渡してくれた。

あなたの戻る部屋はないのよ。






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