あと、一週間でここを離れます。ながいと思った休日もあと少し。日本に帰る準備をしなくては。まず、紅茶を何種類か買う予定。Safeway の紙パッケージに入ったオリジナルブレンドは美味しいから、もって帰ります。今日、バスに乗って、King's Road の風景写真をとりました。 いきつけのチェルシーにあるPost Office で日本向けの船便を出します。船便には、南回りと、ロシア回りがあって、USSRと表記するソ連経由の方が確実に届くと言われていました。だいたい一月かかります。飛行機の持ち込みは20kg は軽く超えているので、本や衣服などを段ボールに詰めて、Post Officeに持っていきます。チョコレートは、やはりキャドバリーです。煙草はロスマン・インターナショナルがいちばんだと教わりました。
本はたくさん持ってきたので、日本語の雑誌には困らなかったけれど、新聞はやはり見ることができないので、ときどき、ここによって立ち読みしています。まわりにはイギリスのPUBが立ち並んでいて、そんなに大げさな店構えでもないのですが、ここに来るときは、いつもちょっと緊張します。ここはちいさいが立派な日本なんです。
フォークストーンは、ロンドンから列車で約一時間。海に面した静かな町で英語学校がいくつかあります。友だちは、大学を休学して、これから一年間ここで英語の勉強をする予定。わたしは、あと四日したら、日本に帰ります。でも、ふたりで海をみて、おしゃべりして、別れのときがきたら、わたしは悲しくて、涙がとまりませんでした。帰りの列車の中でもポロポロ泣きつづけ、宿舎に帰っても泣いていたので、ここの知り合いに、あなたは、日本に帰れるのよ、友だちはこれから、一年間ずっと孤独と闘うのだからと慰めされました。
スローン・スクエアのあたりを散歩していたら、ローラ・アシュレイの Sale にぶつかりました。大きな会場を板で仕切っているだけですが、女の子が大勢きていて、熱気がムンムンする。試着室も大部屋にみんなで陣取ってあれこれ、着てみるのです。わたしも、やや遠慮がちに、白のひだのたくさんあるブラウスと小花模様のスカートを買いました。日本に帰って着てみると、ちょっと浮いた感じはしたが、気にしないで、通学にも愛用していました。
場所は、ロンドン市内から、地下鉄で約30分くらい。 "In late April of 1974, ELP returned to England to play a sold out show at Wembley Arena." このWembley Empirepoolは、バスケットボールなどの試合に使われるところで、格で言うと日本の武道館みたいなところです。グレックがなにか言うのだけれど、英語がよくわからない。でも、キースは例の通り、キーボードを壊れんばかりにゆすったり、たたいたり、日本でみたときより、ずっと自信にあふれていて、大胆だった。みんな席をたって、ステージに上がろうとして、警備のひとたちも必死になって防衛していました。わたしは、近くにいた警備のおじさんと話をして、こんな音楽になぜ夢中になるか気がしれないなんてコメントをもらったのを覚えています。わたしだって、機会があればステージに近寄りたかったわ。このときの模様がLadis & Gentlemenというアルバムになったと信じていたのですが、3枚組アルバムになっているのは、Wembley Empirepool公演ではなく、2月のカリフォルニアAnaheim Convention Center公演だそうです。
14番のバスがとまるBeaufort Street をもうひと停留所歩くと、テムズ川に出ます。テムズには遊覧船がときおり、姿をみせたり、向こう岸には、大きな高い煙突がたくさんありました。橋はそんなに長くないのですが、景色は灰色の建物が続いています。風が強いので、帽子を飛ばされそうになりました。川のむこうにBattersea Parkがあって、ここには遊園地もあります。
買い物をたくさんしたので、荷物がかなりオーバーしてしまいました。そこは、学生です、泣きそうになってお金がないというと、ロンドン空港の係員が、20Kgのほかに預けていいから、その機内持ち込みのバックをかしてごらんといいます。荷物の重量をはかったら、なんと17Kgもありました。中身はLPレコードです。搭乗手続きを済ませたら、もうすることもないし、雑誌や新聞などを買い、残ったお金でチョコレートを買いました。また、すぐ来るからと気軽な気分で出発です。